33回 戦争の爪痕残るサハリンでロシアとアジアを結ぶ サハリン国際映画祭(ロシア)
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第33回 戦争の爪痕残るサハリンでロシアとアジアを結ぶ サハリン国際映画祭(ロシア)
2013年の日本映画界で旋風を巻き起こした映画『チチを撮りに』。同作は第3回サハリン国際映画祭コンペティション部門でグランプリを受賞し、第4回(2014年8月22日~29日)では中野量太監督がマスタークラスで講師を務めた。日露戦争や太平洋戦争の爪痕が点在する街では、映画を活用してロシアとアジア諸国の新たな文化交流を育もうとしている。(取材・文:中山治美 写真:中野量太)
通称“オン・ジ・エッジ”
2011年にサハリン州の州都・ユジノサハリンスクでスタート。通称は“オン・ジ・エッジ”。サハリン州がロシアの端に位置することを意味しているが、同時にそこには「中央都市だけじゃなく、地方で映画祭をやってもいいじゃないか!」という気骨を示している。上映作品は大都市の映画祭が全世界を対象としているのに対し、ロシアとアジアが中心。コンペティション部門では、第3回で『チチを撮りに』が受賞したのに続き、第4回で『2つ目の窓』の吉永淳が主演女優賞を獲得した。また招待上映部門では、「宮崎とその他」と題した日本アニメ特集も行われた。「観客は市民が中心で、どこも満席状態でした」(中野監督)。
日本統治時代に、強制労働などで連行された在留朝鮮人も多く、第4回では韓国女優ムン・ソリの特集上映も。「オープニングセレモニーに登壇したムン・ソリさんが在住朝鮮人に対してひざまずいて敬意を表していたのが印象的でした」(中野監督)。
プレイバック2013
中野監督が同映画祭を初めて訪れたのは、長編初監督作『チチを撮りに』がコンペティション部門に選出されたことに始まる。
自主製作された同作品だったが、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2012のコンペティション部門でSKIPシティアワードと監督賞を受賞。さらに大手海外セールス会社フォルティッシモ・フィルムズ(本社・オランダ)が担当することになり、ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門への参加、アジア版アカデミー賞といわれるアジアン・フィルム・アワードで渡辺真起子が最優秀助演女優賞を受賞。さらに台湾やイスラエルでの公開と世界へと羽ばたいた。
サハリンで受賞したときの審査員は中国のジャ・ジャンクー監督や新藤次郎プロデューサーら5人で、そうそうたるメンバーに選ばれた。「葬儀やキャバクラなど文化や風習の違いでわからないシーンもあったようですが、笑ったり泣いたりする場面は日本とほぼ一緒。むしろ海外の方が笑いの反応が良かったと思います」(中野監督)。
グランプリ監督、凱旋!
中野監督が参加したのはマスタークラスの講師として。第3回は撮影監督のクリストファー・ドイル、第4回はロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフと毎回豪華ゲストを招いて行われている。中野監督の講座テーマは「第1作をいかにして製作するか?」。
「映画製作を志している若い学生たち向けの講座です。『チチを撮りに』を製作するに至った経緯から、ベルリン国際映画祭など作品を持って世界の映画祭を回った体験談を約60分にわたって話しました」。その後は参加者との質疑応答タイム。参加者からは「学校に入らなければ映画は撮れないのか?」という質問があったという。中野監督は、日本映画学校(現・日本映画大学)出身だ。「絶対に入らなければならないということはないが、人脈の構築とチャンスは広がることを説明しました。やはり厳しい世界なので、自分にとっては本当に映画が好きなのかどうかを判断するに必要な3年間だったと思います。卒業後、映画業界に入って数本の映画で助監督をしましたがうまく人間関係を築けず、一度、挫折しています。それでも映画監督の夢を諦めなかったのは、学校時代のたまらなく楽しい3年間があったからでした」(中野監督)。
2度目のサハリン
映画祭参加をきっかけに、2年連続でサハリンを訪問することになった中野監督。日露関係において因縁深い場所だけに初年度は入念な下調べをし、歴史問題について追及される場面もあるのでは? と戦々恐々だったという。「それが、一切何も言われずちょっと拍子抜けでした。今回、僕のマスタークラスの聴講生にも在留朝鮮人の2世や3世がいたのですが、もはや朝鮮語も話せないそうです。むしろ日本に憧れていて、勝手に自分で日本名「蟹川一郎」と付けている人も。新しい時代になってきたのだと実感しました」(中野監督)。
ただし街中を探索すると、日本統治下時代の建造物に、日露戦争時の日本軍上陸記念碑など歴史の産物が至るところに点在する。「1度目はサハリン州郷土博物館へ行き、2年目は市内観光など前回訪れなかった場所に行きました。1年目は北方領土ツアーもあったのですが、日程が合わず、参加できませんでした」(中野監督)。映画祭は、教科書では得られない歴史に触れる絶好の機会だ。
カラオケが大人気
成田からユジノサハリンスクには直行便でわずか約2時間30分の距離。北海道からはフェリーでの入国も可能だ。「ただ僕のときは直行便がなく、1年目は札幌経由、2年目は仁川経由でした」(中野監督)。
食事は在住朝鮮人が多いこともあってロシア料理よりも韓国料理店の方が愛されている様子。そして今や観光名所(?)となった日本料理店「にほんみたい」もあり、ロシア流にアレンジされた和食も堪能できるそうだ。
「でも、夜は大体どのレストランでもカラオケ大会が始まるんです。あれは何なのか……(苦笑)」(中野監督)。
ルーブル暴落中
本映画祭の歴史はまだ浅いが、コンペティション部門でグランプリを獲得すると賞金100万ルーブル(約200万円。1ルーブル=2円換算)の副賞がある。他の映画祭と比較しても高額で、特に『チチを撮りに』のようなインディペンデント映画にとっては相当魅力的だ。「ただしルーブルが暴落。僕のときは1ルーブル約3円で日本円で300万円ほどありました。ただ賞金の30%が税金としてロシア政府に引かれるので約210万円になりましたが」(中野監督)。ロシアの国内経済が今後どのように影響するのか注目だ。2015年の開催発表ももうすぐ!?
写真:中野量太
取材・文:中山治美