主演はブラピ、東京大空襲の莫大な撮影費用が捻出できず
幻に終わった傑作映画たち
幻に終わった傑作映画たち 連載第10回
コーエン兄弟の『白の海へ TO THE WHITE SEA』
多くの巨匠や名匠たちが映画化を試みながら、何らかの理由で実現しなかった幻の名画たち。その舞台裏を明かす連載「幻に終わった傑作映画たち」の第10回は、コーエン兄弟の『白の海へ TO THE WHITE SEA』。カンヌ国際映画祭やアカデミー賞などに輝く誰もが認める才能、コーエン兄弟にとって当時としては初の原作もので、日本を舞台にした意欲作。さらにブラッド・ピットが主演であっても、このプロジェクトが実現しなかった理由とは?
TO THE WHITE SEA
出演:ブラッド・ピット
想定公開年:2002年
製作費:5,000万ドル
製作国:アメリカ
ジャンル:アドベンチャー
スタジオ:20世紀フォックス
コーエン兄弟<未完の傑作映画>であり続ける運命なのか?
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン監督作最大のヒットとなった『オー・ブラザー!』(2000)、そして渋めのノワール『バーバー』(2001)の次回作として、コーエン兄弟はこれまでで最も野心的な企画を立てた。『ミラーズ・クロッシング』(1990)はダシール・ハメットの原作「ガラスの鍵」にヒントを得た。『ビッグ・リボウスキ』(1998)はレイモンド・チャンドラーの原作「大いなる眠り」を参考にした。『オー・ブラザー!』はホメロスのギリシャ叙事詩「オデュッセイア」をベースにした。『バーバー』は作家ジェームズ・M・ケインに明らかに影響を受けている。だが『白の海へ TO THE WHITE SEA』はコーエン兄弟初となる、正式な小説の映画化作品だ。
第二次大戦中、日本に取り残されたアメリカ空軍パイロットの物語
著者のジェームズ・ディッキーは第二次世界大戦と朝鮮戦争に出征し、その後講演家兼作家となった。作品は整然かつ簡潔とし、残虐性にあふれている。散文よりも詩で有名なディッキーは、1966年に桂冠詩人の称号を与えられた。だが1970年のスリラー小説「救い出される」で見せた獰猛な筆致こそ、彼の真骨頂だ。この小説は、ディッキー自ら脚色を手掛け、1972年にジョン・ブアマン監督で映画化(邦題『脱出』)されている。同年のオスカー候補(作品賞・監督賞・編集賞)にもなった。ディッキーの作品で映画化されたのは、この1作きりだ。
1993年に発表された小説「白の海へ」は「救い出される」より知名度は落ちるが、残虐さと読みごたえは上を行く。平時はアラスカの猟師をしていたアメリカ空軍パイロットのマルドロウが、第二次世界大戦中に日本にひとりとり残される。自軍による大空襲を受けた東京を逃れ、マルドロウは列島を北上し、安全な、凍てついて荒涼とした北海道へとたどり着く。追っ手の兵士達を紙一重でかわしつつ、敵意に満ちた土地を厳しい天候にさらされながら、暴力にものをいわせて旅を続ける。
セリフは極端に少なく、出会う日本人は日本語を話し字幕はつかない
物語は、コーエン兄弟おなじみのモチーフに立ち返った。1作ごとに20世紀のアメリカ史を描いてきた彼らは、『白の海へ』を撮って、第二次大戦期の空欄を埋めるはずだった。
コーエン兄弟は複雑で独特なセリフ回しを得意とするが、『白の海へ』はセリフが極端に少ない。寒々とした広大な風景をパイロットがたどる間、シーンは無言で進行する。出会う人間は日本語を話す。日本語に字幕はつかず、観客はマルドロウ同様、孤立感を味わう。映画を2時間以内に収めようと固く決意したコーエン兄弟は、デヴィッド・ウェブ・ピープルズが原作から起こした第1稿を、台詞を極限まで減らした無駄のない89ページの脚本へと仕上げる。
原作に忠実な脚本化で、マルドロウの行く手をはばむ盲目の剣客との対決や、兵士や無実の市民の殺害等、多くのエピソードをまるごと生かした。だが要所要所でディッキーの原作よりも深く切りこんでいる。マルドロウのモノローグを加え、彼の思春期がフラッシュバックで描かれる。
『ファーゴ』の荒れ果てた白銀世界に戻ってくるなら、オスカーは約束されたも同然だ
1999年、『ラストエンペラー』(1987)のプロデューサー、ジェレミー・トーマスがバックにつき、プロジェクトが発表された。コーエン兄弟が『ファーゴ』(1996)の荒れ果てた白銀世界に戻ってくるとあれば、オスカーの作品賞と脚色賞受賞は約束されたも同然だ。さらに『ファーゴ』でオスカー候補になった撮影監督ロジャー・ディーキンスが、本作でも同じ役割を務めるはずだった。映画ファンなら荒涼とした風景から彼らが創りだす世界を想像すると、いても立ってもいられないだろう。同様に、主人公のマルドロウを演じるブラット・ピットが、過小評価されてきた俳優のそしりを返上し、オスカー俳優の名を冠されるのも固いと思われた。
『ファーゴ』や長編デビュー作『ブラッド・シンプル』(1984)に見られたブラック・コメディー調のバイオレンスは、本作の脚本にも健在で、とりわけ原作に基づいたシーンに著しい。白鳥がたむろする池にやって来たマルドロウが、羽毛をコートに詰めて寒さをしのごうと思いつく。最初は老人を水辺に行かせ、次に自ら白鳥を殺しにかかるが、望んだようにはスムーズに行かない。脚本ではこう描写されている。
老人は力なく水面を叩く。だが弱すぎて、大して水しぶきが上がらない。白鳥たちは羽ばたいて波立つ水面をよけるものの、老人の周りを静かに水をかき続け、池に浮かぶ穀物をつつく。
ややあって
白鳥の鳴き声と、水しぶきの耳障りな音が聞こえる。
池に腰まで浸かったマルドロウが、短い棒を手に白鳥を殴っている。
周りの白鳥が、中央付近に逃げてひしめきあう群に加わる。混乱して、ひとかたまりになっている。
——脚本より
東京大空襲の再現に日本で撮影される映画 製作費は安くは済まない
サイレント映画に近くなるのは百も承知で、20世紀フォックスがゴーサインを出す。同社は初期のコーエン兄弟と組んで、『赤ちゃん泥棒』(1987)や『ミラーズ・クロッシング』などを製作した会社だ。さらに1993年にユニバーサルが映画化権を確保した時に関わっていたプロデューサーのリチャード・ロスも参入する。こうしてプロジェクトは順調に進み、2002年1月に撮影開始の予定が組まれた。だが、2001年9月、バラエティ誌が以下のように報じる。
「映画は創作上の意見の相違により、主人公同様に撃墜されたようだ……契約に詳しい情報筋によると、コーエン兄弟とスタジオは、予算組みで折り合いがつかなかった。日本でのロケ撮影は高くつくものと相場が決まっている」
確かに製作費の大部分は、東京大空襲の再現に費やされることが脚本から読み取れる。上空から降り注ぐ焼夷弾によるカオスが、4ページにわたって繰り広げられる。追加ロケは、カナダで撮影される予定だった。「大金を持っているのでもない限り、大空襲時の東京を舞台に設定するのはやめておけ」——2001年、ジョエル・コーエンはクリエイティブ・スクリーニング誌にそう語った。
ブラッド・ピッドがギャラを返上してもまだ不足だった
コーエン兄弟が唯一巨費をかけた映画『未来は今』(1994)は、高くついたわりに失敗に終わる。大予算のR指定映画は、ハリウッドが好調のときですら製作にゴーサインをもらうのは難しい。ブラッド・ピットのスターパワーをもってしても、20世紀フォックスにリスクを冒す踏ん切りをつけさせられなかった。
2011年、empireonline.com がイーサン・コーエンに復活のチャンスをたずねた際、悲観的な答えが返ってきた。「ジェレミー・トーマスは予算をもぎ取るまで、あと一歩のところだった……。でも、たとえブラット・ピットが“ただ”で出演してくれても、まだ足りなかった。あの状況でもうまくいかなかったのに、実現する日が来るとは思わないね。それにブラッドも、今じゃ年をとった」
『ノーカントリー』(2007)でオスカーを獲り、『トゥルー・グリット』(2010)で興行的成功を収めてさえ、『白の海へ TO THE WHITE SEA』は、コーエン兄弟の〈未完の傑作映画〉であり続ける運命らしい。
Original Text by ロビン・アスキュー/翻訳協力:有澤真庭 構成:今祥枝
「The Greatest Movies You'll Never See: Unseen Masterpieces by the World's Greatest Directors」より
次回は2月7日更新:デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』です。
連載・幻に終わった映画たち 今後のラインナップは以下の通りで全15回です。
連載第12回 セルジオ・レオーネの『レニングラード』
連載第13回 フランシス・フォード・コッポラの『メガロポリス』
連載第14回 デヴィッド・フィンチャーの『ブラック・ホール』
連載第15回 ティム・バートンの『スーパーマン・リヴス』
また、本連載は2018年12月1日に書籍にて発売となった“誰も観ることが出来ない幻映画50本を収めた”「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)の一部を再構成したものです。(B5変形判・並製・264頁・オールカラー 定価:本体3,000円+税)
書籍「幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?」の概要は以下の通りです。
偉大なる監督たちの“作られなかった傑作映画”たち……なぜそれらはスクリーンに辿り着くことができかなかったのか——巨匠たちの胸に迫る逸話の数々を、脚本の抜粋、ストーリーボード、セットでのスチルや残されたフッテージたちを添えて描き出す。さらに各作品には、定評あるデザイナーたちによって本書のために作られたオリジナル・ポスターも掲載。収録図版数400点以上。
お買い求めの際には、お近くの書店またはAmazonなどネット通販などをご利用ください。
【本書に掲載されている幻映画の一覧】
チャールズ・チャップリン監督『セントヘレナからの帰還』
サルヴァドール・ダリ&マルクス兄弟『馬の背中に乗るキリンサラダ』
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督『メキシコ万歳』
エドガー・ライス・バローズ原作『火星のプリンセス THE ANIMATION』
名作『カサブランカ』続編『ブラザヴィル』
カール・テオドア・ドライヤー監督『イエス』
H・Gウェルズ×レイ・ハリーハウゼン『宇宙戦争』
アルフレッド・ヒッチコック監督×オードリー・ヘプバーン『判事に保釈なし』
ジョージ・キューカー監督×マリリン・モンロー『女房は生きていた』
ロベール・ブレッソン監督『創世記』
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『地獄』
フェデリコ・フェリーニ監督『G・マストルナの旅』
アルフレッド・ヒッチコック監督『カレイドスコープ』
スタンリー・キューブリック監督『ナポレオン』
オーソン・ウェルズ監督『ドン・キホーテ』
宮崎駿監督『長くつ下のピッピ』
ジェリー・ルイス監督・主演『道化師が泣いた日』
オーソン・ウェルズ監督×ジョン・ヒューストン主演『風の向こうへ』
マイケル・パウエル監督×シェークスピア原作『テンペスト』
アレクサンドル・ホドロフスキー監督×フランク・ハーバート原作『デューン/砂の惑星』
ショーン・コネリー主演、もうひとつの007『ウォーヘッド』
フィリップ・カウフマン監督、幻の映画版第1作『スタートレック プラネット・オブ・タイタンズ
セックス・ピストルズ主演×ラス・メイヤー監督『誰がバンビを殺したか?』
スティーヴン・スピルバーグ監督『ナイト・スカイズ』
ピーター・セラーズ主演『ピンク・パンサーの恋』
サム・ペキンパー監督『テキサス男』
ルイ・マル監督×ジョン・ベルーシ主演『マイアミの月』
リンゼイ・ナダーソン監督×チェーホフ原作『桜の園』
オーソン・ウェルズ監督『ゆりかごは揺れる』
フランシス・フォード・コッポラ監督『メガロポリス』
D・M・トマス原作『ホワイト・ホテル』
セルジオ・レオーネ監督『レニングラードの900日』
デヴィッド・リンチ監督『ロニー・ロケット』
デヴィッド・リーン監督『ノストローモ』
テリー・ギリアム監督『不完全な探偵』
スタンリー・キューブリック『アーリアン・ペーパー』
アーノルド・シュワルツェネッガー主演×ポール・ヴァーホーヴェン監督『十字軍』
リドリー・スコット監督『ホット・ゾーン』
ケヴィン・スミス脚本『スーパーマン・リヴス』
ダーレン・アロノフスキー監督『バットマン:イヤー・ワン』
第二次世界大戦の悲劇『キャプテン・アンド・ザ・シャーク』
コーエン兄弟『白の海へ』
ニール・ブロムカンプ監督『HALO』
ウォン・カーウァイ監督×ニコール・キッドマン主演『上海から来た女』
マイケル・マン監督『炎の門』
リドリー・スコット×ラッセル・クロウ主演『グラディエーター2』
ジェームズ・エルロイ原作×ジョー・カーナハン監督×ジョージ・クルーニー主演『ホワイト・ジャズ』
デヴィッド・フィンチャー監督『ブラックホール』
スティーヴン・スピルバーグ監督×アーロン・ソーキン脚本『シカゴ・セブン裁判』
ジョニー・デップ主演・製作総指揮『シャンタラム』
デヴィッド・O・ラッセル監督『ネイルド』
ジェリー・ブラッカイマー製作『ジェミニマン』
チャーリー・カウフマン監督・脚本『フランク・オア・フランシス』
トニー・スコット監督『ポツダム広場』