生と死をファッションで語った天才、アレキサンダー・マックイーン
映画に見る憧れのブランド
1992年に彗星のごとく登場し、2010年の自殺までファッション界の異端児と呼ばれたイギリスのファッションデザイナー、アレキサンダー・マックイーン。彼の追悼式は、世界的指導者や王室メンバーしか許されていなかったセントポール大聖堂で行われ、彼の死から1年後にニューヨーク・メトロポリタン美術館で開催された回顧展『サヴェッジ・ビューティー』(美と野生)には、50万人もの人々が行列に並びました。
“芸術的インスタレーション”と称されるマックイーンのコレクション。今回は、映画をモチーフにしたコレクションから、彼の人生を振り返りたいと思います。
1992年:祖先に思いを馳せた“切り裂きジャック”
1969年3月17日に6人きょうだいの末っ子としてロンドン南部に生まれたリー・アレキサンダー・マックイーン。父親はスコットランド系のタクシー運転手で母親は主婦という平凡な家庭で育ちました。16歳のときに高校を中退したマックイーンは、名門紳士服店が集まるサヴィル・ロウ通りのオーダーメイド高級紳士服店に見習い工として就職、そこでテイラードの縫製を徹底的に吸収しました。
数人のデザイナーや衣装作製会社の下で働いた後、ロンドンの芸術大学、セントラル・セント・マーチンズの修士課程を修了。1993年の卒業コレクション“獲物を狙う 切り裂きジャック”で連続殺人犯と犠牲者の売春婦たちをテーマにした服を発表しました。これは、犠牲者の一人が母ジョイスの祖先が経営していた宿屋に滞在していたことから、イギリスを揺るがした歴史的な事件と祖先の系譜を融合して、過去と未来を表現したものだと考えられています。
この卒業コレクションには、ファッショニスタで有名なイザベラ・ブロウが現れ、そのことがマックイーンの未来を変えることに。彼女はこの卒業コレクションを全て買い上げ、UK版ヴォーグで身につけて誌面を飾りました。学校を卒業したばかりのデザイナーがヴォーグに掲載されることは前代未問だったそう。
1993年:虐げられる女性を描いた“タクシードライバー”
貴族階級出身のイザベラと労働者階級出身のマックイーンは正反対の生い立ちながらも非常に気が合い、イザベラは彼をハイファッションの世界で成功させるために非公式のPR、スタイリング、ミューズを引き受けました。既婚者イザベラとゲイであったマックイーンの関係はロマンチックなものではなく、母と息子のようなものだったのだとか。
1993年秋に発表された“タクシードライバー”は、卒業後初めてのコレクションでマーティン・スコセッシ監督作『タクシードライバー』(1976)をモチーフにした、タクシー運転手の父親へのオマージュでした。
当時、失業手当でなんとか生きていたマックイーンはサランラップやラテックスなどの安くて変わった素材を使い、後に“バムスター”(※2)と呼ばれるローライズパンツも姿を現しました。間もなくほかのデザイナーたちも続々とローライズパンツを発表し、90年代の大流行に。また、映画内でロバート・デ・ニーロが演じるトラヴィス・ビックルのモヒカン頭のイメージを生地にプリントしたりもしました。ジョディ・フォスターが演じる14歳の売春婦アイリスをヒモから助け出そうとするトラヴィスをデザインにした意図は何だったのでしょうか。
1995年:搾取される女性<性>を表現した“ハイランド・レイプ”
マックイーンを一躍有名にした5回目のコレクション“ハイランド・レイプ”。自身の祖先がスコットランド人であったことから着想を得ました。驚いたことに、ランウェイに登場モデルたちは、引き裂かれたレースやタータンの服をまとい、ちぎれた生地からは胸や尻が露になった上、苦悩の表情を浮かべており、あたかもレイプされた直後のようにふらふらと歩いていたのだとか! これを見たファッションプレス達から、“暴力的”、“マックイーンは女性を嫌悪している”と大バッシングが起こりました。
しかしマックイーンは、これはスコットランドがイングランドに侵略、蹂躙され続けてきた歴史を表現したものであり、女性を被害者ではなく強い存在として見せたいと説明。自身の姉が夫に首を絞められたり、殴られたりするのを子供の頃から目撃しただけではなく、その夫から彼自身も虐待を受けていたという驚くべき過去を告白したのです。そして、このコレクションに関して、「私は女性に力を与えたい。人々が私の服を着た女性に恐れを抱くようになってほしい」と語りました。(※1)
この様子は、マックイーン自身のインタビュー映像や家族から提供されたプライベートな映像、そして彼に関わった様々な人々の証言を通して、彼の創造の原点から自殺の謎まで迫るドラマチックでエモーショナルなドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』(4月5日公開)でも描かれています。
1996年:命の儚さを象徴した“ザ・ハンガー(渇望)”
トニー・スコット監督の長編デビュー作『ハンガー』(1983)は、ニューヨークを舞台に美しい吸血鬼のミリアム(カトリーヌ・ドヌーヴ)とジョン(デヴィッド・ボウイ)の悲恋を絵画のような映像美で綴ったホラーストーリー。
アンティークで囲まれた瀟洒な館、ドヌーヴが身に付けるイヴ・サンローランの衣装、ボウイがまとうパンクファッション、赤い鮮血と漆黒の夜……生と死から生まれる美醜が織り成すダークで耽美な本作は、「美しさとは最も奇妙なところから生まれる。最も嫌悪をもよおす場所からでさえも」(※1)という美意識を抱くマックイーンにインスピレーションを与えました。
本コレクションで注目されたのは、アクリル製のボディス。なんと、この中には生きているウジ虫が詰まっていたのだとか! 人間の死後の行く先を示唆しているようです。
1999年:人生のロマンスを魅せた“ザ・オーバールック”
1996年、LVMHの傘下にあるフランスのクチュールブランド、ジバンシイのクリエイティブ・ディレクターに抜擢。27才の若手デザイナーとしては破格のギャラをオファーされました。
しかし、この時、彼の将来を変える決定的な出来事が起こります。それは、彼の無名時代を応援したイザベラをジバンシイとの契約から外してしまったこと。『マックイーン:モードの反逆児』ではイザベラの夫のインタビューから、自分の成功がイザベラのお陰だったと評価されることに嫌気がさしていたことがわかります。深い絆で結びついていた二人の仲はこれを境にギグシャクとしていきました。
パリに移ったマックイーンは後年、ジバンシイでの経験を「ジバンシイにいた時期が不幸だった」(※1)と口にしましたが、オートクチュールの職人たちと働いた経験や、柔らかで軽やかなジバンシイの伝統的なスタイルは、マックイーンの技術力と芸術性を新たな次元へと導きました。
その証拠に1999年のコレクション“ザ・オーバールック”には、複雑な刺繍を施された軽やかに揺れる服が登場し、これまでダークでエッジィだったマックイーンのコレクションに、オートクチュールの完成度とロマンスを加えたのです。
このコレクションはスタンリー・キューブリック監督の名作『シャイニング』(1980)からヒントを得たのだとか。劇中の狂った父ジャック(ジャック・ニコルソン)から雪の中を逃げ惑う息子ダニー(ダニー・ロイド)のシーンを、キャットウォークの舞台にし、映画で登場する不気味な双子の女の子に似た二人のモデルも登場しました。
2007年:栄枯必衰の人生を語った“サラバンド”
自身のブランドとジバンシイを行き来し、年に10回以上ものコレクションをこなしていたマックイーンは疲れ果てていましたが、ジバンシイから支払われる報酬で自分のブランドを経営していたことから、LVMHとの契約を打ち切ることはできませんでした。
そんな中、2000年、グッチ・グループがマックイーンブランドの株式の約半分を買収する話が持ち上がり、クリエイティブな面ではマックイーンが全指揮を取るという条件の下、マックイーンはジバンシイを辞めてグッチ・グループに入ります。グッチからの資金で自分のブランドに集中することができるようになった彼は、それまでにも増して創造的で冒険的なコレクションを打ち出していきました。
ところが2007年、イザベラが自殺。彼女は長い間、鬱病に苦しみ、卵巣癌も患っていたのです。イザベラの死はマックイーンを打ちのめし、彼は彼女の霊を呼び寄せよう何人もの霊媒師に相談するほどだったのだとか。実はこの頃、マックイーンは脂肪吸引やドラッグに手を出しており、ちょっと太ったヤンチャなイギリスの男の子といった以前の外見が、ハイファッション界で成功した洗練された男性へと激変。次第に、被害妄想や欝状態に陥るようになってしまいます。
イザベラの死後に発表された“サラバンド”コレクションは、キューブリック監督作『バリー・リンドン』(1975)に発想を得たもので、登場するドレスは映画の18世紀の壮麗な衣装を幻想的に表現したもの。透き通った白いドレスや柔らかな色合いのパフドレスは、雲の中、天国に舞い上がるような女性を想起させ、イザベラへの想いが託されていたかのようです。
映画はアイルランドの農家に生まれたバリー・リンドン(ライアン・オニール)がイギリスの上流階級に食い込み、貴族にまでのし上がりながら贅沢に溺れ、落ちぶれていくという、栄枯衰退を描いた大作。キューブリック監督が18世紀を徹底的に再現したといわれるように、セットや衣装は古典絵画のように華麗です。
とは言え、そこに描かれているのは、常に隣り合わせる成功と転落、儚い美しさ、生と死……。贅沢と貧困、美しさと醜さ、生と死は表裏一体のもの。そんなマックイーンの人生観が感じられ、ファッションデザイナーとして頂点を極めながらも、名声や富を手に入れるにつれ自分の殻に引きこもるようになっていたマックイーンの運命を暗示しています。
2010年2月10日、40歳のマックイーンは自ら命を絶ちました。その日はマックイーンの母ジョイスの葬儀の前日。被害妄想や鬱病が自殺の原因だったとも言われますが、イザベラとジョイス、二人の母の死が引き金になったのは間違いないでしょう。
ファッションで身体を飾り、時には覆い隠すことで、“身体の表面”をできる限り美しく加工する私たち。一方、マックイーンは私たちが隠したがる“人間の内面”をファッションをとおしてあぶりだそうとしました。彼にとってファッションは、自己の存在や人間性を表現した芸術的手段だったのです。
「服は美しい物だが外には現実がある。現実に耳をふさぎ、世界は楽しいと思う人に現実を伝えたい」by アレキサンダー・マックイーン(※3)
【参考】
※1…ガイアブックス「VOGUE ON アレキサンダー マックイーン」クロエ・フォックス著 山崎恵理子訳
※2…10 Films Behind Alexander McQueen's Fashion - BLEECKER STREET](https://bleeckerstreetmedia.com/editorial/films-behind-alexander-mcqueens-fashion)
※3…映画『マックイーン モードの反逆児』
此花さくやプロフィール
映画ライター。ファッション工科大学(FIT)を卒業後、「シャネル」「資生堂アメリカ」のマーケティング部勤務を経てライターに。アメリカ在住経験や映画に登場するファッションから作品を読み解くのが好き。
Twitter:@sakuyakono
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