戦車2,000台欲しい!国家予算ほどの製作費を必要とした戦争映画
幻に終わった傑作映画たち
幻に終わった傑作映画たち 連載第12回
セルジオ・レオーネの『レニングラードの900日』
多くの巨匠や名匠たちが映画化を試みながら、何らかの理由で実現しなかった幻の名画たち。その舞台裏を明かす連載「幻に終わった傑作映画たち」の第12回は、セルジオ・レオーネの『レニングラードの900日』。熾烈を極めたナチスによるロシア・レニングラードの包囲戦を描くことに、なぜレオーネは死ぬまでこだわったのか? これはレオーネの“見果てぬ夢”だったのか——。
LENINGRAD THE 900 DAYS
監督:セルジオ・レオーネ
出演:ロバート・デ・ニーロ
想定公開年:1989年
ジャンル:戦争もの
オーソン・ウェルズの弁護士を雇い、ワーナー・ブラザースに闘いを挑む
1984年の夏、イタリア人監督のセルジオ・レオーネはハリウッドを相手に戦争をしていた。大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)を165分に編集してワーナー・ブラザースに納める契約を結んだが、出来上がったのは約4時間のバージョンだった。それは、過去20年でレオーネが撮ったわずか7本目の(名前がクレジットされた)、そして初めて西部劇ではない長編映画だったが、自分の代表作にするつもりでいた。
ギャングを主題にした映画だったにもかかわらず、レオーネは「これは『ゴッドファーザー』(1972)のリメイクではない」と主張する(実はレオーネはこの1972年の傑作を監督する依頼を受けたが断ってしまい、後悔していた)。だが、ワーナーによってフラッシュバック、および流血や銃撃のない場面はことごとくカットされたアメリカ公開版は139分となった(日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開された)。
業を煮やしたレオーネは、オーソン・ウェルズの弁護士を雇い、ワーナー・ブラザースに闘いを挑む。弁護士はフランスの地で交わされた契約は破棄できないと請けあった。だがレオーネに勝ち目はなかった。彼が幹部の誰かを糾弾するたび、その人物は退社するか、クビになるか、昇進して姿をくらました。「難しいものだ——存在しない敵と戦うのは」と、監督はカイエ・デュ・シネマ誌に語っている。
死ぬまで監督の頭から離れなかったのは、人口の約4割が殺されたナチスによる包囲戦
死ぬまでレオーネの頭から離れなかった物語が、第二次大戦中、最も過酷な状況下での攻防を描くものだったのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で映画会社と闘った経験のせいといえるかもしれない。1941年9月から1944年1月まで続いたナチスによるロシアのレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲戦。人口の約4割が殺されたが、彼らの踏ん張りが、ヒトラーの野望を打ち砕いた。脚本家のセルジオ・ドナティはレオーネに、こぢんまりしたフィルムノワールでも撮ったらどうかと勧めたが、彼にこぢんまりすることはできなかった。そしてそれは、レニングラード大に広がる。
レオーネはリサーチはおろか、脚本の依頼すらしなかった。代わりに、1941年にロシアの作曲家ドミトリ・ショスタコーヴィチが作曲し、翌年初演された「レニングラード交響曲」(交響曲第7番)に聴き入った。曲と、作品が演奏に至るまでの道のりを通じてアイデアを練り始めたレオーネは、戦争で荒廃したレニングラード市の光景はもとより、ショスタコーヴィチの2枚の写真からも刺激を受ける。一枚はインテリの作曲家然としたショスタコーヴィチ、もう一枚は、消防士の装備に身を固め、レジスタンスに一役買っている彼の姿だった。
クリストファー・フレイリング卿が著したレオーネの伝記「セルジオ・レオーネ——西部劇神話を撃ったイタリアの悪童」(鬼塚大輔[訳])によれば、監督が想定したのはこうだ。
「包囲攻撃の時代を背景とした、シニカルなアメリカのニュースリールのカメラマンと、若いソ連の少女とのラブストーリーだ。町(レニングラード)を防護する300万の人々の英雄的な自己犠牲の精神が、アメリカ人カメラマンの目を開かせる。ストーリーでは、そのカメラマンがレニングラードで20日間戦いを報道するようにと依頼されるが、包囲攻撃の間もずっと滞在し続けるというものだ。といっても《彼は包囲の原因には関心がない》のだ。しかし、愛が彼を変える」
ロバート・デ・ニーロが主人公のカメラマンを演じる可能性があった!?
レオーネは想像力のすべてを、映画のオープニングシーンに注ぎ込む。それは、ピアノを前にしたショスタコーヴィチ役の俳優の指から始まる、映画至上最も野心的なトラッキングショットだ。カメラが引くと、窓の外に出て荒廃した都市を通り抜け、塹壕の中に横たわり、銃を構えるロシア人狙撃兵たちの姿をとらえる。そのまま大草原地帯をまたぐと、ドイツ軍戦車の大群が待機しており、1発の砲撃を合図に初めてカットが切り替わる。レオーネはシーン全体のロケ撮影を提案した。撮影中は、何らかの手段でレニングラードの全住民をよそへ避難させる必要があった。
1980年代前半にレオーネがアイデアを練る間、ソ連の指導者はレオニード・ブレジネフ、ユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコ、そして最後にミハイル・ゴルバチョフへと交代していった。進歩派であろうとなかろうと、この中の誰一人として、世界の目をあの紛争に引き戻すことにいい顔をする者はいなかった。しばしば1942年の激戦地スターリングラードと混同されるレニングラード包囲戦は、過酷な境遇にあえぐロシア人民の姿をさらすことになる。人々は飢えて絶望し、自分のペットを食べ、さらに悲惨な状況に追いつめられた。
映画化などされたくないソ連から横やりを入れられてもなお、レオーネは耳を貸す者には誰にでも売り込みを続け、報道陣には愛想を振りまいた。シネフィルのジャーナリスト、ジル・グレサールは当時のレオーネについてこう語る。
「めったにお目にかかれないよ。まだ撮っていない映画についてあんなにベラベラと、しかもしょっちゅう語る監督なんてね」
1984年、レオーネはスクリーン・インターナショナル誌のインタビューで、モスフィルム(ロシアで一番古く、最大のスタジオ)と話がつき、ロバート・デ・ニーロが主人公のカメラマンを演じる可能性があるとにおわせた。監督はこう語る。
「ロシア人に約束したんだ。ナチスドイツが国土に侵攻した際にソビエト連邦レジスタンスが見せたヒロイズムと人間性を、前面に押し出した壮大な映画にするってね」
スケールがでかすぎて、映画会社じゃおっつかない——1国が必要だ!
1988年、ソ連のプラウダ紙で製作が発表されると、プロジェクトの信ぴょう性が増す。翌年、レオーネはモスクワで記者会見を開いている。監督はソヴィ・フィルム。ソヴェクトポルト・フィルム、レン・フィルムと共同製作する契約を結び、自身の製作会社および、イタリアの放送局RAIが署名したと明かした。元同級生のエンニオ・モリコーネが作曲、レオーネの常連スタッフであるトニーノ・デリ・コリが撮影を担当することも発表された。
クリストファー・フレイリングの記録によれば、レオーネはこう断言した。
「『風と共に去りぬ』(1939)を見たまえ。戦争を背景にしたラブストーリーだ。この映画は、少なくとも3時間上映される巨大な映画版のフレスコ画になることだろう……。戦争に重点を置くわけではないが、400台の戦車を注文しなければならない。実際のところ、少なくとも2,000台は欲しいんだがね」
レオーネは、脚本化から編集まで含め、3年以内で完成すると見積もった。「スケールがでかすぎて、映画会社じゃおっつかない——国が一つ必要だ」ともプレミア誌にうそぶいている。
実際にあったのはオープニングシークエンスの構想のみ
レオーネは製作費を3,000万ドルと見積もったが、業界の予測では、その3倍は必要だろうとされた。プリプロダクションの期間がいたずらに過ぎていくが、いまだに題名はおろか、キャスト(デ・ニーロは役をオファーされたことは一度もないと否定)すらつまびらかにしていない。あるのはオープニングシークエンスの構想のみ。それすらも撮影監督のトニーノ・デリ・コリから1テイクで撮るのはほぼ不可能だと突っぱねられる。カメラのマガジンには約980フィート(10分弱)しかフィルムを装填できないからだ。全体の脚本が書かれた形跡もなかった
1988年、レオーネの「ドル箱三部作」(1964~66)で主役を演じたクリント・イーストウッドが、監督に次回作をたずねるとこう答えたという。
「そうだな。今もレニングラードの映画を準備中だよ」
イーストウッドはレオーネについて、こう語る。「彼はいつも、革命の出てくる映画に興味を持っていた。それで『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966)は南北戦争を背景にしているわけだ。セルジオは『レニングラード』の映画化を夢見てはいたが、脚本を書きあげたのかどうかはわからない……次の段階にコマを進めるには至らなかった。多分、セルジオが寡作になったのは、次にどんな物語を撮るか決めかねたためだと思う。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を撮り終え、1、2本製作に関わった後、ある意味興味が薄れていったんだ。いつまでもレニングラードの映画を撮るという夢を温め続けながら、実現はしなかった。見果てぬ夢みたいなものだったのだろう」
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』撮影中に心臓病と診断されたにもかかわらず、レオーネはその夢を追い続けた。だが、1989年4月30日、60歳で永眠する。流れてしまった映画の製作費を確保しようと、最後に一念発起して、ロサンゼルスを訪問する予定の2日前だった。
Original Text by ロビン・アスキュー/翻訳協力:有澤真庭 構成:今祥枝
「The Greatest Movies You'll Never See: Unseen Masterpieces by the World's Greatest Directors」より
次回更新は3月7日:「製作費100億円以上を要する理想の未来都市映画は911でついえた」フランシス・フォード・コッポラの『メガロポリス』
連載第14回 デヴィッド・フィンチャーの『ブラック・ホール』
連載第15回 ティム・バートンの『スーパーマン・リヴス』
また、本連載は2018年12月1日に書籍にて発売となった“誰も観ることが出来ない幻映画50本を収めた”「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)の一部を再構成したものです。(B5変形判・並製・264頁・オールカラー 定価:本体3,000円+税)
書籍「幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?」の概要は以下の通りです。
偉大なる監督たちの“作られなかった傑作映画”たち……なぜそれらはスクリーンに辿り着くことができかなかったのか——巨匠たちの胸に迫る逸話の数々を、脚本の抜粋、ストーリーボード、セットでのスチルや残されたフッテージたちを添えて描き出す。さらに各作品には、定評あるデザイナーたちによって本書のために作られたオリジナル・ポスターも掲載。収録図版数400点以上。
お買い求めの際には、お近くの書店またはAmazonなどネット通販などをご利用ください。
【本書に掲載されている幻映画の一覧】
チャールズ・チャップリン監督『セントヘレナからの帰還』
サルヴァドール・ダリ&マルクス兄弟『馬の背中に乗るキリンサラダ』
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督『メキシコ万歳』
エドガー・ライス・バローズ原作『火星のプリンセス THE ANIMATION』
名作『カサブランカ』続編『ブラザヴィル』
カール・テオドア・ドライヤー監督『イエス』
H・Gウェルズ×レイ・ハリーハウゼン『宇宙戦争』
アルフレッド・ヒッチコック監督×オードリー・ヘプバーン『判事に保釈なし』
ジョージ・キューカー監督×マリリン・モンロー『女房は生きていた』
ロベール・ブレッソン監督『創世記』
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『地獄』
フェデリコ・フェリーニ監督『G・マストルナの旅』
アルフレッド・ヒッチコック監督『カレイドスコープ』
スタンリー・キューブリック監督『ナポレオン』
オーソン・ウェルズ監督『ドン・キホーテ』
宮崎駿監督『長くつ下のピッピ』
ジェリー・ルイス監督・主演『道化師が泣いた日』
オーソン・ウェルズ監督×ジョン・ヒューストン主演『風の向こうへ』
マイケル・パウエル監督×シェークスピア原作『テンペスト』
アレクサンドル・ホドロフスキー監督×フランク・ハーバート原作『デューン/砂の惑星』
ショーン・コネリー主演、もうひとつの007『ウォーヘッド』
フィリップ・カウフマン監督、幻の映画版第1作『スタートレック プラネット・オブ・タイタンズ
セックス・ピストルズ主演×ラス・メイヤー監督『誰がバンビを殺したか?』
スティーヴン・スピルバーグ監督『ナイト・スカイズ』
ピーター・セラーズ主演『ピンク・パンサーの恋』
サム・ペキンパー監督『テキサス男』
ルイ・マル監督×ジョン・ベルーシ主演『マイアミの月』
リンゼイ・ナダーソン監督×チェーホフ原作『桜の園』
オーソン・ウェルズ監督『ゆりかごは揺れる』
フランシス・フォード・コッポラ監督『メガロポリス』
D・M・トマス原作『ホワイト・ホテル』
セルジオ・レオーネ監督『レニングラードの900日』
デヴィッド・リンチ監督『ロニー・ロケット』
デヴィッド・リーン監督『ノストローモ』
テリー・ギリアム監督『不完全な探偵』
スタンリー・キューブリック『アーリアン・ペーパー』
アーノルド・シュワルツェネッガー主演×ポール・ヴァーホーヴェン監督『十字軍』
リドリー・スコット監督『ホット・ゾーン』
ケヴィン・スミス脚本『スーパーマン・リヴス』
ダーレン・アロノフスキー監督『バットマン:イヤー・ワン』
第二次世界大戦の悲劇『キャプテン・アンド・ザ・シャーク』
コーエン兄弟『白の海へ』
ニール・ブロムカンプ監督『HALO』
ウォン・カーウァイ監督×ニコール・キッドマン主演『上海から来た女』
マイケル・マン監督『炎の門』
リドリー・スコット×ラッセル・クロウ主演『グラディエーター2』
ジェームズ・エルロイ原作×ジョー・カーナハン監督×ジョージ・クルーニー主演『ホワイト・ジャズ』
デヴィッド・フィンチャー監督『ブラックホール』
スティーヴン・スピルバーグ監督×アーロン・ソーキン脚本『シカゴ・セブン裁判』
ジョニー・デップ主演・製作総指揮『シャンタラム』
デヴィッド・O・ラッセル監督『ネイルド』
ジェリー・ブラッカイマー製作『ジェミニマン』
チャーリー・カウフマン監督・脚本『フランク・オア・フランシス』
トニー・スコット監督『ポツダム広場』