死の直前まで編集、オーソン・ウェルズの永遠に終わらないドン・キホーテ
幻に終わった傑作映画たち
幻に終わった傑作映画たち 連載8第回
オーソン・ウェルズの『ドン・キホーテ』
多くの巨匠や名匠たちが映画化を試みながら、何らかの理由で実現しなかった幻の名画たち。その舞台裏を明かす連載「幻に終わった傑作映画たち」の第8回は、オーソン・ウェルズの『ドン・キホーテ』。完成脚本を用意せず、即興的なやり方を採用し、ウェルズは死亡するまで自宅のガレージで編集を続けていたが最終版を作ることはできなかった。ウェルズの『ドン・キホーテ』に対する執念の軌跡をたどってみよう。
DON QUIXOTE
監督:オーソン・ウェルズ
想定公開年:1969年
出演:フランシスコ・レイグエラ、エイキム・タミロフ、パティ・マコーマック
製作国:スペイン
ジャンル:アドベンチャー
オーソン・ウェルズの生きた記録であり、それは絶え間なく変化しつづけた
1957年、オーソン・ウェルズは今度こそハリウッドを見限った。2度目にして、今回は永久に! 1941年、『市民ケーン』(1941)で華々しく登場したものの、ハリウッド作品としては規格外もいいところで、オーソン・ウェルズはスタジオともめにもめる。『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)をはじめ次の3作品は彼の手からもぎ取られ、映画会社の手によって勝手に再編集された。ヨーロッパに渡ったウェルズは『オーソン・ウェルズの オセロ』(1952)を撮るも、出資者が破産したため完成までに3年を費やした。『秘められた過去』(1955・日本劇場未公開)は旧友ルイ・ドリヴェットが資金を提供してくれたが、ドリヴェットもまた、最終編集権を監督から取りあげた。
1956年、ハリウッドに戻ったウェルズはTVドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」に出演し、さらに番組のパイロット版を監督するなど、足場を立て直す努力をした。ようやく『黒い罠』(1958)の撮影にこぎ着けると、ウェルズはハリウッドのシステムに戻りたいあまりに出演料だけで監督料は要求しなかった。また、スケジュールを守り、かつ当初の予算以下で仕上げてみせた。こうしたウェルズの努力によって、ユニバーサル映画との間で複数の映画製作話が持ち上がる。だが、歴史は繰り返されようとしていた——。
ユニバーサルが勝手に再編集・再撮影した『黒い罠』を見て、怒り心頭!
オーソン・ウェルズが提出した『黒い罠』のラフカットを、ユニバーサル社は無断で再編集し、さらに一部を再撮影する。この行為に怒り心頭のウェルズはメキシコへと渡り、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』を独立映画として製作する企画を進める。ロマンチック小説を読んで、狂気に駆られた中世スペインの貴族が、騎士として旅に出るという物語だ。メキシコのプロデューサーで、シュルレアリストの映画作家ルイス・ブニュエルの協力者でもあるオスカル・ダンシヘルスが、この作品への資金を提供し、助監督もつとめることで話がついた。
2年後、ハリウッドに戻り、ユニバーサルによって再編集された『黒い罠』を観たウェルズは、重要と思える変更点をすべて書き出した。それは58ページにも及ぶものだった。だが、スタジオはウェルズの意見を無視する。ウェルズは、以後ハリウッドでは1本も映画を撮ることはなかった。
スペイン文化を紹介するTVシリーズの一部として、CBSに売りこんだ
『ドン・キホーテ』の企画は、何年も前からウェルズの頭に居座っていた。1955年にパリで『秘められた過去』を撮影中、プロデューサーのドリヴェットに断って、セーヌ川のそばの公園でテスト撮影を行っている。『秘められた過去』の出演者であったミシャ・オウアとエイキム・タミロフに、それぞれ騎士と従者サンチョ・パンサを演じさせ、中世の登場人物たちを現代の舞台に解き放ってみた。感触を得たウェルズは、プロジェクトを「ドン・キホーテが通る」と名づけ、スペイン文化を紹介するテレビシリーズの一部として、CBSに売りこんだ。しかし、スタジオの首脳陣は関心を示さなかった。
ウェルズは懲りずに、今度は遍歴の騎士の理想主義的な騎士道精神と、現代世界を対比した長編映画を企画する。「題材に、完璧に惚れこんだ。それで軍資金が続く限り、撮影を続行した」と、ウェルズは告白している。友人のフランク・シナトラから2万5千ドルの出資を受け、ウェルズはタミロフをサンチョ・パンサ役として呼び戻し、オウアに代わり、スペインから政治亡命したフランシスコ・レイグエラを抜擢する。8週間を予定していた撮影にかかる残りの製作費は、当初の『ドン・キホーテ』企画に参加していた、オスカル・ダンシヘルスが引き受けてくれた。
完成脚本を用意せず、初期のサイレント映画の即興的なやり方を採用した
ウェルズは完成脚本を用意せず、同時録音なしの16mmカメラで撮影し、初期のサイレント映画の即興的なやり方を採用した。彼が“プリ・ボイシング”と呼ぶテクニックを用い、映像を観る前に自分でセリフを録音する。そうするとシーンに合うリズムがわかる。後からそのリズムに沿って映像を編集し、セリフを入れ直すというものだ。
騎士と従者をのぞけば、セルバンテスの小説から唯一拝借した登場人物は、ドン・キホーテが恋人だと思い込む農家の娘ドルシネアだけだ。映画ではダルシーと呼んで、12歳のパティ・マコーマック(1956年『悪い種子』に主演)が演じた。ウェルズ自身は、一種の語り手を担当するつもりでいた。メキシコのホテルでセルバンテスを読んでいる彼を見とがめたダルシーが、もしや「有名なオーソン・ウェルズさんですか」と話しかけ、何を読んでいるのかたずねる。ウェルズは女の子を膝に乗せて、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの冒険譚を話しはじめる。ダルシーは後に2人と出会い、冒険に加わる。あるシーンでは、この3人が映画館にいる。ダルシーがサンチョにロリポップを差し出して、食べ方を教え、一方ドン・キホーテはスクリーンに映る剣戟(けんげき)ものに、カッカし出す。現実と錯覚したドン・キホーテが、スクリーンをズタズタに切り裂くと観客から喝采を受ける。
映画評論家のジョナサン・ローゼンバウムのよれば「このシーンは、ドン・キホーテが風車に突進する原作の象徴的なイメージおよび、人形劇を攻撃するエピソードをほのめかしている」。ローゼンバウムは映画がセルバンテスの月並みな映画化ではなく、テーマに基づいた即興シリーズとしてみなされるべきだと主張した。
支援の打ち切りを前向きにとらえ、ひとりで作り上げることを決意
完成脚本なしの撮影は必然的に予算を超過し、ダンシヘルスは支援を打ち切った。ルイス・ブニュエルは、取り乱したウェルズ監督が撮影最終日にむせび泣くのを見たと言っている。だが、挫折はウェルズに天啓をもたらした。ウェルズは『ドン・キホーテ』を自分一人でコントロールすべき企画として受けとめ、ポケットマネーで映画の資金をまかなうと心に誓う。次の2年以上にわたり、俳優として雇われ仕事を引き受け、10数作に顔を出した。1960年代初めにはヨーロッパに戻り、イタリアの放送局RAIのためにドキュメンタリー・シリーズ『Nella terra di Don Chisciotte(ドン・キホーテの国で)』を製作する。これは、ごくまっとうな旅行番組で、スペインで『ドン・キホーテ』を撮影するかたわら、資金を稼ぐいい機会となった。
『ドン・キホーテ』の撮影は1960年代を通し、断続的に続けられた。1962年にカフカの『審判』を映画化し、パリでの編集作業から休憩を取ると、スペインのマラガで『ドン・キホーテ』を撮影した。だがマコーマックが成長し、もはや幼いダルシーを演じられなくなってしまう。ウェルズは代役のアイディアを検討し、自分の娘を使うことも考えたが、結果的にダルシーを外すことにし、このコンセプト自体を見直した。
エンディングに満足できず、死の直前まで自宅のガレージで編集
1969年、主な撮影が完了する。第2班の撮影は1972年まで続けてけていたが、エイキム・タミロフの死により、主役が登場する場面の追加撮影が不可能となる。その年、ウェルズは批評家のジョナサン・ローゼンバウムに、タイトルを『ドン・キホーテが終わるのはいつだ?』に変更するかもと冗談を言い、ほかのドン・キホーテ作品(アーサー・ヒラーの『ラ・マンチャの男』と、セルジオ・レオーネの実現しなかった企画)のせいで、完成が遅れているのだとほのめかした。だがローゼンバウムは、本当の原因は、満足のいく結末に欠けるせいではないかと考えた。
ドン・キホーテが妄想から覚めて、正気に返った後に死ぬというセルバンテスの結末は、ウェルズにはトラウマ過ぎた。ドン・キホーテがもはや必要とされない世界は、彼の生きたい世界ではない。ドン・キホーテとサンチョが月に行き着く結末を考えたが、アメリカ合衆国が人類の月面着陸を実現したため、ボツにする。2人が奇跡的に、核戦争を生きのびるフィナーレさえも考えた。だが、悲しいかな、どちらも、または他にふさわしいエンディングも撮影されずじまいだった。
ひどく私的で個人的な、ウェルズの密かな精神分析みたいなもの
1975年、スペインの独裁者フランシスコ・フランコが死んだ後、ウェルズは再びコンセプトを変える。時代錯誤なドン・キホーテとサンチョ・パンサに、新自由主義のスペインを探検させる物語へと変更した。ウェルズは変革を、必ずしもいいこととはみなしていなかった。彼はスペインを一種のエデンとして、ドン・キホーテ的な色眼鏡で見ており、その中ではどんな変化も歓迎できなかった。
1984年、当時ロサンゼルスに住んでいたウェルズは、ヨーロッパに戻ってワークプリントを回収し、翌年死亡するまで自宅のガレージで編集し続けた。「あの映画は私のものだ。ホームムービーなんてものがあるのか……? あれは実験的な映画だよ、楽しく作業している。完成したら、公開するさ」監督は、何年も製作中の『ドン・キホーテ』について、そう語っていたという。だが、ウェルズ本人でさえ、最終編集版を作ることはできなかった。
1950年代に彼の秘書だったオードリー・ステイントンは、サイト&サウンド誌に『ドン・キホーテ』についてこう語っている。
「ひどく私的で個人的な——ほとんど、オーソン・ウェルズの密かな精神分析みたいなものだった」
彼にとって、このプロジェクトは映画以上の存在になっていた。それはウェルズの生きた記録となり、彼の世界に対する見方が変わるにつれ、絶え間なく変転した。そうであれば、一編の映画にまとめることなど、どだい無理な話ではなかったのではないだろうか? そもそも、ウェルズは完成させるつもりがあったのだろうか?
ウェルズの死後、『ドン・キホーテ』の撮影ずみのフィルムは、アメリカとヨーロッパの (後に反目し合う)友人や協力者たちの間に散逸した。 ウェルズは、第三者に正確なシークエンスをわからせないように、フィルム缶に不正確なラベルを貼っていた。また、カチンコにも暗号を使用した。たとえフィルムがすべて揃い、暗号が解読できたとしても、長年の間にウェルズの経たコンセプトの変遷と意図を理解することは不可能だろう。
Original Text by ロビン・アスキュー/翻訳協力:有澤真庭 構成:今祥枝
「The Greatest Movies You'll Never See: Unseen Masterpieces by the World's Greatest Directors」より
次回は1月10日更新:ダーレン・アロノフスキーの『バットマン:イヤー・ワン』です。
連載・幻に終わった映画たち 今後のラインナップは以下の通りで3月まで続きます。
連載第10回 コーエン兄弟の『白い海へ』
連載第11回 デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』
連載第12回 セルジオ・レオーネの『レニングラード』
連載第13回 フランシス・フォード・コッポラの「メガロポリス」
連載第14回 デヴィッド・フィンチャーの『ブラック・ホール』
連載第15回 ティム・バートンとケヴィン・スミスの『スーパーマン・リヴス』
また、本連載は12月1日に書籍にて発売となった“誰も観ることが出来ない幻映画50本を収めた”「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)の一部を再構成したものです。(B5変形判・並製・264頁・オールカラー 定価:本体3,000円+税)
書籍「幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?」の概要は以下の通りです。
偉大なる監督たちの“作られなかった傑作映画”たち……なぜそれらはスクリーンに辿り着くことができかなかったのか——巨匠たちの胸に迫る逸話の数々を、脚本の抜粋、ストーリーボード、セットでのスチルや残されたフッテージたちを添えて描き出す。さらに各作品には、定評あるデザイナーたちによって本書のために作られたオリジナル・ポスターも掲載。収録図版数400点以上。
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【本書に掲載されている幻映画の一覧】
チャールズ・チャップリン監督『セントヘレナからの帰還』
サルヴァドール・ダリ&マルクス兄弟『馬の背中に乗るキリンサラダ』
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督『メキシコ万歳』
エドガー・ライス・バローズ原作『火星のプリンセス THE ANIMATION』
名作『カサブランカ』続編『ブラザヴィル』
カール・テオドア・ドライヤー監督『イエス』
H・Gウェルズ×レイ・ハリーハウゼン『宇宙戦争』
アルフレッド・ヒッチコック監督×オードリー・ヘプバーン『判事に保釈なし』
ジョージ・キューカー監督×マリリン・モンロー『女房は生きていた』
ロベール・ブレッソン監督『創世記』
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『地獄』
フェデリコ・フェリーニ監督『G・マストルナの旅』
アルフレッド・ヒッチコック監督『カレイドスコープ』
スタンリー・キューブリック監督『ナポレオン』
オーソン・ウェルズ監督『ドン・キホーテ』
宮崎駿監督『長くつ下のピッピ』
ジェリー・ルイス監督・主演『道化師が泣いた日』
オーソン・ウェルズ監督×ジョン・ヒューストン主演『風の向こうへ』
マイケル・パウエル監督×シェークスピア原作『テンペスト』
アレクサンドル・ホドロフスキー監督×フランク・ハーバート原作『デューン/砂の惑星』
ショーン・コネリー主演、もうひとつの007『ウォーヘッド』
フィリップ・カウフマン監督、幻の映画版第1作『スタートレック プラネット・オブ・タイタンズ
セックス・ピストルズ主演×ラス・メイヤー監督『誰がバンビを殺したか?』
スティーヴン・スピルバーグ監督『ナイト・スカイズ』
ピーター・セラーズ主演『ピンク・パンサーの恋』
サム・ペキンパー監督『テキサス男』
ルイ・マル監督×ジョン・ベルーシ主演『マイアミの月』
リンゼイ・ナダーソン監督×チェーホフ原作『桜の園』
オーソン・ウェルズ監督『ゆりかごは揺れる』
フランシス・フォード・コッポラ監督『メガロポリス』
D・M・トマス原作『ホワイト・ホテル』
セルジオ・レオーネ監督『レニングラードの900日』
デヴィッド・リンチ監督『ロニー・ロケット』
デヴィッド・リーン監督『ノストローモ』
テリー・ギリアム監督『不完全な探偵』
スタンリー・キューブリック『アーリアン・ペーパー』
アーノルド・シュワルツェネッガー主演×ポール・ヴァーホーヴェン監督『十字軍』
リドリー・スコット監督『ホット・ゾーン』
ケヴィン・スミス脚本『スーパーマン・リヴス』
ダーレン・アロノフスキー監督『バットマン:イヤー・ワン』
第二次世界大戦の悲劇『キャプテン・アンド・ザ・シャーク』
コーエン兄弟『白の海へ』
ニール・ブロムカンプ監督『HALO』
ウォン・カーウァイ監督×ニコール・キッドマン主演『上海から来た女』
マイケル・マン監督『炎の門』
リドリー・スコット×ラッセル・クロウ主演『グラディエーター2』
ジェームズ・エルロイ原作×ジョー・カーナハン監督×ジョージ・クルーニー主演『ホワイト・ジャズ』
デヴィッド・フィンチャー監督『ブラックホール』
スティーヴン・スピルバーグ監督×アーロン・ソーキン脚本『シカゴ・セブン裁判』
ジョニー・デップ主演・製作総指揮『シャンタラム』
デヴィッド・O・ラッセル監督『ネイルド』
ジェリー・ブラッカイマー製作『ジェミニマン』
チャーリー・カウフマン監督・脚本『フランク・オア・フランシス』
トニー・スコット監督『ポツダム広場』