『ここは退屈迎えに来て』橋本愛 単独インタビュー
キラキラした日々の思い出を大事にしたい
取材・文:浅見祥子 写真:尾藤能暢
山内マリコによる小説を、俳優のナイーブな演技を引き出すことに定評のある廣木隆一監督が映画化した『ここは退屈迎えに来て』。この映画で橋本愛が演じたのは、上京して10年経ち、夢を諦めて地元へ戻る「私」。かつての親友と再会し、高校時代に女子の憧れの的だった椎名に会いに行く……。キラキラした日々を振り返り、大人になる手前でうろうろと生きる三十路手前の男女を描く群像劇。そんな物語に触れ、橋本愛が考えたこととは?
劇中の「私」と私は真逆
Q:『ここは退屈迎えに来て』の原作はいつごろ読みましたか?
6年ほど前にお風呂の中で読みました(笑)。いろいろなことに打ちのめされる女の子たちを傍観するような、そんな感覚を抱いて。印象に残ったのは、映画の中で(門脇)麦ちゃんが演じる「あたし」が、しんと静まった夜明け前に一人で歩いていて、誰か~! と叫んだらロシア人が来るというあのカオスな描写(笑)。原作は冬で雪が降るくらいの寒さで、鼻にツンとくるような空気の鋭さが伝わってきて。映画では夏の設定ですが、あのシーンでは肌寒い匂いみたいなものが感じられて大好きなんです。それでこの映画全体からも、もうすぐ朝になっちゃう夜明け前、その瞬間の心地よさや痛みのようなものを感じました。
Q:ご自身の演じた「私」は高校時代「何者かになりたい」と思って上京します。その感覚にすんなり共感できましたか?
気持ちはわかるのですが、自分でそうしたことを思ったことがなく、自身を重ねて演じたわけではありません。「私」は具体的な夢ではなく、漠然とした実態のない想いしか抱けなかったからこそ、確かなものを得られずに故郷へ戻ってきたんじゃないかな。映画の中では“あらかじめ失われた”とでも言えそうな人たちが鬱屈し、停滞しながら生きているんですね。
Q:以前「芸能界への憧れも夢もなかった」とおっしゃっていたので、仕事を始める前は漠然と生きていたこともあったのではと思いました。
この世界に入らなかったら、そうなっていたかもしれません。自分に信念みたいなものが欠けていて何も見つからないのか、まず見つけようという視点が持てないのか? わかりませんけど、時間を有効活用せずにだらだらと無駄にやり過ごすだけの日々に。少なからず身に覚えがありますけど私の場合はちょっと違っていて、自分がいる場所を強引に夢にした感じなんです。夢を持つ以前にこの世界に入り、責任と覚悟を持たざるを得ない状況になったので。「私」は東京へ行きたくて上京したけど、自分はまだ東京へ行きたくないタイミングで来たというのも真逆。地方都市らしい風景、バイパス通り沿いの大きな量販店の看板とか、大きな駐車場のあるファストフード店が自分は好きで。「何もない、最高!」と思っていたけど、「私」はそこに面白味を感じられないわけですから。
10年前の記憶は鮮明
Q:「私」は上京して10年後に故郷へ戻ります。橋本さんもちょうどデビューして10年ですよね?
もうすぐ、らしいですね。実感がないんです。10年前って年齢で言えば12歳、小学校6年生でまだ記憶が鮮明です。赤いランドセルを背負って、緑色の路地を通りながら小学校へ通ったのをよく覚えています。体育館の内装も、職員室や保健室が何階のどこにあったかも。最近のことのようなんですよ。でもそう思うのは、あまり過去を忘れたくなくて定期的に思い出そうとしているせいかも。
Q:なぜ過去を忘れたくないのですか? それが本来の自分だから、ということでしょうか。
青春のキラキラした日々が強く心にあるように、ですね。小中学校のころが私の形成成分の大部分を占めていて、いわゆる無鉄砲でキラキラした青春という時間があって、そうした時間は大人になるにつれて許されないものだと思うから。だからこそ大事にしたいんです。
「この時間はいましかない」と自覚していた中学時代
Q:中学時代はどんな子供でしたか?
中学生ではすでに仕事もしていたので、卒業アルバムにほとんど写真が載っていないのですが、「この時間はいましかない」という感覚がありました。クラスメートが中学3年生の1月くらいからようやく自覚し始めることをそのずっと前から感じていて、楽しまなきゃ! という焦りみたいなものがありました。当時の記憶が濃厚で鮮明なのはそのせいかも。
Q:当時、椎名のようにみんなから憧れられる同級生はいましたか?
無条件に愛される人はいました。努力しなくても愛され、人生を楽しめる人って、学年に1人はいますよね。足が速くて頭が良くて誰とでも仲良くなれて明るく、それでいてほどよくおバカ(笑)。そういうスターだった子がいまはちょっとショボくれていて、逆に当時は存在感のなかった子がいまキラキラしていたりする。いまの時代、自己表現の場が誰しもに与えられているから、不特定多数の人に認知される快感を得やすいですよね。私も含めそういう環境にある若い人たちがどんな大人になるのか? ということにとても興味があります。
女優の仕事は健康的!?
Q:そのように誰もが自己表現できるいま、女優という仕事をやることをどう感じていますか?
どんな仕事もそうかもしれませんが、努力し続けることは、好きじゃないとできません。またはプライドが高く、それを保つためにやるか。私自身はどちらの面もありますが、やっぱりこの仕事が好きです。それでいてできなくて悔しいからできるまでやる。ただ生きているだけでいろんなものを自分の中に取り込んでいくから、なんらかの形で出す機会がないと体に悪いなと。この仕事って健康的って思います。
Q:読書もお好きだと聞きました。アウトプットとしてはお芝居だけでなく、文章を書くという方法もあります。
まだお芝居のやり方しか知らなくて。本を書いたり映画を撮ったり、お芝居だけでなく歌や踊りの表現にも興味があります。演じるのはそれを書いた作家の方のメッセージを体現することだけど、歌手などのアーティストの方はその人自身がメッセージの発信源になっている。そちら側の景色も見てみたいな、と思うことはあります。形になるのはいつかわからないですが。
Q:アウトプットとして、インスタやブログという手段もありますよね。
見ていただくのが無料で手軽だと、簡単に忘れてしまう気がして。お金を払って缶詰めで観るからこそ映画は忘れないわけで、受け手と送り手が緊張感を持ってなにかを交換する、その感覚がしっくりくるんです。ただ「しっくりくる」というだけなんですけど、SNSなどで自分の核の部分を表現することにかなり抵抗があります。だからいまはこういう場でしか真面目なことを話せません(笑)。
Q:映画を観た感想はいかがでしたか?
登場人物たちの愛おしい痛みのようなものが、映画館という場所で、音響と画面とで360度から襲ってくる。映画体験として心地よかったです。フジファブリックさんの音楽も映画を底上げしてくださって、すばらしかった。いま思い出してもせり上がってくるものがある。ちゃんと観た方の心が動く映画になったと思います。それで青春っていうものを完全に失ってしまった人、そこに固執してなかなか大人になれない人、いろいろでしょうが、この映画を観て、自分と青春のバランスのとり方を考えたり、思い出したりするきっかけになるんじゃないかと……原作者の山内さんが言っていました(笑)。まさに私の言いたかったことだったので、心から共感したんですよね。
あまりに整った顔立ちで凛とした佇まいのせいか、黙っていると機嫌が悪いの? と思ってしまいそうだが、実際の彼女は朗らか。意外と饒舌な上に読書が好きなせいなのか、選びとる言葉に奥行きがある。文字にするとアーティスティックに響くこともありそうだが、決して肩ひじを張っているのではなく、ごくナチュラル。それでいて目の前のことと真摯に向き合っているのが伝わってくる。橋本愛という人がナチュラルボーン女優! であることは間違いなさそうだ。
映画『ここは退屈迎えに来て』は10月19日より全国公開