映像文化創造都市を目指して市と共に歩む山形国際ドキュメンタリー映画祭(日本)【第42回】
ぐるっと!世界の映画祭
山形県山形市で隔年開催されている山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)。隔年開催のため14回とまだ歴史は浅いが、今では世界でも屈指のドキュメンタリー専門映画祭として認知されています。その第14回大会(2015年10月8日~15日)では、来場者約2万4,300人と歴代1位を記録。映画祭が契機となり、山形市が「映像文化創造都市やまがた」推進プロジェクトを始動させるにいたりました。さらなる成長が期待されるYIDFFを映画ジャーナリスト・中山治美がリポートします。(取材・文・写真:中山治美 写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
小川紳介魂を受け継ぐ
YIDFFは1989年、山形市制施行100周年記念事業としてスタート。提唱者の一人が、映画『三里塚』シリーズで知られ、晩年は山形に拠点を移して農業を営みながら活動していたドキュメンタリー作家・小川紳介監督。小川監督は1992年に他界したが、その精神は今もYIDFFに引き継がれている。中でもアジアの新進監督作品を対象としたアジア千波万波部門が象徴的で、同部門の最優秀監督に贈られるのはその名も小川紳介賞。小川監督の野心的な作品作りは特に中国や韓国などアジアの監督に大きな影響を与えたことから、同賞獲得を目指してYIDFFに参加するアジア人監督も非常に多い。
2006年に山形市から独立し、2014年からは認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭(大久保義彦理事長)として運営。第14回には、インターナショナル・コンペティション部門とアジア千波万波部門に、世界124か国・地域から1,874本と過去最多の応募があったという。
YIDFFでの受賞をきっかけに羽ばたいた作品・監督も多く、『鉄西区』(2003)で第8回(2003)にインターナショナル・コンペティション部門の最優秀作品賞にあたるロバート&フランシス・フラハティ賞を受賞した中国のワン・ビン監督は今では日本で特集上映が組まれるまでの人気監督に。第13回(2013)に山形市長賞を受賞したジョシュア・オッペンハイマー監督『アクト・オブ・キリング』(2012)は日本でも大ヒットした。
社会情勢を色濃く反映
YIDFFのプログラムは実に多彩。メインの二つのコンペティション部門「インターナショナル・コンペティション」と「アジア千波万波」のほか、国内の話題作を上映する「日本プログラム」、山形とかかわりのある作品を上映する「やまがたと映画」。さらに第12回(2011)からは東日本大震災をテーマにした「ともにある Cinema with Us」が新設された。ここにその年を象徴する作品を集めた特集上映が加わり、8日間の上映総本数は165本。さらにシンポジウムや公開講座もあるのだから、取捨選択するのが困難。映画祭最終日に受賞作を一挙上映してくれるのがせめてもの救いだが、参加者の中からは「同時間に上映作・イベントが多過ぎ」との声が多数聞かれる。
過密スケジュールが惜しまれるくらい、鑑賞意欲がそそられる作品が多いのも事実。中でも今年は、昨今の混迷を極める中東情勢を反映し、「アラブをみる-ほどけゆく世界を生きるために」と題したアラブ映画を特集。ここでも独裁政権によって不遇な人生を歩んでいる人たちにカメラを向けた『シリアの窓から』(2014)、『シリア、愛の物語』(2015)が上映されたが、インターナショナル・コンペティション部門でも今のシリアを映し出した『銀の水-シリア・セルフポートレート』(2014、優秀賞受賞)が選出されていた。いずれも映像に全てを託し、現状を世界へ伝えようとする作家の切なる思いが込められた作品だった。
同じく特集企画「ラテンアメリカ-人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生」は、これまで日本であまり紹介されてこなかったアルゼンチンとチリに焦点を合わせ、社会の遍歴を見つめた。同様にコンペ部門では、チリのピノチェト独裁政権の大量虐殺を告発した『真珠のボタン』(2015)が上映されていた。独裁、虐殺、戦争……何度人間は同じ過ちを繰り返すのか。山形にいながら広く世界の“今”を考えさせられた8日間だった。
「香味庵で会いましょう」
最近は七日町や本町に夜遅くまで営業している飲食店が増えたが、映画祭スタート当初は地方特集の夜が終わるのが早かった。鑑賞後の、皆の集いの場がない! ということで、第2回(1991)にスタートしたのが夜の社交場・香味庵クラブだ。
“香味庵”とは、地元の老舗漬物店「丸八やたら漬」の蔵を改装して出来た郷土料理レストラン・香味庵まるはちの略称。ここが会期中、一般営業を終えた22時から深夜2時まで“香味庵クラブ”としてオープンする。入場料500円(1ドリンク&おつまみ)で誰もが参加出来るため、連夜、海外ゲストからファンまで入り交じって大賑わい。あまりの盛況ぶりに、2階は床が抜ける恐れがあるためしばし入場制限がかかるほどだ。そして酒や食べ物は、いつの間にかどこからかじゃんじゃん回ってくるのでついつい呑みすぎてしまうことも。そして酒が入った勢いで、映画論が白熱して一触即発! なんて状況も稀に見るが……それもきっと映画祭の良き思い出となるに違いない。
実はロッテルダム国際映画祭や釜山国際映画祭など評価の高い国際映画祭の傾向の一つして、「そこに行けば誰かに会える」という交流の場を、きちんと設けているか? がポイントになっている。ここから新たな企画が生まれる場合もあれば、筆者のような記者にとっても、日頃なかなか出会うことのない興行関係者や地方の映画祭の方と情報交換ができる貴重な場でもある。
「じゃ、夜に香味庵で会いましょう」。これがYIDFF参加者の合言葉となっている。
山形の秋を満喫
山形市へは東京から山形新幹線で約3時間。映画祭開催時期になるとJR東日本から往復JR券と宿泊がセットになったお得な「ドキュ山!!GoGoパック」が発売されるので、映画祭HPなどでチェックしたい。
また会期中は、松尾芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で知られる立石寺などを巡る山寺ツアーも用意され、海外からのゲストに大人気。さらに今年は、鑑賞疲れを癒やそうと山形市民会館前で朝ヨガや自転車ツーリングなども行われた。
映画祭行事だけでなく、秋はイベントシーズン。メイン会場の山形市中央公民館(アズ七日町)前の商店街を歩行者天国にして開かれる「街なか賑わいフェスティバル」や、豊烈神社例大祭と重なることもあり、街全体でお祭り気分が味わえる。
YIDFFは会場が市内に点在していることもあり移動に時間を要するが、その分、山形の秋の味覚や歴史、そして、その土地に暮らす人と触れ合える魅力に溢れている。
映画祭と共に映像都市へと発展
山形市はYIDFFを契機に“映像文化創造都市やまがた”と称し、映像文化を重要な地域の資源として推進事業を行っている。1992年には東北芸術工科大学が開学し、学長に根岸吉太郎監督が就任。映像学科長には林海象監督、准教授に前田哲監督もおり、両監督とも生徒たちを連れてよくYIDFFに参加している。また11月には新進作家を対象とした山形国際ムービーフェスティバルも行われている。
その本気度を示すかのように同市は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「創造都市ネットワーク」映画分野への加盟を目指している。同ネットワークは、文化の多様性保護と地域産業振興に向けて都市間連携を目的に創設したもので、映画分野はこれまでブラッドフォード(イギリス)、シドニー(オーストラリア)、釜山(韓国)、ゴールウェイ(アイルランド)、ソフィア(ブルガリア)の5都市のみ。2015年7月に申請をしたものの、残念ながら今回は認定に至らなかったが、再チャレンジを検討しているという。
次回は2017年開催
隔年開催のため、次回、第15回大会は2017年10月となる。しかし例年、開催年の翌年は、都内の劇場などで山形で上映された作品に、独自のプログラムを加えた「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー山形 in 東京」を開催しており、映画祭で見逃した作品を追ったり、山形行きを躊躇している人もYIDFF作品に触れることができる。
また山形市平久保に山形ドキュメンタリーフィルムライブラリーを設置。出品作品の収集・保存のほか、無料で個人鑑賞できるビデオブース、さらには毎月第2、4金曜日には定期上映会を開催している。昨今は特に、「311ドキュメンタリーフィルム・アーカイブ」を開設し、東日本大震災に関する作品を歴史・文化遺産として保存することに力を注いでいる。映画祭開催時期のみならず日常的な活動が、市民並びに映画関係者からの理解と支援に繋がっているのだろう。