キューブリック監督は『ナポレオン』の映画製作を軍事作戦のように扱った
幻に終わった傑作映画たち
幻に終わった傑作映画たち 連載第3回
スタンリー・キューブリックの『ナポレオン』前編
多くの巨匠や名匠たちが映画化を試みながら、何らかの理由で実現しなかった幻の名画たち。その舞台裏を明かす「幻に終わった傑作映画たち」の第3回は、スタンリー・キューブリックの『ナポレオン』。『時計じかけのオレンジ』に先立ち、当時としては破格の超大作として企画された本作が、実際に作られていたとしたら? 映画史は、確実に変わっていただろう。前後編でお送りする。
NAPOLEON
監督:スタンリー・キューブリック
出演:オスカー・ウェルナー、オードリー・ヘプバーン
想定公開年:1967-1971年
製作費:600万ドル
製作国:英米ほか
ジャンル:歴史ドラマ
スタジオ:MGM
どれほど製作費がかかっても『ナポレオン』は世紀の傑作となったはずだ
スタンリー・キューブリックの基準に照らせば、1971年の『時計じかけのオレンジ』は通常ではあり得ないほどすみやかにプリプロダクションを終えた。主演のマルコム・マクダウェルと昼食をとる余裕さえあった。このディストピア作品について議論しながら、マクダウェルはあ然として、ステーキとデザートを交互にほおばる監督を見つめた。「こうやってナポレオンは食事をとったんだよ」とキューブリックは説明した。『時計じかけのオレンジ』に先立ち、キューブリックは皇帝ナポレオンの伝記映画を企画し、4年間かかりきりで、考えられる限りあらゆる角度からとり組んでいた。ある者は、監督がそんなに情熱を燃やしたのは、ナポレオンに自分自身を見たためだと考える。執念深い性格、頭の切れる戦略家、生まれながらのお山の大将。それぞれアプローチは違えど、どちらも抑えがたい征服欲の持ち主だ。情熱にかられたキューブリックは、『ナポレオン』が「映画史上最高傑作になる」と明言した。
ナポレオンの研究資料を集めた世界最大級のリサーチ
映画、メイキング、構成案、手紙、メモ、サンプル、落書き、撮影台本そのもの(すべてキューブリックの宝物庫にしまいこまれており、のちに出版された)を吟味すれば、このプロジェクトをたらい回したMGMとユナイテッド・アーチストがおよび腰になったのも理解できる。1999年にキューブリックが死去して以来、彼の映画の編集者で、彼がためこんだ膨大な“アーカイブの発掘人”アリソン・キャッスルによると、リサーチ量は他のどんな映画をも上回っている。まさしく、それはナポレオンの研究資料を集めた世界最大級の宝庫といえる。これはキューブリックの飽くなき想像力の記念碑となるはずだった。1967年、キューブリックは『2001年宇宙の旅』のポストプロダクション中に『ナポレオン』構成案を書き始める。
『2001年宇宙の旅』の評価と商業的成功に気をよくしたキューブリックは、どんなにスケールのでかい映画でも立ちあげられると確信した。ナポレオンの生涯から一部を切り取るのではなく——ライバル映画、セルゲイ・ボンダルチュクの『ワーテルロー』(1970)は、このフランス人が敗北を喫するまでの100日間に焦点を置く予定だった——自ら脚本を執筆したがったキューブリックのビジョンでは、母親の胸に抱かれたコルシカ島のおさな子時代から、南大西洋のセントヘレナ島で孤独に死ぬまでのすべてを描くつもりだった。「もし本当に興味を持った映画があれば、長さは関係ない。とはいえ1939年の『風と共に去りぬ』を越えることはないだろう」と、当時監督は語った。
およそキューブリックらしからぬ熱情!
壮大さと歴史上の些事から透けて見えるのは、ナポレオンの神話を愛で、そして解体しようとする、およそキューブリックらしからぬ熱情だ。リアリズムに徹して18~19世紀の時代を描き、“アクションの叙事詩”を作りあげようとした。キューブリックは映画の可能性を追求する場面を考えていた。追放されたナポレオンが、1815年フランスに帰還し、返り咲きを狙っている場面を想像して欲しい。ナポレオンの逮捕のため、5千人の兵士が派遣される。軍隊とにらみあったナポレオンは、手勢に踏みとどまるよう命じると、ひとりで自分を捕えに来た一隊に向かって歩を進める。マスケット銃の射程距離内まで来たナポレオンが、声を張りあげる。「私が誰だかわかってるのか?」兵士らが固まる。ヨーロッパ大陸の半分を征服するのに培った自信をみなぎらせ、胸をはだけてこう叫ぶ。「お前たちの中に、皇帝を殺したい兵士がいるならやってみろ。ここにいるぞ」もちろん、兵士達は命令に従うかわりに「皇帝万歳!」と唱えつつ、ナポレオンをとり巻く。
キューブリックは、素材をただリサーチしたのではない。尽きない好奇心のままにむさぼった。新しく夢中になった対象のあらゆる側面に、知性の顕微鏡を当てた。そうやって、息を呑むほど緻密な作品が生まれる——宇宙旅行の可能性を探る映画を作るにあたり、NASAと数か月を費やして、物理の限界とその先にあるものを追求したように。
低光量でも撮影可能なカメラやレンズを開発
手はじめに、キューブリックはこれまでに作られたナポレオン映画を片っ端から観た。1927年において、すでにアベル・ガンスが5時間の大作を撮りあげ、ナポレオン映画の決定版を作ったと思いこんだ者に対し、キューブリックは素っ気ない突っこみを入れた。1968年、彼は批評家ジョセフ・ジェルミスにこう語った。「長年にわたって、あの映画は映画ファンの間で評価されてきた。だがあれは実にひどい作品だよ。技術的に、ガンスは時代の先を行っていた……でもストーリーと演技に関しては、稚拙もいいところだ」
キューブリックはまた、出版されたすべての伝記と史実書に目を通した。それは500冊にも及んだ。映画の登場人物に関する大量のデータをオーク材のカード・ファイルに保管し、日付順に並べ、名前の注釈を付けた。そうやって、登場人物たちが特定の日にどこにいて、何をしていたのかを把握できるようにした。18世紀と19世紀初頭の社会を描いた絵画15,000点強を集めたギャラリーでは、専用の相互参照ファイルを採用した。スタッフなら誰でもファイルを閲覧できるようにして、監督を質問責めにしないための処置だった。
スタッフ閲覧用のプリントに、キューブリックはナポレオンのいとこたち、フランス軍がオーストリア軍を破ったエルヒンゲンの戦いのジオラマ、スケッチ、似顔絵、絵画、ミニチュア、レプリカの旗の写真、キャンドルホルダー、コイン、ピストル、応急手当……ナポレオン時代をしのばせるあらゆる風物を載せた。年代物を収納する棚には、18世紀の馬蹄用の釘までもが含まれていた。さらに、しばしばキャンドルだけに照らされた、薄暗い自然光での撮影を実現するため、NASAおよびカメラの専門家ツァイスの友人たちと共同で、低光量でも撮影できるカメラやレンズを開発する。
キューブリックは映画製作自体を軍事作戦として扱った
キューブリックのナポレオン的な野望のなかでもとりわけそそられるのは、スペクタクルで真に迫った戦闘場面を再現しようとしていた点だ。ナポレオンが天才的な戦術を振るった実際の戦地で撮影し、地元の兵士および、ルーマニア軍の歩兵4万人と機甲部隊員1万人を動員し、“死の舞踏”を再現する予定だった。「実際より少ない軍隊でそれらしく見せかけたいとは思わない。なぜならナポレオンが指揮した戦闘は、屋外を舞台に、振り付けられたような隊形が展開する広大な一大絵巻だったのだから」と、監督は戦闘シーンについて説明した。自作『スパルタカス』(1960)で描かれたローマ軍のチェス盤隊形は、ナポレオン軍の遠景で捉えた“組織的な美しさ”と、アップで迫る血なまぐさい残忍さに比較したら、色あせて見えるだろう。
エキストラには、当時と同じ軍事訓練を4か月間受けさせろと言い張った。階級制度の実践さえやり始めたという。キューブリックはプロダクション自体を軍事作戦として扱ったのである。
しかしその後、ナポレオン映画のライバル3本が、いずれも大コケした。完璧主義のキューブリックにスタジオは尻込みした。いわく、「高くつき過ぎる、危険過ぎる、時代遅れすぎる!」暗雲が立ち込み始める。
Original Text by ロビン・アスキュー/翻訳協力:有澤真庭 構成:今祥枝
「The Greatest Movies You'll Never See: Unseen Masterpieces by the World's Greatest Directors」より
次回は10月25日更新:スタンリー・キューブリックの『ナポレオン』後編です。