アリスの知られざる不思議…『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』原作に迫る旅
大ヒットシリーズの最新作『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』が7月1日に日本で公開されます。聖書やシェイクスピアに次いで多言語に翻訳されているとされ、それだけ世界で愛されているルイス・キャロルの児童文学「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」。出版されてから150年以上経った今でも多くの人を惹きつけてやまないのは、アリスがアイデンティティーを探し求める成長物語であるという見方をはじめ、解釈の余地を多く残しているからでしょう。
新作でティム・バートンからメガホンを引き継いだイギリス人監督、ジェームズ・ボビン監督もアリスファンの一人! そんなボビン監督は、原作のお茶会シーンで、マッドハッターが放つ「タイムと僕がケンカをした3月から、このお茶会からずっと動けない」というセリフからインスピレーションを受け、時間を擬人化した新キャラクター“タイム”を登場させるなど、新作では前作以上に、原作からのモチーフが取り込まれているのです。
しかし、その原作が誕生した背景には、知れば知るほど深まっていく不思議が……。「時間は何かを奪うのと同時に、何かを与えてくれる」。そう語るボビン監督ですが、それをひしひしと感じていたのは、原作者キャロルも同じだったのかもしれません。アリスにゆかりのある地、イギリスのオックスフォードとギルフォードを巡りながら、不朽の名作とその不思議に迫っていきます!(編集部・石神恵美子)
アリスは実在していた!
奇想天外な不思議の国の主人公アリスが実在していたというのはご存知でしょうか。その名もアリス・リデル。金髪のロングヘアーというイメージがありますが、意外にも本物のアリスはブルネットのボブなんです。
わたしたちが思い浮かべるアリスのイメージは、挿絵画家ジョン・テニエルが描いた挿絵によるところが大きく、のちにディズニーが手掛けたアニメ映画『ふしぎの国のアリス』(1951)で、そのイメージは踏襲されていきます。そして実写映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』でミア・ワスコウスカ演じるアリスもブロンドのロングヘアーですね!
キャロル、アリスと運命の出会い
ルイス・キャロルは、1851年にオックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに入校。学業を修めた後、同校の数学講師になります。そんなキャロルとアリスの出会いのきっかけは、1856年クライスト・チャーチ・カレッジの学寮長にアリスの父親が着任したことでした。リデル家の3人姉妹と仲良くなり、キャロルは当時4歳の次女アリスがとくにお気に入りだったようです。また、キャロルはヴィクトリア朝を代表する写真家としての一面も持っており、少女を被写体にした多くの写真を残しています。アリスもモデルとなった一人でした。
黄金の午後…「不思議の国のアリス」誕生
1862年7月4日、リデル家の3姉妹と川遊びに出かけたキャロル。アリスにせがまれ、即興で語り聞かせた物語こそが「不思議の国のアリス」の原型なのです。キャロル自身、この日を「黄金の午後」と呼んだほど、記憶に残る一日だったよう。「不思議の国のアリス」の冒頭で、アリスは川辺でお姉さんと一緒に本を読んでいましたが、不思議の国への入り口は現実と地続きだったのです。ナンセンスな児童文学として名高いですが、アリスのために作られた同書を紐解いていくと、現実と交差しているところが実に多いのです。
キャロルがアリスと過ごしたオックスフォードを散策すると、たしかに2人がこの地に生きていたんだな……と実感できるスポットがたくさん。そしてなんとボビン監督もオックスフォード大学出身なのです。これも奇妙な偶然……?
アリスの伸びる首…オックスフォードはアイデアの宝庫!
体が大きくなったり小さくなったり、中でも首が伸びるアリスは永遠のトラウマです。そんな首伸びアリスの元になったのが、クライスト・チャーチ校の食堂にある暖炉の脇の彫像です。(ちなみに映画ファンならすでにお気づきでしょう、この食堂こそ『ハリー・ポッター』シリーズの撮影で使われていた食堂ですよ!)
アリスの首を伸ばす発想が出てくるなんて……一体どんな変人なんだキャロルは……と恐れをなしていたものの、これを見たらそのインパクトゆえにストーリーに盛り込みたくなるキャロルの気持ちもわかるような。
入り口から左側の中央ステンドガラスには、今では世界的児童文学となったアリスを記念して、アリスにちなんだデザインが施されています。
そして入口近くには、歴代の学長と一緒にキャロルの肖像画も実名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンとして飾られています。
このほかにも、キャンパス内には原作へのインスピレーションの源がたくさん。白ウサギが飛び込む穴のモデルになったのは、同校の長くうねる階段。アリスが見つける「カーテンに隠れた小さなドア」は、アリスたちがよく遊んでいた学寮長の庭と、遊んではいけないと言われていた「The Cathedral Garden」と呼ばれる庭を隔てていた壁にある小さなドアだとされています。図書館長補佐だったドジソンはアリスたち姉妹が学寮長の庭で遊んでいるのを図書館の窓からよく眺めていたんだとか。
アリスがお菓子を買ってた!アリスショップ
築500年以上のこのお店こそが、「鏡の国のアリス」の第5章「羊毛と水」でアリスと羊が出会うお店。当時は雑貨店で、アリスがよくお菓子を買いに訪れていたそう。
テニエルも同店をもとに「羊の店」の挿絵を描いており、鏡の国ということでレジカウンターなど配置が左右対称になっているものの、現存のお店に忠実です。現在はアリスショップとして関連グッズがそろえられ、世界中からファンがやってきます。
ドードー鳥はルイス・キャロル!?
「不思議の国のアリス」の第3章「コーカス・レースと長いお話」に、1861年に絶滅したドードー鳥がでてきますが、オックスフォード大学自然史博物館にその標本が収蔵されています。キャロルはドードー鳥の標本を前にして子供たちに熱心にお話しをしてあげたんだとか。というのも、実はルイス・キャロルというのはペンネームで、先ほども述べた通り、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。吃音癖があり、自らの名前すら「ドー、ドー、ドジソン」とどもってしまうことから、自分自身をドードー鳥と重ね合わせていたよう。この吃音は、教師として教壇に立つ身のキャロルにとってかなり悩ましい問題だったそうです。
アリスの姉妹も登場していた!?
また、このドードー鳥がでてくる章には、アヒル、インコ、子ワシも出てくるのですが、それぞれアヒル(英語でDuck) はキャロルの大学での同僚ロビンソン・ダックワース、インコ (Lory) はアリスの姉ロリーナ・リデル、子ワシ (Eaglet) は妹イーディス・リデルをそれぞれモデルにしていると推測されています。そのほかのキャラクターも、キャロルとアリスにとって身近な人々がモデルになっているのです。例えば、懐中時計を手に慌てている白ウサギのモデルは、よく遅刻していたという、アリスの父にして学寮長のヘンリー・リデルだそう。
アリスのためだけの特別な一冊!
こうして、実在の人物や場所をふんだんに盛り込んだ物語は、「地下の国のアリス」(原題:「Alice’s Adventures Under Ground」)というタイトルで、1864年のクリスマスプレゼントとしてアリスにプレゼントされています。キャロルは自分でこの本の挿絵を描いており、アリスのための特別な一冊となっています。この本は現在、ロンドンにある大英図書館に保存されています。(残念ながら、現在は書庫にあり、展示されていないです……。)
永遠の不思議に…? アリスとキャロルの関係
しかし! 「黄金の午後」の日から、完成したこの本をプレゼントするまでに、キャロルとリデル家の関係は疎遠になっていたそう。キャロルがリデル家の人々と距離を置くよう余儀なくされていたらしく、キャロルがアリスに求婚し、リデル夫人に断られたのではないかとの一説もあります。しかし、それを裏付ける証拠はなく、さらにはキャロルの日記からその経緯に迫っているとされている部分が(おそらくキャロルの死後に姪によって)処分されているため、その真相は迷宮入り状態になっているのです。不思議に包まれ続けてきたキャロルとアリスの関係性は、新たな証拠が発見でもされない限り、これからもきっとこのままでしょう。
アリスたちとの交流がなくなってから…
1868年に自らの父親が亡くなったことで、一家の長男であるキャロルは、未婚の姉妹が住むための家を、ロンドン郊外のギルフォードで探します。そして、ギルフォード城のすぐ隣にある大きな一戸建てを選び、「チェスナット」と呼ぶように。毎年クリスマスはこの家で過ごしたそうです。
「不思議の国のアリス」の続編として、1872年に出版された「鏡の国のアリス」はこの家で書きあげられたとのこと。「チェスナット」の裏には、映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』でも印象的に引用されている、アリスが鏡の中に入っていく瞬間の銅像があります。
アリスに読み聞かせたことからできた「不思議の国のアリス」と違い、アリスとの交流がなくなってから執筆した「鏡の国のアリス」はアリスとよく遊んでいたというチェスを下敷きに、数学者であるキャロル自身が創作を楽しんだ結果とも言えるような、高度で論理的な仕上がりになっているのです。映画の新作でも大きなテーマになっている「時間」ですが、時間はアリスを少女から女性へと成長させ、キャロルを遠ざけることになったのかもしれません。しかし、キャロルの中でアリスと過ごした時間は永遠の思い出となったことでしょう。
キャロルは66歳の誕生日を目前にした1898年1月14日、同家滞在中に、インフルエンザから併発した肺炎のため亡くなりました。キャロルは最期を遂げたギルフォードのマウント・セメタリーに埋葬されています。ボビン監督が「イギリスでは、アリスの本は祖父母の家にも、両親の家にも、そして自分の家にもある。慣例のようなものなんだ」と話しているように、キャロルがアリスに捧げたストーリーは時を越えて今も愛されています。
キャロルの意思を継いだとも言えるボビン監督の最新作では、悲しい過去に心を奪われ、帰らぬ家族を待ち続けるマッドハッター(ジョニー・デップ)を救うため、アリス(ミア)が時間の番人・タイム(サシャ・バロン・コーエン)と対峙しながらも時間をさかのぼるアドベンチャーが描かれています。