引退発表!「アラン・ドロンが世界一美しいワケ」
名画プレイバック
往年の銀幕のスターの魅力を振り返る「名画プレイバック」の番外編。二枚目の代名詞であり、日本で最も人気の高いフランスの俳優アラン・ドロンの魅力を、当連載の担当ライターの対談形式でお届けします! スカウトされる形で1957年に映画デビューを果たして以来、出演作も多いドロン。今回はフランスに在住経験があり、フランス文化にも精通している冨永由紀さんに、「ドロンの魅力を堪能できる5本」をセレクトしていただきました。(構成・文/今祥枝)
※この頁はアラン・ドロンの引退発表の前に掲出しましたが、このたびの発表を受けて再掲出いたします。(シネマトゥデイ)
【アラン・ドロン映画ベスト5】
Best1:『太陽がいっぱい』(1960・ルネ・クレマン監督)
Best2:『山猫』(1963・ルキノ・ヴィスコンティ監督)
Best3:『サムライ』(1967・ジャン=ピエール・メルヴィル監督)
Best4:『パリの灯は遠く』(1976・ジョセフ・ロージー監督)
Best5:『若者のすべて』(1960・ルキノ・ヴィスコンティ監督)
世界一トレンチコートが似合う男
今:改めて5本観返して、やっぱり一匹狼の暗殺者を演じた『サムライ』のハードボイルド調のドロンがカッコイイ! ニヒルでダンディで、トレンチコートの襟をしっかりと立てて、もう恥ずかしいほどにキメキメなんだけどハマってる。絵になりますね。
冨永:セリフは少ないけど、動いているだけでかっこいい。イメージビデオに近い感覚ですよね。20代は端的に言って“見た目”でしたが、30代の寡黙なハードボイルド系ドロンのイメージは、この『サムライ』で出来上がったなあと。
今:ジャン=ピエール・メルヴィル監督と撮影監督のアンリ・ドカエという、鉄板コンビの力も大きいですよね。
冨永:トレンチコートの着こなしや帽子のつばを指先で直す仕草などは、すべてメルヴィルが決めたものなんですよ。そこが映画スターとしてのドロンの肝でもある。最近のインタビューでも、よい監督とはどういう人か? と聞かれて、「全部やって見せてくれる人」と答えていて(笑)。メルヴィルもルキノ・ヴィスコンティもルネ・クレマンも、すべてをやって見せてくれたと。そういう意味では、ドロンは“世にも美しい器”と言えるのかも。
シャツのはだけ方も完璧!肉体美もスゴイんです
今:自分の良さを引き出してくれる監督選びがうまかったのもあるけど、そもそも才能ある監督に「この器で映画を撮りたい」と思わせるほどの素材、ルックスだったってことですね。わかります! あのどこか悲しげで、憂いを含んだ、ミステリアスな目の美しさにも引き込まれます。
冨永:年を取ると目がしょぼしょぼになったりするけど、80歳を超えた今でも目力、輝きといった強さは衰えない。ドロンの薄いブルーの目には、男や女をたらし込む系の魅力もあれば蔑むような冷たさや強さもあると思うけど、それも演出、監督の力量に左右されるところがあるんじゃないのかな。
今:観客に、目が多くを語っているような気にさせるという。
冨永:そう。だからドロンの謎めいた、ミステリアスとか憂いとか、そのイメージも作ってもらったものなんですよね。『サムライ』でドロンはプロデューサーを兼ねていますが、どうしたら自分が一番かっこよく見えるかということには敏感で、そのイメージのためには何でもするというのがドロンだとも思う。ドロンというアイコンを自分が演じているという認識はあるはずで、いろんな役ができる器用な俳優ではないですね。
今:そういう意味では、出世作『太陽がいっぱい』のトム・リプレー役のドロンは、圧倒的な若さと美しさの輝きと対比される、負け犬感というか幸薄い感じがぐっとくるわけですが、このイメージがそもそものドロンのブランドですよね。ドロンというスターの方向性を決定づけたルネ・クレマンも魅力をよくわかっていた。特に肉体美は強調されていますよね。
冨永:クレマンは肉体としてのドロンを撮っていた感はありますね。トムを疑う刑事が寝込みを訪ねてきた時、なぜかトムはシャツをはだけながら対応していたり、カメラのアングルが妙に低めを狙ったりとか(笑)。
今:ラストシーンの、破滅が迫るのも知らずに人生の頂点にいる瞬間の、あの笑顔ももちろん忘れられないけど、あれほど切ないのに、シャツがはだけた胸元の記憶が鮮明だったりもする(笑)。
冨永:私が一番印象に残っているのは、ギターを弾いている時の、上目遣いの目だけのクローズアップ。ドロンの名刺代わりになるようなシーンだと思うし、映画スターの出発地点でもある。それについては、本人もクレマンにすごく感謝しているんですね。実は最初は、モーリス・ロネがトム役だったのですが、自分の役と直談判してスイッチしたそうです。この頃から、自分の見せ方を、よくわかっていたんだなあと。この時点で、既にプロデューサー的な視点はもっていたのかもしれませんね。ちなみにクレマンの奥さんをまず味方につけて、監督を説得してもらったとか。
かっこいい男といい男はどう違う?
今:もう一歩ってところで成功を逃す系、カッコイイのに負け犬感があるキャラは、『地下室のメロディー』(1963)などでも生かされていますよね。
冨永:欧米ではみじめさを含めてルーザーと捉えるけど、日本だと、姑息さや間抜けなのに素敵! となるのは判官びいき、共感の方が強くなるんじゃないのかな。あと、ドロンにユーモアセンスがないというのも大きい気がします。日本人はユーモアを重要視しないし、その笑えないところがドロンを“かっこいいルーザー”にしていると思う。ちなみに『太陽がいっぱい』のドロンは、胸毛もないし、すね毛も薄い。つるっつるなの(笑)。欧米ではちょっと受け取り方が違うんだけど、日本人はその美しさは大好きなんですよね。世界的に見ても日本での人気は異常に高いし、ドロン自身が「自分は日本では生き神様のように思われている」「日本では自分が美しい男の理想型」とか豪語している(笑)。
今:生き神様とは大きく出ましたね(笑)。そういえばアメリカにも進出したけれどウケなかった。本国フランスでは、どうなんでしょう?
冨永:フランスではかっこいい男と、いわゆるイケメン的ないい男(美男)は区別しているところがあって。かっこいい男はジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラなどで、ドロンはあくまでもいい男。かっこいい男の前では、いい男は一段下がるという感じで格差がある。今は大分変わったけど、ルックスだけではかっこいい男にはなれない、顔だけの男なんてのは所詮そこまでよ、というフランス人特有の皮肉です。そういう価値観の中で、ドロンはフランスではいい男でもここまでできるといった、イケメンの価値をあげた存在なのかもしれない。もちろん、ドロンの美しさはユニバーサルだから、フランスでもどこの国でも、そこに異論がある人はいないでしょう。
ルキノ・ヴィスコンティと相性がいいワケ
今:ドロンの魅力を引き出した監督としては、ベスト5に2本挙がっているルキノ・ヴィスコンティの作品は外せないということですね?
冨永:『山猫』のドロンは異色で、珍しくあの映画の中では未来が明るい終りなんですね。一番のウリともいうべき陰を取っ払ってもなお美しい。ドロンの美しさは最強! と確信できる映画です。ビジュアル面でも絢爛豪華な作品ですが、ドロンの輝きは負けていないし、怪我をして片目を眼帯で隠すという演出は狙い過ぎという気はするけど、事実美しさが際立つ感すらある。ドロンは明るいキャラを演じたり、コミカルなことをやろうとすると大抵は失敗するんだけど、ヴィスコンティは上手く使ってくれていて、稀有な成功例と言えます。同じく、『太陽がいっぱい』と同年に公開された『若者のすべて』の優しくて優柔不断、かつ純朴なキャラも異質で、典型的なドロンのイメージと違った魅力をヴィスコンティは引き出すことに成功している。ヴィスコンティの偉大さを痛感しますね。
今:ドロンは共演女優よりも、彼の方が美しく撮ってもらっているんじゃないかと思う作品はありますね。
冨永:昔、淀川長治さんが『太陽がいっぱい』について「これはホモセクシャルの映画」とおっしゃっていてびっくりしたのですが、実際にそうなんですよね。ドロンはクレマンやヴィスコンティのセクシャリティをわかっていた上で、監督にきれいに撮らせたという側面はあるかなと。ヴィスコンティとは『山猫』のギャラでもめて決裂してしまったことは、両者にとっても残念だっただろうとは思います。もう一本ぐらい撮りたかったんじゃないのかな。
友達が少ないのは自分のことが一番好きだから!?
今:バイセクシャルだったヴィスコンティといえば、恋人でもあったヘルムート・バーガーを思い出しますね。
冨永:ドロンとバーガーは、すごく仲が悪いんですよ。バーガーは自伝「Ich」の本文1ページ目で、ヴィスコンティと住んでいる家にドロンが訪ねて来たんだけど、絶対に会わせたくなくて、失礼極まりない態度で撃退してやったエピソードを披露しているぐらい(笑)。
今:自伝の冒頭がドロン撃退の武勇伝とは、バーガーの破格な人物像を物語っているなあ(笑)。ギャラ問題で引き合いに出されたバート・ランカスターとドロンは、どうだったんでしょう?
冨永:ランカスターとは仲が良かったらしい。ドロンは年上のおじさんの懐に飛び込むのは得意な人だと思いますね。ただ、最終的には自分のことしか好きじゃないという気が。
今:なるほど。そこら辺がドロンの孤高感につながるのかな。
冨永:例えばジャン=ポール・ベルモンドは、ベベルという愛称で国民にも俳優仲間にも非常に親しまれている感があるのに対し、ドロンはそのままドロンなんですよ。今とは在り方が違うでしょうが、そういう意味ではドロンは正統派の映画スターだなと。
今:影とか孤独、孤高といった印象は、複雑な生い立ちに負うところもありますかね。
冨永:それはあると思いますね。女性遍歴は華やかに見えるけど、ドロンがインタビューなどで積極的に名前を挙げるのはロミー・シュナイダーぐらいだし。ロミーとは『恋ひとすじに』(1959)で共演して同棲&婚約したけど、結局そのまま破局してしまった。それでも別れた後に『太陽が知っている』(1968)で共演しているから、本当は一番相性が良かったのかな。『ジェフ』(1969)で共演して長年一緒だったミレイユ・ダルクとも2007年に舞台「マディソン郡の橋」で共演している。80を過ぎた今も、現代社会に足りないものはと聞かれると「人と人が愛し合うこと」と答えるあたり、やはりアムールの国の申し子だと思います。
ドロンが最も美しいのはこの2タイトルで決まり!
今:純粋に“美男ドロン”の絶頂期の作品は、と聞かれたら?
冨永:『太陽がいっぱい』『若者のすべて』の頃は、顔立ちはすごく綺麗だけど、まだ洗練され切ってなくて、個人的には『山猫』や『太陽はひとりぼっち』(1962)の頃が美男ドロンの絶頂期だと思っています。かっこいい男と、いい男の価値の差を話しましたが、ドロンもそういうフランス的な美の価値観を持っていたので、若作りはしなかった。30代後半ともなると、見た目はもうすっかりオヤジだけど、そこは全然気にしていなかったのは、アメリカ的価値観とはかなり異なりますね。
今:ベスト5のうち、『パリの灯は遠く』は40代の作品ですね。
冨永:幸薄い感が漂うし追い詰められ感もドロンぽさはありつつ、カフカ的な話なので芝居せざるを得ない作品ですよね。あくまでも推論ですが、見た目が衰えている中で芝居ができるということを見せなきゃいけない焦りもあったのかなと。そういう視点でも、ドロンのキャリアにとって貴重な作品と言えます。
今:映画自体がよくできているというのもありますが、冒頭の傲慢な感じや少しくたびれた感じ、ドロンが持つ硬質さのようなものがうまく生かされているのは、やはりジョセフ・ロージーの采配のなせる技でしょうかね。
冨永:政治的にはドロンはかなりのタカ派で、ロージーは赤狩りで迫害を受けた人。でも、いいものを作るためなら政治信念が違っても組むという姿勢は柔軟なんですよね。ロージーとは『暗殺者のメロディ』(1972)でも組んでいたから、いい監督と仕事をすることが何より重要なんでしょう。逆に言えば、年長の巨匠・名匠との仕事に恵まれたけれど、同世代以下とはいい関係が築けなかったことが、1980年代以降にキャリアが伸び悩んだ大きな要因だと思います。
今:それでもドロンというアイコン、ブランド力は1980年代も強力で、特に日本では多くのCMに出演したり、プロデュースした男性用香水「SAMOURAI」「SHOGUN」が人気を博したりと、しっかり商売してましたよね(笑)。
冨永:香水やメガネ、腕時計などもあったし、確か1980~90年代頃には、「アラン・ドロンと一緒にご飯を食べる」といったツアーもやってました(笑)。元祖ファンミみたいな。CMもダーバンやマツダ・カペラ、レミーマルタンなど、今回、YouTubeでサーチして改めていろいろ見て、日本人はどれだけドロンが好きなんだ! と思いましたよ。
今:これぞスターですね。本人的には、そうした自分のキャリアをどう思っているんでしょうか。オスカーが欲しかったとか、そういう野心はあったんですかね?
冨永:あったとは思います。でもインタビューでは、「やり残したことはない。多くの名匠・巨匠と組んで、すべてを得て、すべてを知った。だから思い出を大切にしたい」と語っています。
今:それは素敵ですね~。
冨永:と言いつつ、2008年にすごいお馬鹿なコメディー映画に出て、ジョニー・トーの『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)を断ったりと、よくわからないんですよね(笑)。最近のインタビューをあれこれ拾ってみると、思いつくままにいろんなことをしゃべり過ぎててツッコミどころも多い。天然なのかな(笑)。
今:改めて興味が湧いてきました(笑)。見逃している作品もチェックしてみなくては!