特別企画:ウーマンラッシュアワー×高山トモヒロ『ベイブルース~25歳と364日~』談義
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ジブリで宮崎駿監督の出待ちをしちゃうほど映画大好きな村本大輔と、映画に関しては素人同然の中川パラダイスが、あらゆる角度からブッ飛んだ視点で映画トークしちゃいます。今回は25歳で急逝した漫才コンビ、ベイブルースの河本栄得さんの半生を描いた作品『ベイブルース ~25歳と364日~』のメガホンを取った相方の高山トモヒロ監督にウーマンの二人が直撃取材! 高山監督が「どうしても村本に観てほしかった」ワケとは……? (取材・文:シネマトゥデイ編集部 森田真帆)
高山:僕、この映画をずっとウーマンの二人に観てほしかったから、今日はほんまにうれしいわ。ありがとな!
村本:いえいえ! 僕らも3月に沖縄国際映画祭で上映されて以来、いろんな芸人さんから薦めてもらっていたので、観られて良かったです。
高山:そうか、ありがとう! どうやった?
村本:いえ、それがベイブルースさんのコンビの在り方というか、コンビでの力関係が僕たちにものすごく似ていて……。途中から正直、中川の顔が見られなくなってしまって、映画を見終わったときも中川に「(僕たちと)似てたな」って言うのも気持ち悪いくらい、似ているんですよ。
中川:ほんまやな。ちょっと鳥肌が立つくらい似ていました。僕らはベイブルースさんみたいに、同級生というわけではないんですが、普段の漫才の練習の様子も、村本の僕に対するダメ出しの仕方も、ほんっまに似ていた。
村本:中川がピンでラジオに出ているときも、僕は「あんなん学生のノリではしゃいでいるだけやろ!」って言いましたからね。もうセリフまで一緒!
高山:せやろ! もうな、村本は僕の中で河本なんですよ。ほんまに似ている。ウーマンとは直接話したことはそんなにないけど、村本のネタを見ていたらどれだけ河本に似ているかがわかるわ。村本、ネタ必死に考えてるやろ。あれだけのネタを作るのって、めっちゃ苦しいよな。周りのやつらがどんだけ遊んでいても、おまえは家に帰ってネタ作りしているタイプやろ。
村本:そうですね(笑)。だから河本さんが、実はあれだけ陰で苦悩してネタ作りしていたんや~って思うと、ものすごく共感できて……。
高山:河本もめちゃめちゃ苦しんでいたよ。周りからは天才やって言われていたし、本人も「ちょっと(ネタが)頭に浮かんでな」なんて軽く返していたけど、実際にはめっちゃ苦しみながらネタを作ってた。例えば、てんそ(吉本印天然素材)のグループのことも、河本は気にもしていないようにしていたけど、めっちゃ意識していたし。ああいう苦しみは相方の俺にしか見せなかったから、この映画を観た芸人仲間はみんな驚く。「河本、あんなに苦しんでいたんやな」って。
村本:僕が一番びっくりしたのは、高山さんが結婚してお子さんができても、亡くなるまで一度も(河本さんは子供の顔を)見に行かなかったっていうところでした。あれは本当の話なんですか?
高山:今は結婚したってことがニュースになるような時代やけど、当時はお笑いでさえ、結婚したってことは絶対に知られたらあかんことで。だから、(子供が)できたって言ったときには、「それはそれで勝手にしたらええ。俺は会いには行かへんし」って言われたな。
村本:実はそういうところも、僕らコンビとすごく似ていて。僕らは、大阪の5upっていう劇場にレギュラーで出させてもらっていて、やっぱり女性ファンが多いわけですよ。そんなときに、中川ができちゃった結婚したんでね。会わんってとこまではいかないにしても、河本さんの気持ちはわかるような気がしましたね。
中川:タイミングとかもめっちゃ似ていて。僕らもちょうどこれからってときやったから。だから結婚指輪はしないで劇場行ったりしていましたもん。
高山:せやろ。何か河本はそういうのほんまに嫌がっていたな。例えば宮ちゃん(雨上がり決死隊の宮迫博之)が(自分の)家に来たことがあっても、誰もその話を河本の前ではしない(笑)。みんな、こんな話を楽屋でしていたら、後で俺が河本から怒られるってことをわかっているからな。その場では河本も盛り上がったとしても、後で「おまえ、所帯じみたことすんな! 何や鍋パーティーって!」って絶対言われんねん。ほんまにとがってたわ!
中川:じゃあやっぱり、(高山さんの)娘さんが河本さんに会われたのはお葬式のときやったんですか?
高山:そうやな。映画の中ではうちの子が初めて河本と会ったのは遺影ってなっているけど、実際にはひつぎの中の動かない河本を見たのが最初やった。
村本:僕と河本さんは似ているかもしれないんですけど、高山さんと中川もどこか似ているんですよね。ポワンとした感じとか。
高山:あはは、そうかもしれん。中川も俺も多分、相方のダメ出しを全部受け止めずに、流すこともできんねん。逆に俺らがツッコミじゃなかったら、成立してへんで……って、中川を褒めるのは自画自賛してんのと一緒やからな!
村本:でも人気絶頂のときに、相方が亡くなるっていうのはどんな気持ちなんですか?
高山:一番つらかったのはな、それまで舞台に出たら「キャアーーーーー!」っていう歓声が上がっていたのが、涙に変わってしまうこと。もう、それだけはめっちゃキツかった。
中川:お客さんの空気が変わってしまったってことですか?
高山:そうや。普通やったら、学園祭行って登場した瞬間に、大歓声が起きるやろ。俺が出たら、みんなめっちゃ泣くねん。そっからのスタートはきつい。
村本:ほんまに大きい存在を失ったって感じますね。
高山:あんな亡くなり方をしたからな。いきなり知らん子が駆け寄ってきて、号泣することもあった。笑いやうんぬん言う前に、そんなしんみりしたムードをなくす方がしんどかった。だって、普通にしていても暗いって言われるし、明るく振る舞うと今度は無理しているって言われるから。どうしたらいいかわからんくなったわ。
中川:それはきついなあ……。でも兄さん、よう辞めるってなりませんでしたね。
高山:そら、何度もあったよ。辞めたいときなんて数えられんくらいあった。でも芸人していると、楽しいことがたくさんあるやん。昔の仲間と一緒に仕事したり、そんなんに支えられて何とか(お笑いに)しがみついていたなって。
中川:最後に僕から聞きたいんですが、もしもまだ河本さんが生きていらしたら、今ベイブルースはどうなっていたと思いますか?
高山:どうやろなあ。もし俺が最後の最後まで我慢できていたら、東京でMCしていたと思う。でももし俺が爆発して、無理やってなってたら解散していたかも。だから俺は、おまえらが正直めっちゃうらやましい。中川って正直、村本からダメ出しばっかりされて、めっちゃむかつくときもあるやろ。
中川:ありますね。僕、河本さんが高山さんにダメ出しするシーンを見て、ほんまに気分が悪くなりそうになりましたもん(笑)。村本も自分が納得する突っ込みを僕ができるようになるまで絶対に妥協しないから。声のトーンから(ツッコミの)タイミングまで、ほんまに細かくていっつも混乱しそうになる。
高山:せやろ。俺も一緒やったから分わかる(笑)。何から何までダメ出しされたからな。
村本:劇中に河本さんが高山さんに言う「おまえは俺の精密機械になれ」っていうセリフがあるんですけど、「精密機械」って言葉、ものすごくわかるんです。一言一句絶対に間違えずに、このトーン、このテンポで言え、みたいな「絶対」を僕は要求するので。
高山:今のウーマンの仲がいいのか悪いのかは分からんけれど、でもお互いが頑張って辛抱していれば、40歳になったときにはめっちゃ仲良しになれるはず。そうしたら、最強の素晴らしいコンビになれるはずやと思うよ。この映画を観て、相方の大切さとか、「あんときはむかついていたけど」って気持ちになってほしいなって思う。
『ベイブルース ~25歳と364日~』
1994年に25歳の若さで亡くなった漫才コンビ、ベイブルースの河本栄得の短くも熱い生きざまを、相方の高山トモヒロが自身の小説を基に映画化した作品。映画『パッチギ!』の波岡一喜と趙民和がベイブルースにふんし、当時のネタを熱演している。
映画『ベイブルース ~25歳と364日~』オフィシャルサイト
©2013『ベイブルース~25歳と364日~』製作委員会
2008年に結成された、村本大輔と中川パラダイスによるお笑いコンビ。2011年「ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞受賞、2012年「THE MANZAI 2012」決勝進出、2013年NHK上方漫才コンテスト優勝など数々の賞に輝き、4月に東京進出。先ごろ行われた「THE MANZAI 2013」で見事優勝し、3代目王者に輝いた。
1980年生まれ。福井県出身。自分でも「ネットに書き込まれるうわさはほとんどが事実です!」と認めている、自称・ゲス野郎芸人。だがその一方で、ジブリ作品やピクサーなどの心温まるアニメが大好きで、映画『あなたへ』で号泣するほどのピュアな一面も持ち合わせる大の映画好き。水産高校に通っていたため(中退)、お魚系や海洋ネタにも意外に詳しい。
1981年生まれ。大阪府出身。これまで10回もコンビ解散している村本と唯一トラブルもなくコンビを続けている広い心の持ち主。2012年に入籍し、現在1児の子育てを満喫中のイクメンパパでもある。映画に関しては、「王道なものしか観ない」というフツーレベル。