現実と幻想が溶け合う…伝説のカルト監督アレハンドロ・ホドロフスキーを支えた日本人
今週のクローズアップ
1971年に映画『エル・トポ』が深夜上映で大ヒット。ジョン・レノンがぞっこんになり、同作と次回作『ホーリー・マウンテン』の配給権を買い取ったという逸話は有名だ。それ以降、“伝説のカルト映画監督”として愛されてきたアレハンドロ・ホドロフスキー。23年ぶりの新作となった自伝的映画『リアリティのダンス』(2013)では相変わらず、現実と幻想が溶け合うかのような、唯一無二の世界観を見せつけた。今年、その待望の続編『エンドレス・ポエトリー』が日本公開を迎える。御年88歳、ホドロフスキーの衰えを知らないクリエイティビティーはもちろんのこと、もう一つうれしいことが。オープニングクレジットには日本人の名があったのだ。この続編の完成を陰で支えた人物こそ、日本の配給会社アップリンクの代表・浅井隆氏だ。本作でプロデューサーを務め、彼の創作活動を間近で見つめた浅井氏に、その興味深い体験を聞いた。(編集部・石神恵美子)
まだ映画撮ってたんだ!生ける伝説が目の前に
ホドロフスキーの映画、『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ/聖なる血』などは、観ていたという浅井氏。カンヌ国際映画祭で23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が上映されると聞いて、「あれ、ホドロフスキーって現役で映画撮っているんだ!」と思ったという。「ちょうどそのとき『ホドロフスキーのDUNE』という、(フランク・)パヴィッチ監督が撮ったホドロフスキーが出ているドキュメンタリーもあって。両方ともカンヌの監督週間で上映されてたんで、これは絶対に観ないといけないと思って行ったら、ホドロフスキーがステージに出てきて、舞台あいさつをしているんで『おー!』と思って」。当時、伝説だった人が生きているだけでも感動した浅井氏は、さらにその新作が素晴らしい出来であったことに感銘を受けたと当時を振り返る。そして自らの会社アップリンクで配給したいと強く思ったという。
また、ドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』でのホドロフスキーの語り口にも魅了されたという浅井氏。同作はホドロフスキーが1975年にSF小説「デューン」の映画化を試みるも、取りやめになってしまった過去に迫っている。ホドロフスキーが映画版「デューン」を完成させていれば『スター・ウォーズ』をしのぐSF大作になっていたのではないかとも言われている伝説的なSF映画だ。「僕はSF映画が好きだったから、彼の『DUNE』のチームが『エイリアン』に行き、『ブレードランナー』にも(影響を与え)、そして『ブレードランナー 2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督も「デューン」映画化をやるって話が出ているということは、その企画が確定するかどうかは別だけど、『ブレードランナー 2049』の原点はホドロフスキーにあるのかなと思ったり、わくわくするよね。カンヌの監督週間でも『ホドロフスキーのDUNE』と『リアリティのダンス』が連続で上映されていたりしたので、日本でも2本配給したいなと思った」と明かす浅井氏は、両作の配給権をなんとか獲得し、『ホドロフスキーのDUNE』を先に、『リアリティのダンス』をその後で日本公開することとなった。
ついにホドロフスキーと対面!手土産に困った!
公開にあたり、プロモーションのためパヴィッチ監督とホドロフスキーに招聘をかけた浅井氏だが、「パヴィッチ監督には来日してもらい、さて、ホドロフスキー。歳も歳だし、来てくれるかどうか……」と一抹の不安を抱えながら、パリ在住のホドロフスキーを訪ねたという。「何をお土産に持っていけばいいんだと(笑)。あんなクレイジーな監督に……普通のものじゃ……とか考えて、結局、桐の箱に入ったとらやの羊羹(笑)。それを紫の風呂敷に包んで持って行って。でも、そこはわりとさらっと『おおー』って感じで、奥さんのパスカルが台所に持って行って切って、ハイとかって出してくれたんで。その羊羹とコーヒーをいただきながら、日本に来てくださいという話をしたんだよね」。ホドロフスキーは日本人の禅僧に師事したことがあるなど、日本文化に影響を受けたことでも知られている。過去に来日経験もあり、ぜひまた日本に行きたいとの返事を受け、来日が決まった。
“同志”として選ばれた!
来日中には、次回作についての質問もよく上がっていたそうで、当初はホドロフスキーが原作を手掛けたコミック「フアン・ソロ」の映画化を予定していた。「でも、最終的に『リアリティのダンス』の続編をやるってなって。次回作にアップリンクも出資すると、僕が社長として決めてからは、まあ、大変なことになるなっていうのは想像していたんだけど、人に迷惑はかけられないなと思ったんで、アップリンク一社でお金をなんとかやりくりしたんだ」。その後、ホドロフスキーとパリ在住のチリ人プロデューサーのハビエル(・ゲレロ・ヤマモト)の3人で、サトリフィルムという製作会社を立ち上げたという。「ただ、サトリフィルムには一円も出してないし、“同志だ”と言われて、引き下がるわけにはいかなくなったんだ」と笑みを浮かべて述懐する。
資金提供者が価値を決める“ポエティック・マネー”を考案
そこで浅井氏は資金集めのために、クラウドファンディングを思いついたというが、ホドロフスキーは消極的だったという。「実は、『リアリティのダンス』でもクラウドファンディングを自分たちでやっていたみたいで。ところがそこはクラウドファンディングのプロではないので、集まったお金のリターンに、DVDを渡すとか考えていたんだけど、それがめんどくさくなったようで、プロデューサーのミシェル・セイドゥーからある程度のお金が出資されたので、集まったお金は返したらしい」。それでも、ホドロフスキーの名が世界に通っていることに賭け、世界最大のプラットホームであるKickstarterでクラウドファンディングすることに。「でも、Kickstarterで集めるのも渋ってて、いわゆる自分を安売りしたくないし、寄付されて踊るみたいなことはやりたくないと。僕もそれはホドロフスキーのイメージが崩れるから、やってほしくないなと思った。そこで考えて、等価交換の“ポエティック・マネー”というのを考え出して。ある意味、一万円札も価値があるって信じているだけじゃない? 燃やせば消えていく紙なわけで、価値があるって信じているだけ。ポエティック・マネーも価値があると信じれば、価値がある。100ドルと交換に100ポエティック・マネーと両替する。そう考えると、減ってないんだよね。いや、ホドロフスキーのポエティック・マネーは100ドルよりもっと価値があると思えば、得している」。所有者がその価値を決める“ポエティック・マネー”のアイデアをホドロフスキーも気に入り、スタートを切ることとなった。「アップリンクのスタッフが中心になって、日本発信で世界からお金を集めて、44万ドル(約4,840万円、1ドル110円計算)くらいかな。そこにアップリンクから出したお金と、ホドロフスキー自身が出したお金。あとは個人の投資家とか出資家とかが出してくれて」。そうして何とか目標金額に達したという。
自分を覚醒させていく監督に共鳴する人続出…究極のヒーリング映画
ホドロフスキー自身は完成した本作を「ヒーリングの映画」だと言う。「“癒やし”って聞くと、エステみたいなことを考えちゃうけど、ホドロフスキーの言うヒーリングっていうのは、もう一度自己を見つめ直すこと。生きていくエネルギーは自分の外にあるわけではなく、自分の中にしかないわけで、自分が生きると思わない限り、生きていけないわけで、自分をきちんと覚醒させて見直すというのが彼の言うヒーリングだと思うので、映画を通して彼自身が自分を発見していくという。自分を発見するとか言うと、くさいじゃない? なんか10代のころみたいで(笑)。でも、80歳過ぎたおじいちゃんがもう一回自分を発見するっていうのは、観ている人に共鳴するというか」。本作が東京国際映画祭で一足先に上映されると、Twitterなどで「涙が出てきました」という感想を多く見かけたという浅井氏。「不思議だよね。恋愛映画で悲しいとか、悲劇が起きるとかで泣くんじゃなく、あの映画を観て、何で泣くんだろう? って。それはなんか、生きる力をあの映画から与えられるというか、そういう力があるんだと思う。そういう意味で、彼の言うヒーリングというのは成功していると。ホドロフスキーの言うヒーリングは、自分を見つけることだから」。
【取材後記】映画はアートにもなり得る
今回、ホドロフスキーの来日はなかったものの、彼の息子で、『エンドレス・ポエトリー』で主演を務めたアダンが初来日を果たした。そのアダンが言うには、ホドロフスキーは『エンドレス・ポエトリー』に続く脚本をすでに書き始めているとのこと。となると、浅井氏はふたたびホドロフスキーと長い旅路を共にするのか? それには「いやーーー、お金があればね!」と笑う浅井氏だった。クラウドファンディングで映画製作を実現できたホドロフスキー監督は「今回の目的は、この映画を非商業的なものとして、自分にとって誠実に、アートとして作ることだった。映画はアートにもなり得る。でもそれを成し遂げるためには、僕は新しい協力者を見つけなければならなかった。それが映画の最後のクレジットに出てくる、今回資金を出してくれたすべての人々だ。1万人以上いる」と感謝を寄せる。“芸術のための芸術”を掲げた映画は経済的利益を生まないかもしれないが、精神的利益を生むのは確かだろう。
映画『エンドレス・ポエトリー』は11月18日より全国公開