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映画に見る依存症~アルコールや薬物に依存してしまう理由~

 相変わらず「お酒」がらみの事故、事件が多い。女性タレントによるひき逃げ事件、男性タレントによる未成年者への強制わいせつ事件。いずれも酔ったうえでの犯行だ。青森県では30代の男が酔っ払って130キロのスピードで車を走らせて追突、4人の男女を死亡させてしまう。運転していた男は、飲酒は認めつつ「正常に運転できた」と一部容疑を否認しているらしい。アルコール依存症とは「否認の病(自身の依存症を認めない)」と言われるが、この男も依存傾向なのかもしれない。否認の病だから、患者は自分から治療を受けようとせず、さらに症状が進んでしまう。そして新たな事故、事件を引き起こすのだ。(山村基毅)

アルコールや薬物に依存
アルコールや薬物に依存してしまうワケとは - Thomas Monaster / NY Daily News Archive via Getty Image
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誰もが酔いがさめると後悔にさいなまれる

酔いがさめたら、うちに帰ろう。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』監督・脚本:東 陽一 原作:鴨志田 穣「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」(スターツ出版刊) Blu-ray 5,500円+税 DVD 3,800円+税 (C)2010シグロ/バップ/ビターズ・エンド

 アルコール依存症とは、嗜好の問題ではなく、あくまで「病気」である。だから、きちんと治療しなくてはならないのだ。映画には珍しく、アルコール病棟での生活を描いているのが東陽一監督の『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(2010)である。漫画家の西原理恵子の夫であった鴨志田穣の同名の自伝小説が原作であり、戦場カメラマンだった鴨志田(劇中では塚原安行)が酒に溺れ、そこからの再起がテーマとなっている。鴨志田は、依存症から回復した後にがんで亡くなるのだが、映画はその「死」を予感させるところで終わっている。

 塚原(浅野忠信)は深酒の末に血を吐き、倒れてしまう。別れた妻、由紀(永作博美)は漫画家で、子供が2人いる。通院でアルコール依存症の治療を続けるが、結局は再度、再々度の飲酒でアルコール病棟のある精神科に入院させられてしまう。ここで、何人ものアルコール依存症の患者と付き合い、過去を聞かされ、生態を見ていくことになる。光石研が演じる患者は、酒酔い運転で同乗者を死なせてしまった過去を語る。いまだにその死から逃れられない、と。

 塚原は徐々にアルコールから離れていくのだが、その一方で肉体はがんに侵されていた……。妻の由紀が医師から言われる言葉がこの病にとって象徴的である。

 「アルコール依存症患者には、誰も同情してくれない。周りはみんな『自業自得だろ』という目で見るんです」

 そのために非常に孤独な存在だという。そのことが、さらなる再飲酒(スリップという)へとつながるのだろう。

毎日かあさん
『毎日かあさん』Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元: キングレコード Blu-ray:\2,500+税 DVD:\1,900+税 (C)2011映画「毎日かあさん」製作委員会

 同じ西原理恵子と鴨志田穣との関係を描いた作品に小林聖太郎監督『毎日かあさん』(2011)があり、やはり元夫(永瀬正敏)がアルコール依存症の治療のため病院に入っていく。元妻(小泉今日子)は、離婚してもなお元夫の面倒を見てしまう。

 こちらの映画は、妻や子供たちとの交流に比重が置かれ、あたたかい家庭に憧れていながら、何度もスリップしていく男の弱さがクローズアップされる。何しろ病院を退院した日に、居酒屋で飲んでしまうほどなのだ。暴力、暴言、虚言、それに酔って寝込んだ末の寝小便と、酔態が細かに描かれる。

 しかし、この元夫は酔いがさめると後悔し、「二度と飲むまい」と誓うのだ。そこが依存症の依存症たるゆえんなのである。

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断酒会で体験を語り合うことの重要性

 以前、AA(アルコホーリクス・アノニマス)という断酒の集まりに参加したことがある。半分は取材、半分は自分の飲酒欲求を見つめ直すための体験参加だった。AAそのものは世界的な組織であり、日本各地でも小さな集会を催し、だいたい10人前後のアルコール依存症の人が集まっている。参加者は匿名のまま、体験談を話す。年齢、性別もさまざまである。ただ、誰もが激しく、切実な体験をくぐり抜けていた。私も自らの飲酒での失敗談を語ったが、大人と子供ほどの差があった。家族の崩壊や借金まみれ、松葉杖で出席していたある初老の男性などは「酔ってケンカをして大ケガを負い、それ以来、片足が不自由になった」と言う。

 ある女性がこんなことをしんみりと話してくれた。

 「日本はお酒の誘いが多すぎるように思います。テレビコマーシャル、電車の中吊り広告、それに自動販売機。至るところに落とし穴がある」

 女性は、駅と自宅間の酒類の自動販売機の位置をすべて覚えていて、自販機のない道を通るようにしているのだと言う。

 こうした集まりは、AAだけでなく「断酒会」という名称でも日本各地で行われている。基本は同じで、やはり十数人単位の小さな集会を持ち、そこで体験談を語る。断酒会では、断酒歴何年ごとに表彰や段位をつけて励みにしているところもある。

 この断酒会が登場する映画に黒木和雄監督の『スリ』(2000)がある。朝風呂に入りつつ酒をあおるような、アルコール依存症の老スリ、海藤(原田芳雄)が主人公。手の震えのため、ほとんどスリ稼業はしていない。弟子入りしてきた若者(柏原収史)にスリの技術を教えるため、断酒に挑むという設定だ。

 東京の下町にある断酒会の女性リーダー(風吹ジュン)もまたかつてはアルコール依存症であった。そこに集う人たちの過去が少しずつ語られる。落語家(すまけい)は自ら「アル中」と自嘲しつつ、明るく断酒しようとするし、とび職の若者はいつしか明るいうちから飲み始めるようになり、一気に依存症になったと語る。

 ある日、会の中心になっていた参加者(香川照之)が風俗店に勤める女性との仲がこじれ、再飲酒、断酒会で大暴れしてしまう。このことにショックを受けたリーダーは、断酒会をやめようと決意する。彼女もまた再飲酒してしまうのだ。一方、何とか酒を断ちつつあった海藤だったが、そう簡単に現役復帰とはいかなかった……。

 スリであろうと、断酒するための動機は何でもいいのだろう。だから、海藤の旧知の刑事(石橋蓮司)は「酒をやめたら逮捕してやる」と挑発し、断酒を促す。海藤が(酒を探さないよう)腕を縛ってもらい眠る姿は、やめることの困難さを伝えてくれる。

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依存症へと陥る原因は一つだけとは限らない

ばかもの
『ばかもの』発売元・販売元:TCエンタテインメント株式会社 発売中 価格:3,800円(税抜)(C)2010「ばかもの」製作委員会

 アルコール依存症患者の生態にスポットを当てている作品に金子修介監督『ばかもの』(2010)がある。こちらは、大学生の秀成(成宮寛貴)が、年上の女性(内田有紀)と知り合い、男女の関係になるのだが、その関係が壊れてから酒に溺れていく。

 ただ、それが依存症へと転げ落ちるのに強烈な原因があったわけではない。フラれはしたものの大学を出て就職し、新しい恋人もできて幸せそうに見えるのだ。それでもなおアルコール地獄へとのめり込んでしまう。彼が酒に浸かっていく様がリアルだ。会社への遅刻の言い訳が、やがて欠勤の言い訳となり、休日は食事も取らずに朝から飲み続ける(「連続飲酒」といって、これがアルコール依存症の最終段階であり、次は大切な人間関係や社会的地位などを失う「底つき」という、これより下はない最悪の事態に陥るのが、誰もがたどるプロセスである)。風呂にも入らないため異臭を放ち、周りは眉をひそめる。姉の結婚式で酔っ払って大暴れ。ついには自動車事故を引き起こしてしまう。恋人も仕事も何もかも失った時、家族だけは見捨てずにいてくれた……。

 アルコール依存症の原因を探っていくことは、タマネギの皮を剥いていく行為に似ている。どこまで行っても、芯に行き当たらないのだ。この映画の主人公にしても、まったく酒の飲めない大学生だった男が、いろいろな出来事の積み重ねの中でアルコール依存症に陥ってしまうが、何が不満なのか、何が原因か、本人さえ分かっていないのだ。

 松岡錠司監督の『きらきらひかる』(1992)の笑子(薬師丸ひろ子)もまたそうである。情緒不安定でアルコール依存を抱えているが、ゲイの睦月(豊川悦司)と互いのことを打ち明け合って結婚。夫の恋人、紺(筒井道隆)とも親しくなる。不安定ながら楽しい関係が築かれそうなのだが、しかし、どこまでいっても心の空虚さは埋められず、さらに酒に走ってしまうのである。

 なお、晴れやかな舞台をぶち壊すというのは、アルコール依存症患者を描くうえでの常套(じょうとう)手段のようで、山田洋次監督の『おとうと』(2009)に出てくる、主人公吟子(吉永小百合)の弟、鉄郎(笑福亭鶴瓶)もまた派手に姪小春(蒼井優)の結婚式を台なしにしてしまう。

 どれだけひどい仕打ちを受けようとも、たった一人の弟である鉄郎を捨てきれない姉の優しさが映画の軸なのだが、鉄郎はついに余命数か月となり、大阪の飯場にある療養所で寝たきりになってしまう……。

 これらの作品に共通することは、頼みの綱は家族であり、恋人なのである。立ち直ろうとする動機は本人が生み出さねばならないが、その動機を育て、支えてくれるのは、周囲の人間なのだろう。そうしたサポーターがいるかどうかで、再び以前の生活に戻れるかどうかが決まってくるようだ。

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より強烈な依存を引き起こす薬物

さらば愛しき大地
『さらば愛しき大地』(C) プロダクション群狼 発売元:DIGレーベル(株式会社ディメンション)

 薬物がらみの事件も後を絶たない。有名、無名を問わず、マスコミを賑わしている。アルコールとは異なり、薬物依存、特に覚醒剤への依存(「シャブ中」と言われる)は暴力団の資金源であり、犯罪とつながるため、本人だけでなく周囲をも巻き込んでいく。映画としては、やくざや刑事が「シャブ中」や「ヘロイン中毒」になっていくというものが多い。日本だと深作欣二監督『仁義の墓場』(1975)、アメリカではジョン・フランケンハイマー監督の『フレンチコネクション2』(1975)がすぐに思い浮かぶ。

 やくざではなく、一般人が覚醒剤に依存していく様子を描いたものとしては、柳町光男監督『さらば愛しき大地』(1982)が秀逸だろう。茨城の工業地帯で砂利を運ぶダンプカーを運転する幸雄(根津甚八)は、幼い息子2人を池で溺死させてしまう。その悲しさから、別の女性(秋吉久美子)と付き合うようになり、やがて同棲。子供まで作る。

 金を稼ぐため、ダンプカーをフル稼働させ、夜も寝ないで車を走らせるため覚醒剤を打ち始める。しかし、覚醒剤への依存は仕事の活力も失わせていき、やがて幻覚や幻聴が襲ってくるようになる。そして悲劇へと突き進んでいくのだった……。幸雄の仕事仲間(蟹江敬三)も、以前覚醒剤を打って仕事に精を出していたが、ついには錯乱して警察沙汰になったことがある。何とか元に戻ったのだが、その話を聞いても、幸雄の方は泥沼から抜け出せなかった。

 窓の外に広がる田園風景を眺めつつ、稲の穂が強い風にそよぐ場面が、幸雄の荒涼とした心情と重なり、特に印象的である。

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薬物依存が周囲を見えなくさせる怖さ

十代 恵子の場合
『十代 恵子の場合』DVD発売中 4,500円+税 販売:東映 発売:東映ビデオ

 平凡な女子高生が道を踏み外して薬物依存症になっていくのが内藤誠監督の『十代 恵子の場合』(1979)である。高校三年の恵子(森下愛子)は熱心に受験勉強をしているものの成果が上がらない。そんな時に誘われたパーティーで暴力団の組員、鉄(三浦洋一)と知り合う。その後、その鉄の女になり、美人局をするように。そして、ソープランドで働き出すと、鉄に覚醒剤を打たれ、完全な依存症となってしまう。

 鉄が兄貴分に斬りつけ、東京を離れなくてはならなくなり、2人は温泉街で暮らす。ここでも売春で金を稼ぎ、覚醒剤を打ち続ける。薬を手に入れるために鉄は上京するのだが……。

 覚醒剤は酒と違って、簡単に手に入るものではないから、橋渡しする者がいなくては依存症にはなりえない。しかし、依存症になるまでのスピードは速く、禁断症状はアルコール以上に厳しいものとなる。だから、暴力団などの資金源になるのだろう。

夜叉
「夜叉【東宝DVD名作セレクション】」DVD発売中 ¥2,500+税 発売・販売元:東宝

 降旗康男監督『夜叉』(1985)は、まさに田舎町で覚醒剤を売って「資金源」にする「シャブ中」の男が登場する。若狭湾に面した漁師町。かつて大阪で「人斬り夜叉」といわれたやくざ者の修治(高倉健)が、過去を隠してひっそりと生きている。背中一面の夜叉の刺青は誰にも見せたことがない。妻(いしだあゆみ)とその親だけは修治の過去を知っている。

 大阪からやって来た蛍子(田中裕子)がこの町で飲み屋を開き、その情夫の矢島(ビートたけし)も訪れて、一緒に暮らし始める。矢島は賭け麻雀に負けてやることで漁師たちを釣り上げ、覚醒剤を売っていく。自らもシャブ中の矢島は、すでに薬がなくてはやっていけなくなっていた。立ち直らせようとして薬を捨てた蛍子に腹を立てた矢島は刃物を手に、港町を追い続け、漁師たちにも斬りつけていく。そこで修治が助けに入るのだったが……。

 矢島が蛍子を追いかけていく様は、1981年に東京・深川で起きた通り魔殺人事件の犯人を彷彿させる。あれも覚醒剤を打っての犯行だった。

 アルコールであろうと薬物であろうと、何かに「依存」すれば、その何かに頼り、すがり、抱え込んで生きていかねばならないのである。

 もちろん、アルコールや薬物が肉体的な破滅をもたらす怖さはあるが、それ以上に依存する対象を「何としても欲しい」とさせる感覚が恐ろしい。それは、人の思考さえもぶち壊していきかねないからだ。

 酒を飲むため、薬物を手に入れるため、どのようなことでもしてしまう。常識やモラルが吹っ飛んだ時の行動は、私たちには想像もつかない。その想像も予想もできないことこそが、最も怖いのである。

 依存症を描いた映画は、何とか立ち直るものもあるが、悲惨な結末を迎えるものも少なくない。突き進めば、確実に「破滅」が待っているのだ。病死、殺人、事故……これらの映画で描かれる「不幸」が、決して絵空事でないことは、現実が裏打ちしてくれている。「ああは、なりたくない」そう思うことも大切なのである。

山村基毅(やまむらもとき):1960年、北海道出身。ルポライター。インタビューを基軸としたルポルタージュを発表。著書に『ルポ介護独身』(新潮新書)、『戦争拒否』(晶文社)、『民謡酒場という青春』(ヤマハミュージックメディア)とさまざまなテーマにチャレンジしている。映画が好きで、かつて月刊誌にて映画評を連載したことも。

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