『武曲 MUKOKU』綾野剛&村上虹郎 単独インタビュー
大人になっても自分も誰かの子
取材・文:磯部正和 写真:日吉永遠
芥川賞作家・藤沢周の原作を、熊切和嘉監督が映画化した『武曲 MUKOKU』。父から剣道の厳しい教えを受けた男は、ある事件をきっかけに剣を棄て自暴自棄な生活を送るようになる。そこに送り込まれた剣に出会った少年。二人の危険で儚い剣は、魂の叫びとして互いの胸に突き刺さる。重厚かつ繊細な本作で、息が詰まるほどの対峙を見せたのが、唯一無二の存在として強い個性を発揮する綾野剛と、瑞々しい演技で人々を魅了する村上虹郎だ。初顔合わせとなる二人が、互いの印象や本作のテーマである父と子の関係について語った。
剣士になるため、2か月打ち込んだ肉体作り
Q:綾野さんと村上さんがそれぞれ演じた、研吾と融という役柄に、どんなアプローチをしようと思ったのでしょうか?
綾野剛(以下、綾野):僕は基本的に現場に入ってから考えるんです。自宅で台本を読みながら「こうやろう」って決めても、虹郎がどういう演技をするかで変わるし、監督の意向でも変わってきますから。あえていうなら、こういう作家性のある映画ならではのアプローチ方法みたいな漠然としたものは考えます。
村上虹郎(以下、村上):僕は「バガボンド」を読みました(笑)。
綾野:そういう精神は大事だよね。
村上:「バガボンド」の真似をするというわけではなく、中身の捉え方ですね。好きな漫画でしたし、もう一回読んでみようって思ったんです。撮影が鎌倉方面で、泊まり込みだったのですが、読み始めたら続きが欲しくなり、木刀ケースにペットボトル1本だけ持って、雪駄を履いて「バガボンド」を買いに行くという、はたから見たらかなりの異常者でした(笑)。
Q:綾野さんは剣道の達人ということで、何か特別に準備されたことは?
綾野:フィジカル面を強めるためにトレーニングはしました。いつも作品が続いていて、間が空くことがないのですが、今回は2か月ぐらい準備の期間があったので、肉体を作ることと、虹郎と違って剣道は未経験だったので、そこの部分の稽古はしっかりと重ねました。
Q:劇中、綾野さんの上半身が映りますが、ものすごく鍛え上げられていましたよね。
綾野:僕は典型的なやせ形なので、身体作りはかなり大変でした。約2か月半、食事も徹底しました。そうしないとああいう身体にはならないです。
同じ土俵で年齢は関係ナシ!
Q:お二人は初共演ということですが、15歳も年齢が違うんですね。
綾野:そんなに離れているんだ。ぜんぜん後輩という感覚はないですね。年は離れていても友人だと思っているし、同じ作品という土俵に立ったらフィフティーフィフティーで戦える環境を作りたいと思うだけです。もともと僕は年上・年下関係なくフラットに接します。
村上:ありがたいです。でも、フラットに構えてくださいますが、やっぱり先輩なので……。踏み入ってはいけない部分は意識しています。
綾野:それって僕にも虹郎にもいえることなのかもしれませんが、自分たちが寛容に心を開いていても、相手に壁を作らせてしまう緊張感が僕らに出てしまっているのかもしれません。今までやってきた作風もあり、パブリックイメージとして、相手から構えられる存在ではあるという自覚はあります。
Q:近寄り難い雰囲気ということですが、綾野さんはファンに対してすごく近い印象があります。
綾野:ファンの皆様には素直でいたいだけです。でも壁を作っている方が人生は楽な部分も多いですし、近寄り難いって思われている方が、放っておいてくれますし。昔はそれで良いと思っている時期もあったのですが、ここ5~6年でそういうスタンスだけではダメだと思ったんです。もちろん格好つけるべきところはしっかりつけるべきだし、ある種のアンチズムも前に出す必要もありますが、それがメインである必要はないと感じるようになったんです。
Q:村上さんはご自身のパブリックイメージをどうお考えですか?
村上:自分も壁を作られるタイプだという自覚はあります。でもそれを楽しめるようになってきました。別にパブリックイメージと本人が同じである必要はないと思います。僕もSNSをやっていますが、(SNSでは)全人類の距離が近くなってしまい、表面の世界で結論だけが強調されてしまう。結論に至るまでのプロセスが大事だと思うんです。
生きていることが希望に感じられる
Q:本作は父と子の愛憎が一つのテーマになっていますが、お二人にとって父親とはどんな存在なのでしょう。
綾野:自分の父親がどういう存在なのかというよりも、ここ数年、どんなに大人になっても自分も誰かの子なんだなということを強く感じるようになりました。誰しもが誰かの子だということを認識することで、見方が大きく変わる。研吾にとっての父親も、祖父母にとっては子である。そう思えると、生きていることが希望に感じられるんです。
村上:自分のなかでうまく定義づけられないんです。僕の場合(父は俳優の村上淳)、この仕事をする前までは、もっと友人のような感覚だったのですが、今は仕事の先輩でもありますし、親父でもあり不思議な感覚です。向こうも難しいと思っているんじゃないですかね。
Q:(父から)俳優として声をかけられたりするのですか。
村上:最近、舞台をやらせていただいたのですが、見に来てくれて褒めてくれたんです。最初の舞台は親目線だったと思うのですが、今回は役者として見てくれていたと思うので、褒められたのはうれしかったですね。
村上虹郎は、残酷なまでに瑞々しくてピュア!
Q:では、綾野さんが感じている村上さんの魅力は?
綾野:この作品でいえば、一人だけアニメに見えるぐらい瑞々しくてピュアだなと思いました。この等身大感は、もう自分には絶対出せない、ここで勝負しても勝ち目がない、自分は老いたなって自覚しました。残酷でした。でも感覚で芝居をしていたところから独り立ちして、これからが大変になっていくと思います。
Q:具体的にはどんなところでしょう。
綾野:(村上は)もともと恵まれた環境からのスタートだったのかもしれませんが、人によっては恵まれたことが不幸だったりすることもあると思うんです。そんななかで、20代は世代の筆頭として進んでいかなくてはいけない力も手に入れるだろうし、本当の意味で実力をつけていって見えてくることもありますから。
村上:心配な部分もありますが、すごく楽しみですね。今はやれることを精一杯やって、先にあるものがなにかを知りたいです。
スクリーンに佇んでいるだけで、人物が背負っているものがにじみ出てくるような雰囲気を醸し出す俳優である綾野剛と村上虹郎。二人の間には15歳という年齢差が存在するのだが、話をしている雰囲気に、その差はまったく感じられない。村上は「構えている」といってはいたが、綾野がいう「同じ土俵で共に戦う同志」として共有する空気に距離はない。そんな二人が挑んだ「愛憎劇」は、綾野の言葉を借りれば「地獄のような仕立て」なのだが、不思議と心を動かす。そして観終わったあと、何ともいえず救われたような感情が湧いてくる。地獄を見ながら感動してしまったような……とても不思議な映画に仕上がっている。
映画『武曲 MUKOKU』は6月3日より全国公開