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映画に見る認知症と介護~時の流れとともに介護は変わったのか?~

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恍惚の人
老い方は人それぞれ。どのように老いていくかも予測不能である。iStock.com / Mansoreh Motamedi

 私たちは誰もが例外なく老いていく。ただ、その老い方は人それぞれであり、どのように老いていくかも予測不能である。高齢者介護の困難も、そうしたところに原因があるのかもしれない。特に問題とされるのが認知症の人の介護だろう。

 数年前、認知症高齢者460万人超え、認知症予備軍といわれる「軽度認知障害(MCI)」も400万人を超えた、という数字が報じられた。(2013年に厚生労働省の研究班が発表)65歳以上の実に7人に1人が認知症ということになる。自分の両親のどちらかが認知症……となるのも、遠い将来の話ではないだろう。

 認知症とその介護の難しさが描かれた映画は少なくない。初めて「認知症(かつては「ボケ」や「痴呆症」と呼ばれていた)」を真正面から描いたといえるのが『恍惚の人』(森繁久彌主演・豊田四郎監督・1973年)だが、そこからすでに45年近くが経っている。時代の移り変わりに伴い「認知症」や「介護」の捉え方にどのような変化があったのか。あるいは、なかったのか。そのことを見てみたい。(山村基毅)

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認知症を描く先駆的な作品だった『恍惚の人』

恍惚の人
映画『恍惚の人』DVD発売中4,500円+税:発売・販売元:東宝

 『恍惚の人』は、いまから見ても認知症を描く映画として先駆的な作品である。有吉佐和子原作の先見性に拠るところも大きいが、映画も認知症の症状や介護の困難さ、それゆえに起こる家族間の軋轢をきっちりと描いているのだ。父親(森繁久彌)が変調をきたしたのは妻を亡くしてからだった。84歳で、当時の男性の平均寿命を10歳以上超えている。長男夫婦と孫(高校生の男の子)の住む家の離れに暮らしていたが、心配になったため同居するようになる。実の息子や娘のことが分からなくなり、徘徊もはじまる。食事をしたことを忘れ、何度も食べようとする。そして、肺炎で倒れて以後、弄便(ろうべん)がはじまる(自らの大便を壁になすりつけたりする)。このあたりの描写はかなりリアルだが、白黒映画のためか、汚さを感じさせない。

花いちもんめ
映画『花いちもんめ』DVD発売中4,500円+税:販売:東映・発売:東映ビデオ

 父は唯一、嫁の昭子(高峰秀子)のことだけは認識しており、介護にあたるのは、この嫁なのである。 この映画の12年後に封切られた『花いちもんめ』(千秋実主演・伊藤俊也監督・1985年)もまた、父親(千秋実)が認知症となり、息子の嫁(十朱幸代)が世話をすることになる。老父と老母は松江に二人で暮らしているが、老父が歴史資料館の館長を辞めたころから認知症の症状を見せはじめる。病院の検査で、認知症と診断(アルツハイマー型老年痴呆といっている)。その後、老母が倒れて入院。しかたなく長男夫婦が父を引き取り、一緒に暮らすことになる。徘徊がはじまり、家族の識別もできなくなってしまう。この後、老母が亡くなり、父の世話をする嫁が夫の無理解に癇癪を起こし、ついには病院に入れることになる。しかし、病室で拘束される父を見て、夫が退院させて引き取ることになるのだった。

人間の約束
あの頃映画 松竹DVDコレクション『人間の約束』価格:2,800円+税・発売・販売元:松竹(C)1986 西武セゾングループ/キネマ東京/テレビ朝日

 この作品とほぼ同時期に作られた『人間の約束』(三國連太郎主演・吉田喜重監督・1986年)では、老夫婦の妻(村瀬幸子)のほうに認知症の症状が出る。また、夫(三國連太郎)の精神状態も危うい。冒頭、その老母が亡くなり、これは殺人かもしれないという謎が提示されるのだ。夫である老父が「おらが殺しただ」と自首し、そこから時間をさかのぼり、老母の認知症が描かれていく。初めは徘徊、歩けなくなると寝たきりに。家族が面倒をみきれず、病院に入れるが、ひどい待遇を見て、家に連れ帰ることに。ここで、嫁(佐藤オリエ)が「私が面倒をみるわ」と宣言するのだ。寝たきりの老母はひたすら「殺しておくれ」と口にする。夫である老父は何度か妻を殺そうとするのだが……。この父も逮捕後、認知症がひどくなり、失禁したり、面会に来た息子のことも分からなくなるのだ。

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介護保険制度スタートとともに映画内容も変容

「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ
介護するのは、同居する実の娘(秋吉久美子)-『「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ』発売:テンダープロ/販売:アルバトロス・税抜価格:3,800円・(C) 2012「わたし」の人生製作委員会

 高齢者の介護において大きな転機となったのは、2000年(平成12年)4月の介護保険制度スタートである。ここを境に介護の仕方の変容がはじまったといえる。いろいろと問題点はあるものの、介護保険を利用することによって、ヘルパーの訪問、デイサービスへの通所、福祉器具の貸与などが、かつてより安価に利用できるようになったのは確かである。そして、介護に対して家族以外の力も借りられるようになった。当然、介護保険制度導入を機に認知症や介護を描いた映画のほうも様変わりをする。

「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ
『「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ』発売:テンダープロ/販売:アルバトロス・税抜価格:3,800円・(C) 2012「わたし」の人生製作委員会

 たとえば『折り梅』(吉行和子主演・松井久子監督)は、ちょうど介護保険制度導入の直後の2002年に封切られている。老いた母(吉行和子)が三男夫婦と同居するところから映画ははじまり、環境が変わったせいか、母が変調をきたしはじめる。ただ、ここでも夫は介護に無関心で、母の面倒は嫁(原田美枝子)がみることになる(ここでは「痴呆」「アルツハイマー」の表現が使われている)。母は「金を取られた」と騒いだり、大量のパンを買っては隠しておいたりする。嫁は職場の同僚に「一人で背負おうとするな」と忠告されて、介護保険について調べはじめるのだ。週に5日間、ヘルパーに来てもらうが、それでも母の症状は進行しつづける。ついにグループホーム(認知症の老人を少人数だけ引き受け、世話をする施設)に入れることを決意する。結局、母と嫁とが会話を重ねることでグループホームには行かせないことになるのだが、その後、昼間だけ老人の面倒を見てくれる集まりを知り、そこに通うようになるのだ。

 このような介護に関するシステムについて、2012年の『「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ』(橋爪功主演・和田秀樹監督)になると、さらに明確に説明される。この映画では、認知症になった父(橋爪功)を介護するのは、同居する実の娘(秋吉久美子)になっている。父は英文学の学者であるが、ある時、急に警察官に殴りかかったり、道路上で女性に抱きついたりしてしまう。病院で検査を受けると、前頭側頭型認知症と診断される。これは認知症の一つで、感情の抑制ができなくなるのだ。とりあえず、週に2回、デイサービスに通うことに。娘は家族会に参加し、さまざまな認知症の症状について知る。特別養護老人ホームに空きがないため、割高となる有料老人ホームを探したり、本人の判断力が低下していくことを見越して成年後見制度について調べたりする。最後は、父が住宅型有料老人ホームに向かうところで終わる。

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時代とともに介護者が嫁から、息子や実の娘に

ペコロスの母に会いに行く
『ペコロスの母に会いに行く 通常版』(C) 2013『ペコロスの母に会いに行く』製作委員会・発売・販売元:TCエンタテインメント

 『ペコロスの母に会いに行く』(赤木春恵主演・森崎東監督・2013年)では、認知症になった母(赤木春恵)と中年の息子(岩松了)のやり取りが軽妙に描かれるが、結局息子一人では母の世話ができないため、グループホームに入れることになる。この息子、実に親孝行であり、頻繁にグループホームを訪れるが、母は少しずつ息子のことも分からなくなっていく。帽子を取り、その禿頭を見せると息子だと分かるというあたりが、おかしい。『サクラサク』(藤竜也主演・田中光敏監督・2014年)になると、認知症の父(藤竜也)の介護に関する苦労話は前半だけとなり、息子(緒形直人)の家族による父のルーツ探しになっていく。

ベトナムの風に吹かれて
『ベトナムの風に吹かれて』発売・販売元:株式会社ローランズ・フィルム (C)「ベトナムの風に吹かれて」製作委員会

 ここでは介護の主体は息子で、嫁は舅の面倒をみたがらない、という設定である(夫婦には何か事情がありそうだが)。息子としては、母を亡くした後に男手一つで育ててくれた父のことが大切なのだ。そこで、父の生まれ故郷である日本海沿いの町へと、車で向かうのである。そして、父の幼いころの暮らしなどが明らかにされる。

 『ベトナムの風に吹かれて』(松坂慶子主演・大森一樹監督2015年)は、認知症の母(草村礼子)を実の娘が世話するという話だが、ここでは兄の家族に疎まれる母をベトナムに呼び寄せるという展開になっている。娘は日本語学校で働いているのである。前半での母はほとんど普通の老人のごとき振る舞いなのだが、後半になって一気に認知症がひどくなる。「おむつじゃ、できねえ!」と叫び、一晩中、娘を起こしつづける。娘も最後は「いいかげんにしてよ」とキレてしまい、母をベッドに縛りつけることに。

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親の介護から、家族の問題が浮き彫りに

恍惚の人
映画『サクラサク』DVD発売中4,700円+発売元:東映ビデオ 販売元:東映

 認知症の親の介護を描いていくと、必ず「家族」の問題にぶち当たる。親子や夫婦関係の歪みがあらわにならざるをえないのである。たとえば、『花いちもんめ』『人間の約束』『サクラサク』では、いずれも息子、つまり夫の不倫が夫婦間のわだかまりとして描かれる。また、『花いちもんめ』では嫁の側もアルコール依存の傾向があるのだ。そして、家族関係そのものも時代によって変わっていることが分かる。たとえば、介護の当事者となるのが、古い作品だと必ず「嫁」である。それが、実の娘、息子になっていく。それだけ「舅姑の世話は嫁の責任」という因習が壊れつつあるということなのだろう。介護を必要とする高齢者が暮らす施設として、かつては病院が普通だった。『人間の約束』あたりまでは、長期入院、いわゆる社会的入院が扱われている。が、それができなくなっていくのも時代の趨勢である(いまでは医学的治療の必要がなければ数か月で退院させられる)。

 そして、認知症になった老父や老母の生い立ち、家庭環境などに関心が向いていくのも、過去の作品にはなかった傾向かもしれない。認知症のリハビリに「回想法」という、過去の思い出を聞いていく方法があり、認知機能の改善につながる例もある。作り手にそうした意図があるかどうかは分からないが、認知症の高齢者が心に留めている記憶を蘇らせることは、けっして悪いことではない(『ベトナムの風に吹かれて』で、ベトナム人の名女優が認知症となるのだが、かつての舞台を再現する場面がある)。今後、さらに高齢化が進むと、認知症の高齢者は急増する。否応なく、私たちは自ら介護する場面に直面するはずである。そのことへの心構えはしっかりと作っておいたほうがいいようだ。

山村基毅(やまむらもとき):プロフィール 1960年、北海道出身。ルポライター。インタビューを基軸としたルポルタージュを発表。著書に『ルポ介護独身』(新潮新書)、『戦争拒否』(晶文社)、『民謡酒場という青春』(ヤマハミュージックメディア)とさまざまなテーマにチャレンジしている。映画が好きで、かつて月刊誌にて映画評を連載したことも。

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