念願の“日本のシンドラー”の地へ!ヴィリニュス国際映画祭(リトアニア)
ぐるっと!世界の映画祭
【第57回】
“日本のシンドラー”こと外交官・杉原千畝の赴任先として知られるリトアニア。その首都で開催されるヴィリニュス国際映画祭も以前から日本と深い縁あり!? 第22回(3月23日~4月6日)に、映画『ママ、ごはんまだ?』でキュリナリー(料理)部門に参加した白羽弥仁監督がリポートします。(取材・文:中山治美、写真:白羽弥仁監督、ヴィリニュス国際映画祭)
『おくりびと』に桃井かおりも!
リトアニアが旧ソビエト連邦から独立したのは1990年のこと。それから5年後の1995年にヴィリニュス国際映画祭がスタート。毎年長短編合わせて200作品以上が上映され、同国最大規模を誇る。
コンペティションは中・東欧の新人監督作を集めたニュー・ヨーロッパ、バルト海周辺国の作品を特集するバルティック・ゲイズ、地元出身者を対象とした学生映画とミュージック・ビデオなど。2004年からは観客賞も行われており、2010年開催の第15回では滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008)が受賞している。また第19回ではニュー・ヨーロッパ部門の審査委員長を、ラトビアでの出演作が相次ぐ女優・桃井かおりが務めた。
第22回はキュリナリー部門で『ママ、ごはんまだ?』のほか、巨匠監督の最新作を上映するマスターズ部門で黒沢清監督『ダゲレオタイプの女』、国際映画祭の話題作を集めたフェスティバルズ・フェイバリッツ部門で富田克也監督『バンコクナイツ』、短編部門で長久允監督『そうして私たちはプールに金魚を、』が上映された。
「フォーマルな服装の人は全く見かけず、全体的にカジュアルな雰囲気の映画祭でした。一方でバルト三国と東欧の作品の底上げと、(映画関係者向けの会合も行われ)ハリウッドも視野に入れたアウトプットの促進に対する熱意も感じられました。ただ、現地での日本映画の紹介は非常に限定的のようです。パーティーで知り合ったイタリア人のバイヤー曰く、『クオリティのせいというよりは、日本映画は海外展開への積極性に欠けるのでは?』という意見がありました。しかしそれは、“鶏が先か卵が先か”と同じで、国際的なクオリティがあれば積極性も生まれるはずだと私は思います。それでも、やはり日本のアニメ作品は広く知られているようで、会場で会った日本語が堪能なヴィリニュス在住のフランス人は、やはりアニメから日本語を学んだと言っていました」(白羽監督)。
食は国境を超える!
『ママ、ごはんまだ?』は、昨年9月にスペインで開催された第64回サンセバスチャン国際映画祭に続いて、キュリナリー部門に選出された。環境への関心やその土地の文化や習慣もにじみ出る料理をテーマにした作品が増えているが、それに比例するようにキュリナリー部門を新たに設置する映画祭も増加傾向にあるようだ。ただヴィリニュスでは、ベルリン国際映画祭やサンセバスチャン国際映画祭のように、映画のテーマに即した料理も提供するような大規模なイベントはなく、上映作品も3本のみで、非コンペティションとなる。
「映画そのものへの反応は、サンセバスチャン国際映画祭上映時と変わらなかったと思います。『泣けた』『(映画を見て)お腹が空いた』、さらに笑いのポイントもほぼ同じ。上映後の質疑応答の時に、『日本や欧州など他国の料理でシリーズ化して欲しい』というリクエストがあって、嬉しかったですね」(白羽監督)。
世界各国、寿司ブームの影響もあって日本料理への理解は深まってきているが、一青妙・窈姉妹の思い出の味を再現した『ママ、ごはんまだ?』の場合は本格的台湾料理。白羽監督は滞在中、調査も兼ねてヴィリニュス市内の中華料理店に入ってみたという。「完全にご当地バージョンとなっており、我々の知る中華料理ではありませんでした。きっと観客にとって味はもちろん、ちまきに豚足etc……メニューそのものが未知との遭遇だったでしょう。『豚足を食べてみたい』という声も多くありました」(白羽監督)。
ちなみにリトアニア料理は「地球の歩き方」に「風変わりな料理が非常に多い」と書かれており、食通の間でも興味の尽きない国として知られている。リトアニア版『ママ、ごはんまだ?』の誕生を期待したい。
地元ボランティアがサポート
日本からヴィリニュスへは、欧州各都市からヴィリニュス国際空港へ。白羽監督は今回、映画祭参加前にポーランドに寄ったため、ワルシャワからポーランド航空でヴィリニュス入り。帰路はブリュッセル経由で帰国した。渡航費用は自費だが、宿泊は映画祭側の招待で、旧市街にある4ツ星のアルティス・セントラム・ホテルに宿泊。19世紀の建造物を改築した落ち着いた内装だ。
「空港への送迎からスケジュールの采配まで、全て地元ボランティアの手によって行われていました。ほとんどが大学生のような若者で、礼儀正しく非常に熱心。全てスケジュール通りで完璧なホスピタリティでした。日本語通訳を用意してくれましたが、参加者もスタッフもほぼ欧州とロシア人で、私も含め英語が母国語ではない人たちばかり。なので英語のレベルが近く、話しやすかったです」(白羽監督)。
足を伸ばして歴史の旅へ
白羽監督が同映画祭への参加を決めたのは、以前から同国の歴史に関心があったからだという。「第2次対戦中、リトアニア・カウナス領事館に赴任していた杉原千畝が発給した“命のビザ”によって、神戸にたどり着いたユダヤ難民たちが当時、どのような暮らしをしていたのか? ということに興味があり、彼らのリトアニア脱出後の軌跡を調べていました。なのでヴィリニュスから声がかかったときは、『これは呼ばれているな』と勝手ながら感じてしまいました。そういう意味で今回は、私にとって念願の旅でもありました」(白羽監督)。
映画祭参加前にはポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所へ。首都ワルシャワではポヴォンスキ墓地へ行き、『トリコロール』三部作で知られるクシシュトフ・キェシロフスキ監督の墓参りもした。そしてリトアニアでの映画祭会期中には、ヴィリニュスから列車で約1時間強の距離にあるカウナスに赴き、ついに杉原記念館を訪問した。
「カウナス駅から杉原記念館へは道案内の看板一つありません。有りのままを遺すことに重きを置いた歴史遺産なのです。二言目には経済効果が云々と叫ぶどこかの国とは矜持が違います。急坂の住宅街を歩いて行く道中、この道に列をなして向かったユダヤ人達のことを想像せずにはおられませんでした」(白羽監督)。
杉原記念館では校外学習で訪れていたヴィリニュスの高校生たちと遭遇したという。「彼らは恐らく日本の高校生達よりも杉原千畝のことを知っているはずです。そんな彼らにとって日本人が珍しかったらしく、カメラとビデオを構えて私にインタビューしたいと申し出ました。人道に生きる、ということはカトリックの彼らには最も尊いことであり、自国リトアニアでその行動をとった杉原への尊敬は当然でした。日本では彼の偉業はまだまだ知られていないということと、アウシュヴィッツに行った事で、ビザで助かった命の尊さと重さをより一層感じざるを得ない、と答えました」(白羽監督)。
今回の調査と体験がいずれ作品として日の目を見る日がくるに違いない。
映画の旅は続く……
映画『ママ、ごはんまだ?』は4月13日からタイ、引き続き5月21日からは台湾での公開が決まっている。台湾は映画のロケ地であり、モデルとなった一青妙・窈姉妹の関係者もおり、“凱旋公開”は大きな注目を浴びるだろう。さらに6月8日~22日にカナダで開催されるトロント日本映画祭への出品も決まった。今後も映画祭への参加が多数予定されているそうで、食を通した文化の交流はこれからも広がっていきそうだ。