村本大輔がアメリカで挑む、スタンダップコメディアンへの道!
今年2月、ウーマンラッシュアワーの村本大輔がロサンゼルスにある小さなコメディークラブのステージで、スタンダップコメディーを英語で披露した。村本が英語でのスタンダップコメディーを目指したのは、2017年春のこと。全くゼロだった英語力との戦い、誰も見ることのなかった1年に渡る村本の初舞台 in LAまでの軌跡(奇跡)を伝える。(取材・文:森田真帆)
伝説のスタンダップコメディアンとの出会い
テレビに出たくて芸人になって、漫才で優勝してテレビに出るようになる。2016年、人気絶頂の最中、村本には大きな疑問が生まれてきていた。それは「お客さんはライブに何千円も払って来てくれるけど、テレビにお金を払うようになったらじゃあ一体いくら払う? 企画も何もなく笑いが取れるネタが芸人にはあるのに、なんで企画ありきのテレビにこだわらなければならないのか。自分が好きなネタもできない、前からそんな不満が溜まっていた時に秋元康にジョージ・カーリンというアメリカのスタンダップコメディアンを教えてもらった。
動画を見た時の村本のショックは大きかった。「本質的なことを笑いにして、ファニーとインテリジェンスにしびれた。10万人以上の大観衆を前に、大爆笑を巻き起こしているジョージがかっこよかった」という村本は、「ネタで勝負して成功するってことを証明する! アメリカでスタンダップをする!」と決意。そこから村本の挑戦が始まった。
もはや小学生以下?ゼロからの英語勉強がスタート
アメリカでスタンダップコメディアンになる、と口では言っていても、まず英語が話せなければステージの上に立つことすらできない。中学英語もままならないほどの村本の英語力は、彼の英語教師となったお笑い芸人・いるかパンチのステファンが「小学生以下」とため息をつくほど、ABCもろくに言えない最低レベルからのスタート。英語が話せる村本の友人は、朝夜問わず彼と一緒に英語を勉強することになった。
「何度もくじけそうになったけど、できないことはないって思っているから、絶対に俺ならできるって信じ続けてきた。今、自分はお笑いにしか興味がなくて、英語でスタンダップやったらどうなるんやろという好奇心しかない。だからとにかく頑張る。世界で通じる英語を学んで、成功したい」と話す村本は、朝も夜も問わず、時間を惜しんで仕事の合間に勉強を続けた。
2017年夏、初めてのロサンゼルス留学
2017年夏は、当時村本がハマっていた映画『ラ・ラ・ランド』の舞台でもあるロサンゼルスに初めてのホームステイ留学。アメリカ人家庭にホームステイして、英語を学ぶ……つもりだったが、実際に初めてのホームステイを経験し、現地でネイティブとの英会話に挑戦した村本の感想は……。
「犬としゃべる方が簡単だと思った」
村本は毎日のように絶望を感じたのだそう。「何を言っているのかわからない。ホームステイ先の子供としかロクに話せなかった」と落ち込みながら帰ってきた村本だったが、アメリカでコメディアンとして舞台に立つという夢は諦めたわけではなく、早朝の英会話レッスン、そして時間を見つけてはテキストを読み込む毎日だった。
サンフランシスコにも立ち寄り、大先輩と対面へ……。
渡米した大先輩、野沢直子さんとツーショット。
2018年春、コメディーハウスのステージに立つという奇跡
「ABC」すらまともに言えなかった男・村本が、2018年、ロサンゼルスのコメディークラブに立ったのはまさに奇跡。「1か月近く、アメリカに行ってくる! 向こうでスタンダップに挑戦してくる!」と豪語した村本に、周りの友達が盛り上がったと同時に、心底心配したのはいうまでもない。
英語学校に午前中通いながら、英語でも通用するネタを考え続けた村本は、出来上がったお笑いを、仲間たちの助けを借りながら英語に訳し、そしてそれを丸暗記していく。タクシーに乗れば、運転手さん相手にネタの練習を繰り返した。
本番当日。ステージに立った村本は楽しそうに観客の笑いを取っていた。同じステージに参加したアメリカ人のコメディアンたちもショーが終わると「最高に面白かった!」と次々に声を掛けていく。村本にとって、スタンダップコメディアンへの小さな、小さな第一歩となったが、同時にそれは誰も想像できないほどの努力の末に踏み出した、大きな一歩でもあったと言えるだろう。
コメディアン仲間と、スタンダップの後に話が弾む。
初舞台成功を、クラムチャウダーでお祝い。
本番の様子はこちらのニュースで!
番外編は動画で!
村本の挑戦はまだまだ続く。