間違いなしの神配信映画『バスターのバラード』Netflix
神配信映画
賞をにぎわせた王道編 連載第2回(全8回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回はアワードシーンをにぎわせた王道編。全8作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
コーエン兄弟によるアメリカ西部開拓時代を舞台に描く6つのオムニバス
『バスターのバラード』Netflix
上映時間: 133分
キャスト:リーアム・ニーソン、ジェームズ・フランコ、ティム・ブレイク・ネルソン、ゾーイ・カザン
コーエン兄弟監督のオムニバス西部劇映画『バスターのバラード』は、まるでディズニーによる往年のおとぎ話映画のように、一冊の本がめくられていく映像を挟んでいくことで、それぞれ6つのストーリーが始まる。ディズニーと異なるのは、それらが“死”を題材にしているという点だ。
『ファーゴ』(1996)や『ノーカントリー』(2007)など、コーエン兄弟は、これまでいくつかの作品で、人間に訪れる死を突然であっけないものとして、また日常に常に潜むものとして、ときにユーモアすら交えながら淡々と描いてきた映画監督である。
ジェームズ・フランコやリーアム・ニーソン、トム・ウェイツやゾーイ・カザン、ブレンダン・グリーソンなど、豪華な俳優陣 がそれぞれのエピソードでアメリカ西部でのさまざまな役柄を演じる本作。どの役が死を迎えるのかについては言及を避けるが、ここでは重要な役柄だから生き残らせるとか、有名な俳優だから死なせないなどの配慮は見られない。誰もが平等に、死ぬときは死ぬのである。これはオムニバスの利点の一つだといえる。
これから10年、20年、あるいはそれ以上続くと漠然と考えている人物の命が、ある日、理不尽に奪い去られる。西部劇の舞台となる、未開拓時代のアメリカ西部では、まさに死が身近にある環境のなかで人々が生活を営み、旅をしていた。コーエン兄弟の持つ“突然の死”という描写は、その中でよりリアリティーを増して、今回はそれぞれのエピソードにおける共通のテーマとして成立している。
かつて隆盛した西部劇というジャンルが衰退したのは、価値観や倫理観が常に更新し続ける社会の中で、ヒーローを描くことやカタルシスを生むことが難しくなってきたことが一因にある。だから近年の西部劇は、本作のように時代の持つ負の側面を描くことで、現代にも通用する普遍性をつかみ出そうとするのだ。
本作におけるいくつかの死は、人間の残忍さや愚かしさを示し、観る者に無常感を与える。だが同時に、全ての人は弱くはかない存在であり、失いやすいからこそ命はかけがえのないものだということも実感できる。その意味で、キャラバン隊の旅を描く第5章は本作の白眉だといえよう。
これらのエピソードに映し出される、愚かで弱い人々の周りに広がる大平原や雪景色、川沿いの草原や果てしない青空があまりにも美しく感じられるのは、全ての人にとってそれを眺められる機会が限られていることを思い知らされるからだろう。“死”を描くことは、限定的な“生”の輝きを描くことでもある。(文・小野寺系)