エロ&グロで批判殺到!変態監督ポール・ヴァーホーヴェンはなぜ問題作を作り続けるのか?
今週のクローズアップ
公開当時、その人体破損描写で既存のSFアクションとは一線を画した『ロボコップ』(1987)、際どい演出で一世を風靡した『氷の微笑』(1992)、そして悪名高き『ショーガール』(1995)と映画ファンに愛されながらも、批判が殺到する問題作を作り続けてきたポール・ヴァーホーヴェン監督が最新作『エル ELLE』を引っ提げ、来日しました。御年79歳のヴァーホーヴェン監督ですが、『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997)の男女混合シャワーシーンではヌードになることを嫌がるキャストに手本を示すべく、自ら全裸になったという逸話が象徴しているように、インタビューでも元気! ダンディー! そしてめちゃくちゃエネルギッシュ! アメリカでは製作不可能だったという『エル ELLE』の裏話から、『ショーガール』でたたかれまくった過去、自身が考える“いいアート”の定義まで語り尽くしました。(取材・文・構成:編集部・市川遥)
衝撃的なのに笑え、変態的なのに気品あふれる
自宅で覆面をした男にレイプされ、警察に届けることなく淡々と犯人捜しを始めるゲーム会社の女社長ミシェル(イザベル・ユペール)と、元夫、疎遠になっている父親、母親とその若すぎる恋人、親友、不倫相手、息子とその恋人という彼女を取り巻く人間関係を描いた『エル ELLE』。衝撃的かつ変態的な内容で物議を醸した作品ではあるのですが、ミシェルと一筋縄ではいかない家族のやり取りなど思わずクスリとさせられるシーンも多く、暴力と共存するこのライトなトーンには意表を突かれます。
「確かにこの映画にはライトで、笑える層がある。その多くは、撮影をしているときに生まれたものだ。もちろん基になったフランスの小説にもそうした要素はあって、脚本で少し強調したのだが、俳優たちがそれを認識したことで多くの部分が生まれた。それでちょっと面白くなったんだ。もちろん椅子から転げ落ちるような笑いではないが、ニヤリとしてしまうようなね。人々は登場人物たちが奇妙なやり方で互いに対処し、つながるさまを面白く思うのだと思う」
イザベルの洗練された演技がそのトーンを生み出すのに一役買っていることは言うまでもありませんが、ヴァーホーヴェン監督は、映画のスタイル、キャラクターとそのモチベーションといったことについてはイザベルと話さなかったそうです。「衣装や髪型(笑)、立ったり座ったりというステージングや振り付けについてはたくさん話したけどね。だけどミシェルの考え、思い、といったことは一切話さなかった」と振り返ります。
「だからイザベルは、彼女自身で“ライトで笑える層”が存在することを完全に認識していたと思う。あるものを彼女がどんな表情で見ているかで、僕たちはそれを感じることができる。例えば病院で、息子の交際相手が赤ちゃんを産んだシーン。息子を見る彼女のクローズアップが来るわけだけど、そのシーンは面白いよね(笑)。彼女は真面目くさった顔をしているけど、イザベルは絶対にあれが面白い瞬間だと気付いていたよ。彼女はそのシチュエーションが面白いと気付いているから、その可能性を含めて演技をしているけど、おかしくするためにオーバーに演技したりしない! 彼女は知性ある女優だから、こういう風にしてほしいなんて頼まなかったがね」
第2次世界大戦開戦前年の1938年7月18日、オランダに生まれ、爆弾が降り注ぎ、死体が転がるハーグで育ったヴァーホーヴェン監督にとって、“暴力”は身近に存在しているものでした。本作でのミシェルのレイプシーンも暴力そのもので、この時彼女が感じた恐ろしさがあまりにリアルに感じられるからこそ、その後突飛な行動を取る彼女を観客はある意味、受け入れられるのです。
「フラッシュバックのシーンは極めて暴力的だ。40秒ほどでとても短いが、レイプは暴力で犯罪だから、ものすごく暴力的に描こうとした。あの場面で起きていることは、人を撃ち殺すような、そういう暴力行為なんだ」
オープニングではすぐには何が起きているかわからず、後に明らかになるという構成も効果的でした。原作も主人公がレイプされた後のシーンから始まります。
「脚本に取り組んでいるとき、オープニングで全てを見せてしまおうかと思ったが、見せない方がずっと興味深いと気付いた。なぜなら何が起きたかを知るときには、観客は彼女のことをよく知っていてよりショックだから。もしオープニングからレイプシーンだったら、ジェームズ・ボンド映画みたいだったと思う。ジェームズ・ボンド映画ってそういうのから始まるよね。悪く言っているわけじゃないが(笑)。観客が好むような暴力で映画を始めると安っぽく、芸術的じゃない。アメリカ映画の模倣品みたいだ。だから小説で書かれているように始めることにした。最初に全貌は見えず、後に明らかになるという形でね。それは正しい決断だったと思う」
アメリカでの制作は二つの面で不可能だった
『エル ELLE』はフランス映画として製作されました。物議を醸す内容の本作を、ポリティカル・コレクトネス(政治的・社会的な公正さ)に過剰なまでに気を配る今のハリウッドで作ることはやはり不可能だったのでしょうか?
「やってみたんだよ。プロデューサーのサイド(・ベン・サイド)から小説を受け取り、アメリカ人脚本家デヴィッド・バークのところへ持って行ったのは、アメリカ映画として作ろうと思ったから。それが最初の計画だった。だが脚本が仕上がってみると、資金調達の面から、それ以上に人材獲得の面からそれが不可能だとわかった。誰もこのプロジェクトに関わろうとしなかったんだ。アメリカで6、7人トップ女優に声を掛けたが、みんな拒否した。レイプシーンではなく、第3幕で起こることが問題だった。ミシェルの“あの行動”がね。だから『アメリカでこうした映画が作れたと思うか?』という質問の答えは、『頑張ってみたけど、だめだった』ということだ(笑)」
しかし、そのことが結果的にはいい風に働いたとヴァーホーヴェン監督は満足げに語ります。フランスの名女優、イザベル・ユペールをミシェル役にキャスティングすることができ、彼女は第74回ゴールデン・グローブ賞女優賞をはじめとした映画賞に輝く名演を見せたからです。
「今は、そもそもアメリカ映画にしようとしたのがバカだったと思う。実際この映画はとてもヨーロッパ的だからね。フランスの文化とフランスの人々は、この映画を擁護してくれた。もしアメリカで作ったとしたら、『氷の微笑』のようなテイストの映画になってしまったと思う。この映画ではそんな風には全く感じないでしょ? だから、アメリカ映画にできなくて、僕たちはとてもラッキーだった。僕たちに起きたことで最も素晴らしく、重要なことは、イザベルがこれをやりたいと思ってくれたことだ。彼女はとても大胆な女性だ」
ヴァーホーヴェン監督自身は「ポリティカル・コレクトネスなど気にしない」と断言しますが(そりゃそうだ)、そうした映画は確かにアメリカで作りづらくなっており、それ以上に、パーソナルな作品が作りづらくなっているそうです。
「ただスタジオが望むものを映画にすると、自分が空っぽになったように感じるんだ。『インビジブル』(2000)を撮影しているとき、これはわたしがしたいことではなく、スタジオがしたいことをしていると感じた。だから身を引き、もっと知的で、芸術的なことをやろうとしてヨーロッパに戻った。それで『ブラックブック』(2006)や『エル ELLE』をやったんだ」
その理由は、ハリウッド映画は1億~3億ドルといった莫大な製作費で作られ、スタジオはいかなるリスクも回避する傾向にあるから。『スターシップ・トゥルーパーズ』の時点で(製作費約1億ドル・約110億円)、ポリティカリー・インコレクト(政治的・社会的に不公正)な作品を作ることはほとんど不可能になっていたといいます。それでも作ってしまったわけですが。(1ドル110円計算)
「『スターシップ・トゥルーパーズ』のヒーローやヒロインはある意味ファシストだったから、当時の観客は完全に混乱していたよ。『スター・ウォーズ』のようなSFではなく、ヒトラーのためにレニ・リーフェンシュタール監督が作ったドキュメンタリー『意志の勝利』を基にした“アメリカ社会はファシズムへ傾倒していく”という可能性を示した作品だったから。それが、僕たちが表現したことだ。そう信じているかは別としてね。でも実際、この映画は僕よりも賢かった(笑)。911が起こったり、トランプが大統領になったり、ある意味リアルになったわけだから。この映画は、公開されたときは確かにポリティカリー・インコレクトだった。今は皆そういう風には思わないと思うが。でも当時そうした映画を作ると、ポリティカリー・インコレクトということでたたかれたんだ」
楽しくて物議を醸しているわけじゃない!
過剰なエロやグロ、道義的に問題のあるとされる作品を次々に発表し、『ショーガール』が、その年の最低映画を表彰するラジー賞を総なめにした際には、ラジー賞史上初めて授賞式に参加するという豪胆ぶりを見せたヴァーホーヴェン監督ですが、「人々を動揺させよう、怒らせようと思って映画を作っているわけじゃない。本当に違うんだ。時には本当に予期していなかったこともある。だから動揺させるためにやっているのではなく、自分自身の表現をしたら、ただそうなってしまったわけさ」と熱く語ります。
「だから『ショーガール』であんなにたたかれるなんて思っていなかった。あれは、アメリカ人の視点から見たら完全にポリティカリー・インコレクトだったんだ。正直に言ってあの結果がわかっていれば、たぶんあんなことはしなかったのに。人々があんなに『ショーガール』を受け入れられないなんて気付かなかった。ヌードがOKだと思ったわけじゃないけど、ショーガールは胸を見せるものでしょ! だからOKだと思った。それが人生だから。もしベガスに行けば、こんな感じなわけでしょ。ヌードの女の子たちがいるんでしょ! それが現実だからOKだと思った。だけど、映画では全く受け入れられないことが判明した。だから人々を動揺させる、怒らせるというのは、時には“もしかしたらそうなるかもしれない”とわかるかもしれないけれど、したくてするもんじゃない。だって自分が被害者になるわけだから。自分のビジョンの被害者になりたい人なんて誰もいないでしょ?(笑) それは僕が興味を惹かれる部分ではない」
「『ショーガール』を作ってめちゃくちゃたたかれて、次の年はもう最低だった。僕はブラックリストに載せられ、『スターシップ・トゥルーパーズ』や『インビジブル』といったSFしか作ることを許されなかった。『ショーガール』以降は普通の、SFじゃない映画が作れなくなってしまったんだ。誰もお金をくれなくなった。彼らは怒っていたから」
『ロボコップ』や『トータル・リコール』(1990)での成功実績があったため、SF作品は作り続けることができたものの「それ以外のノーマルな映画では全く信用してもらえなくなった」と自らの黒歴史を振り返りますが、達観したヴァーホーヴェン監督はこう続けます。
「ポリティカル・コレクトネスが果たす役割はあるが、僕はそれを考慮に入れない方がずっと大胆だと思う。自分自身を、自分のキャリアを傷つけるリスクを取らないといけない。リスクを取らないなんて、やっている意味がない。『ショーガール』も『スターシップ・トゥルーパーズ』もやったのは、今までやったことのないようなユニークなものだったから。自分の選択がもたらした結果と共に生きていかないといけないんだ」
いいアートとは平手打ちのようなもの
そして昨今のハリウッドのトレンドは、大ヒットを前提にしたスーパーヒーロー映画の量産。『ロボコップ』ではヒーローを執拗なまでにズタズタに引き裂いたヴァーホーヴェン監督は、このトレンドをどう見ているのでしょうか?
「人々が好むようなそういう映画は観ていない。2~3億ドル(約220~330億円)で作られる映画で、業界が考えるのは収益のことだけだよ。2億ドルかけて作り、1億ドルかけて宣伝。そうしたら10億ドル(約1,100億円)稼いでトントンだ。だから、なるべくリスクを少なくするというのが重要になる。そうした映画を作るんだったら、観客を動揺させないようにしないといけない。挑発的であってはダメだし、ポリティカリー・インコレクトではダメで、世界を邪悪に描いてはいけない。業界が考えているのは、勝つこと。全ては金だ」
「『エル ELLE』の製作費は800万ドル(約8億8,000万円)というハリウッドでは取るに足らない額で、こっちが何をしようが誰も気にしない。でも『スーパーマンvsスパイダーマン』(!)は観客みんながハッピーに! という感じで作らなくてはいけない。そうでしょ? これは僕の意見だが、こうしたことは映画をつまらないものにしている。もちろんテクノロジーの革新は大きく、大部分をデジタルで作ることができ、巨大なスペクタクルを生み出すことができる。でも、常にポリティカル・コレクトネスに左右され、観客を喜ばせなくてはいけない。彼らは映画館を出たら『いい夜だね』と言うわけだから。それが、彼らが求めているものだ」
スタジオの言いなりではなく、パーソナルな、今まで観たことのないような映画作りを追求したヴァーホーヴェン監督。それこそ、結果的には問題作と呼ばれる作品を作りつづけてきた理由でした。
「僕は“いいアート”とは、時に心をかき乱すようなものだと思うし、そういうものであるべきだ。それは観る者を動揺させ、怒らせなくてはいけない。確かにアートは“美”だが、“美”だけであるべきではない。矛盾があり、人々を動揺させ、彼らに違う考えをさせるものであるべきだ。彼らを不安にすべきだ。僕はいいアートは挑発的で、大胆で、ちょっと平手打ちのようなものであるべきだと思う」
映画『エル ELLE』は8月25日より全国公開
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