『孤狼の血』の原点!『仁義なき戦い』菅原文太の男も惚れるカッコよさ
名画プレイバック
昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島。架空の街、呉原市を舞台に刑事とヤクザ、それを取り巻く二人の女をものみ込みながら情け容赦ない抗争劇が展開する映画『孤狼の血』が5月12日に公開される。監督は『日本で一番悪い奴ら』『彼女がその名を知らない鳥たち』『サニー/32』と立て続けに毛色の異なる鋭い話題作を連打して注目を浴びる白石和彌監督。原作を手掛けた柚月裕子が「小説『孤狼の血』を書いたきっかけ」というのが、1973年、深作欣二監督による映画『仁義なき戦い』だ。(浅見祥子)
どどどどん、どどどどん……地を這うような太鼓の音。荒磯に白波がくだける映像を背景に“東映”の白ヌキ文字が浮かぶ。そこへ、どっか~ん! 広島に落とされた原爆の、あのキノコ雲がもくもくと広がる。チャララ~チャララ~、差し込まれる聞き覚えのある旋律。赤い文字で画面を切り裂くように、“仁義なき戦い”のタイトルが刻まれるーー。
映画『仁義なき戦い』はそんな風に、本当に原爆のキノコ雲から始まる。舞台は昭和21年の広島県呉市(こっちは実在する街)だ。
「敗戦後すでに1年、戦争という大きな暴力こそ消え去ったが、秩序を失った国土には新しい暴力が渦巻き、人々がその無法に立ち向かうには、自らの力に頼るほかなかった……」
「刑事コロンボ」でお馴染み! の小池朝雄のナレーションはどこまでも平坦で冷酷なまでに抑揚がなく、文章でいえば新聞記事のように正確に語られていく。それはヤクザ同士の血の抗争をドキュメンタリータッチで描く熱い映像のそこここで、静かにそっと句読点を打つように挿入される。戦争ですべてが粉々に破壊された街で、けれどすべてを失った人々の生きるエネルギーが渦巻く闇市。その文字通りのカオスのなか、あちこちで縄張り争いが起き、小競り合いが繰り返され、やがてそれがいくつかの組織をなし、ヤクザ組織になっていく。その流れを体感させる導入である。
原作は戦後に起こった広島抗争を、その当事者の一人である美能幸三の手記をもとにした実録小説。主人公はその美能幸三をモデルにした広能昌三だ。演じるのは菅原文太なのだが、これがもうべらぼーに格好いい。雑然とした大衆酒場の片隅で、「そんな時代遅れなもん!」と言われながら蓄音機から流れる軍歌に耳を傾ける広能。軍帽をちょこんと頭に載せ、人差し指と中指の間に挟んだ煙草をくゆらしながら酒をすするその姿に……うううっ、しびれてしまう。
この映画が公開されたとき、菅原文太はちょうど40歳。『仁義なき戦い』のヒットのあとで立て続けに制作されたシリーズに主演してスター街道を爆走することになるのだが、この人の色気の正体は何なのだろう? 黙っていたらまぎれもないハンサムだけどどこか無骨そうで、くぐもった声でぼそぼそしゃべる呉弁を聞いていると、この男がウソやおべんちゃらを言うわけがないと思えてくるから不思議だ。自分の中に揺るぎない芯を持っていて時流に乗ることは決してない、そんな広能そのものに見え、だからこそこのあと辿ることになる激しい抗争にのみ込まれて翻弄される姿が物悲しい説得力を持つことになる。
菅原はこの映画の2年後に公開された映画『トラック野郎 御意見無用』もシリーズ化され、コミカルな演技も評価を受けるのだが、この広能役にもその根底に人間のおかしみのようなものがほんの少しだけにじんでいるような気がする。人間は完全な存在ではない、だからこそいい、というような。この映画では広能だけでなく、そうしたキャラクターがたくさん登場する。
広能は復員後の闇市で山守組の組員に代わり、友人のために犯した殺人で服役する。出所後、山守組の一員になるのだが、金子信雄演じるこの組長がスゴイ。ケチで臆病な生まれながらの“小者”。そのくせ策士でもあって、保身のためなら平気でウソをつくし、ウソ泣きもするし、子分同士をぶつけて自滅させることに何の躊躇もない。それを演じる金子の、甲高い声で、口をとがらせながらしゃべる様子の小憎らしいこと!
山守組は同じ呉の土居組との対立を激化させる。ついに土居の組長のクビをとるしかないところまで追い詰められ、組員らが集まって話し合う。「このところ体の調子が悪うて、行っても働けるかどうかじゃの」「わしゃ、他にも手があると思うんじゃがの」と殴り込みに行きたくない心情を何食わぬ顔で、わりとそのままアピールする組員たち。
田中邦衛演じる山守組の槇原政吉は、さらにあからさまだ。小心者という意味でどこか組長に通じるところがあって、その時々の空気を読むことにだけは長けていて、ここでも大げさにウソ泣きをしてみせる。「わしゃ死ぬいうて問題じゃないが(←ウソつけ!)、女房がの。腹に子がおって、これからのことを思うとったら、かわいそうでかわいそうで……うわ~ん」。女房のせいかよ! 頼りな~い! そんな男を田中邦衛が演じると、何だか憎めないかわいらしさが(少しだけ)にじむから不思議だ。
そうして組長は鉄砲玉を買って出た広能に「(刑務所から)帰ってきたらわしの全財産をお前にくれちゃる」とか言ったくせに、刑期を務め上げた広能に向かって「そがな昔のこと誰が知るかい」って、おい! と突っ込みを入れたくなるようなことの連続なのだ。親分には忠誠を、とあくまで揺るぎない広能が悲しい……。
松方弘樹演じる山守組の若頭、坂井鉄也はティアドロップ型サングラスがキマる格好いい男だが、その坂井も映画の後半、広能が自分を殺そうとしている! と勘違いした瞬間、慌てふためいて命乞いを始める。ヤクザの世界を美化してドラマチックにしちゃうのはナシで! という実録路線ならではのキャラ続出である。
一方、広能が最初に入った刑務所で出会ったのが、梅宮辰夫演じる土居組の若頭、若杉寛。二人は刑期や保釈金の話をしていて、そのついでに、ちょうど今思い出したみたいに「ああ…わしゃあこれから腹ぁ切るけんの。ちっと手つどうてくれんや」と言い出す若杉。「腹を切ってどうされるんですか?」とさすがに驚く広能に、「ここらのヤブ医者はよう直さんけ、すぐ保釈で出られようが。ええところで自殺じゃあいうて騒いでくれや。もし下手やって、切り過ぎて苦しむようやったら、ひと思いに絞め殺してくれ。ええな」と、淡々と説明する。
……この感じ。このシーンでは、この映画で描かれる数少ない本気のヤクザの、死ぬことへの感覚が伝わってゾクっとする。若杉はまさにそのうちの一人、一本筋の通った極道で、だからここは唯一例外的に彼らの死への、ちょっと格好よく思えなくもない感覚が描かれていて惹きつけられてしまうのだ。このあと若杉は、そんな自分の申し出を当然のようにそのまま引き受ける広能に、「これを縁にわしと兄弟分にならんか?」といい、2人は若杉が囚人服に仕込んでいたカミソリで腕を切って血をすすり合う。
それにしても菅原文太、金子信雄、田中邦衛、松方弘樹、梅宮辰夫! それぞれの演じるキャラクターは個性が際立っていて、演じる役者の顔つきは、観ているだけで味わい深い。それでいて今観ると、『孤狼の血』や『アウトレイジ』などと比べると、ちょっとコミカルに思えるから不思議だ。ほっとする隙があるというのか。決して笑わせるシーンが多いわけではなく、裏切りや策略が全編に渦巻き、広能が味わうことになる生きることの過酷さに緩みがあるわけではないのに。それは映画が結果的に描いてしまった社会の進化(変化?)のせいか、映画で描かれるキャラクターをその時代のリアルに標準を合わせたがゆえの余裕のなさ(人間味のなさ?)なのかはわからない。なぜだろう?
それにしてもあの「チャララ~」の威力は大きい。『仁義なき戦い』は大ヒットを記録し、深作欣二監督×菅原文太主演のコンビでシリーズ化される。さらに同じコンビで『新仁義なき戦い』シリーズがつくられ、以後も工藤栄一監督、橋本一監督らが時を超えて“仁義なき戦い”の映画化に取り組んだ。2000年公開の、阪本順治監督による映画『新・仁義なき戦い。』のテーマ曲は、俳優として出演した布袋寅泰が手掛けている。のちにクエンティン・タランティーノが熱望して『キル・ビル』のテーマ曲となったあれだ。
いずれのテーマ曲も際立って格好いい。最上に切れ味の鋭いナイフのようだ。