ファッションの定義を問い続けるデザイナー、イッセイ ミヤケ
映画に見る憧れのブランド
世界のファッション産業の未来や課題をグローバルな視点で考え解決を探る組織、「パリ・プレタポルテ組合」の正式メンバーである数少ない日本人デザイナー、三宅一生。1970年代初頭に日本人としていちはやくパリ・コレクションに参加しました。以来40年もの間、世界中で非常に高く評価されていますが、彼の功績や世界観は意外にも日本ではそれほど浸透していない気がします。今回は、イッセイ ミヤケの思想と彼のアイコニックなブランドについて考察してみます。
被爆経験、イサム・ノグチと五月革命
1938年、広島県広島市生まれの三宅一生は7歳の時に被爆していましたが、長らく自身の被爆経験を世間に語りませんでした。「自分も長くは生きられないだろうから、30歳か40歳までにできることをやろう。原爆を言い訳にしない。そう心に決めました」(※1)と読売新聞に語った彼は、爆心地近くに架けられた平和大橋のイサム・ノグチにデザインされた欄干に感銘を受けて、デザインの道に進むことを決意。
高校卒業後は東京の多摩美術大学図案科で学び、在学中にファッションクリエイションの登竜門である装苑賞を2回受賞し頭角を現します。「衣服をファッションではなく、“デザイン”としてとらえる」(※2)という彼の視点は注目を集めました。1963年に大学を卒業後、初コレクション「布と石の詩」は大好評。1965年、オートクチュールを学ぶためにパリに渡り、ジバンシィなど2つのメゾンでアシスタントを務めた後、1968年にパリの五月革命に遭遇します。
1968年はアメリカのベトナム反戦運動、中国の文化大革命、日本の全共闘や東大紛争など、世界中で学生運動が広がっていた時代。シャルル・ド・ゴール政権下にあったフランスは経済発展が衰え始めた時期で、経済優先主義が生み出した格差社会に対して不満を抱いていた左翼の大学生たちが、パリ大学ナンテール校を占拠してしまいます。そして、学校を閉鎖した政府に怒った学生が警官隊と衝突し、大学生を応援した労働者や市民がデモに参加したことから五月革命が始まりました。このとき、三宅は限られた富裕層のために衣服を作るオートクチュールではなく、より多くの人々のための服作りをすることを決意したのだとか。
ミシェル・アザナヴィシウス監督作『グッバイ・ゴダール!』(2017年)では五月革命の雰囲気を味わうことができます。本作は映画監督ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』(1967年)でヒロインに抜擢され、のちに2番目の妻となったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を映画化したもので、ゴダールと彼女が革命に傾倒していく様子がコミカルに描かれており、若きゴダールを形成したパリの社会や恋愛模様が興味深い作品です。
「1枚の布」という“思想”
翌年の1969年、ニューヨークに移りプレタポルテ(高級既製服)を半年学んだ後、1970年に帰国した三宅一生は、三宅デザイン事務所を東京に設立し、1971年には「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」としてニューヨーク・コレクションに参加しました。
そして、1973年、パリ・プレタポルテのコレクションで世界に衝撃を与えた「1枚の布」というコンセプトーー。これは、西洋で考えられてきた“人間と衣服の関係”を揺るがせるものでした。細かい布のパーツを縫い合わせることによって平面である布を身体に合わせて立体化させるという一般的な衣服の成り立ちではなく、「身体と布の間に生まれるゆとり、“間”が、着る人の心も身体も自由にする」(※3)ことに三宅は着目。つまり、身体と布の間にできる空間が生み出すシルエットと、「動くと肌に触れる布の感触を楽しめる」心地のよさをデザインした衣服を、「1枚の布」から立体的に造形するーー。これが「イッセイ ミヤケ」の“思想”となったのです。(※4)
テクノロジーと人の技が融合した「プリーツ プリーズ」
「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」がひとつのブランドとして登場したのは1993年ですが、実は1988年から独自のプリーツ技術を使った衣服を発表しています。プリーツとは、20世紀初頭にマリアーノ・フォルトゥーニがヴェニスで発明した技術で、プリーツが加工された生地を裁断して衣服が作られるのが通常のプロセスですが、「イッセイ ミヤケ」は、衣服の形に裁断・縫製した後でプリーツをかける「製品プリーツ」という技法を発明。(※3)この技法で衣服を作ると、着用されたときに思わぬところでプリーツが出っ張ったり、身体に寄り添ったりとプリーツに多様な表情が出るそう。
なお、「製品プリーツ」は、プリーツ加工による布の収縮率をあらかじめ計算して、裁断・縫製を施さなくてはいけないので、最終的なサイズの2.5倍から3倍の大きさの布を加工して、想定したデザインを創りだす必要があります。それには、緻密にプログラミングされたプリーツマシーン、布の特性を知り尽くした職人技術、加えて、デザインの感性が必要。つまり、「プリーツ プリーズ」は、「テクノロジーと人の枠」が働きあうことで生まれたクリエイションなのです。(※4)
どんな体形の人にも合うようにデザインされた究極の衣服
「プリーツ プリーズ(Pleats Please)」のプリーズ(Please)とは英語で“喜ばせる”、“楽しませる”という意味をもっています。その名のとおり、この衣服を身につけると、その軽さ、着心地のよさ、動きやすさに驚かされます。細身の衣服なのに着用すると身体のラインに沿い、細めの人はふっくらと、太めの人はスリムに見えるシルエットが素晴らしく、コンパクトに畳んでもシワにならず、水洗いもできるという機能性も高いもの。
さらに、「プリーツ プリーズ」が画期的な点は、ひとつのブランドとして、プリーツ技術を日々進化させ、継続的に新しい衣服を発売しているところ。半年ごとに新しいクリエイションを打ち出し“流行”を作るほかのデザイナーとは異なり、ひとつの大きなプリーツという“テーマ”を通して、「デザインは何をすべきか」(※3)を掘り下げているのです。
ロバート・アルトマン監督作『プレタポルテ』(1994年)は、パリコレクションを舞台に起こる殺人事件を軸に、華やかなファッション業界の住人たちが織り成す群像劇。ジュリア・ロバーツ、ティム・ロビンス、ローレン・バコール、ソフィア・ローレンやマルチェロ・マストロヤンニら豪華キャストによるギャグタッチの演技や演出がダークなコメディですが、さりげなく、ファッション業界が起こす競争社会、産業公害や消費文化へのアンチテーゼが潜んだ傑作。映画には、80年代から90年代の代表的なデザイナージャンフランコ・フェレ、ソニア・リキエル、ジャン=ポール・ゴルチエらとともに三宅一生も出演しています。
映画のラストは「ファッションとはどの服を着るのかではなく、自分が何を求めるのか」という印象的なセリフで締めくくられ、「イッセイ ミヤケ」のコレクションが、あたかもその問いかけに答えるかのように登場。身体を覆うことから始まったとも言える人間の歴史において、いまや、天候や環境から身体を守る以上の意味がある衣服。ファッションとはなんなのかーー。そんなことを考えさせられる作品です。
世界に名だたるセレブに愛されるイッセイ ミヤケ
音楽、映画、ファッション界のジャンルを超えて80年代を一世風靡した歌手、モデル、女優、作家のグレイス・ジョーンズ、エッジの効いたファッションを纏うことで有名なレディー・ガガ、エレガントな装いでレッドカーペットを飾る名優メリル・ストリープ、米TV『フルハウス』の元子役で現在はデザイナーとして活躍するオルセン姉妹のメアリー=ケイト・オルセン、世界的なファッション評論家のスージー・メンケスなど、名だたるセレブに愛される「イッセイ ミヤケ」。
人種、体形、年齢がまったく違う彼女たちの個性を活かしながら、独特の「イッセイ」スタイルが表現されているのは、「イッセイ ミヤケ」の衣服は“まず着用者ありき”の哲学から創り出されているからでしょう。
スティーブ・ジョブズのタートルネック
ジョシュア・マイケル・スターン監督作『スティーブ・ジョブズ』(2013年)は、アシュトン・カッチャーがジョブズをそっくりに演じ、ジョブズの学生時代からアップルでの成功と挫折、復活を描いた伝記映画。ジョブズの天才的な才能とダークな人間性の両方を映し出した本作はアップルの創生期を理解する作品には仕上がっていますが、ジョブズの人物像には賛否両論があります。
作中にも登場する、黒のタートルネック、リーバイス501、グレーのニューバランス991という有名なジョブズのスタイル。あのタートルネックは実は「イッセイ ミヤケ」だということをご存知でしたか?
ジョブズが「イッセイ ミヤケ」を着用し始めたのは、ソニーの会社訪問がきっかけなのだとか。1980年代のある日、ジョブズがソニーの会社に見学に行ったときに、社員が制服を着ているのを見て驚き、当時の会長だった盛田昭夫氏にその理由を尋ねてみたところ、第二次世界大戦後の日本は貧しく会社の制服が喜ばれたこと、その上、制服が会社と社員の結びつきにつながったことを聞いたそう。
そのときのソニーの制服が「イッセイ ミヤケ」で、ジョブズもアップル社員の制服としてベストを作りましたが、アップルの社員には制服が受け入られなかったのだとか。代わりにジョブズは三宅一生自身が着ていたタートルネックを自分用にオーダーしました。(※5)
これには後日談が。「イッセイ ミヤケ」の当時のクリエイティブディレクターだった滝沢直己氏が来日したジョブズを採寸し、タートルネックを数百枚送ったところ、「これは違う」と全て返品されてしまったのだそう!生地の密度がオリジナルと僅かに違っていたからです。映画で描写されたジョブズの妥協を許さない美学がこの逸話にもうかがえます。(※6)
日本を代表する「イッセイ ミヤケ」を生んだ三宅一生は、1999年にデザインの第一線から退き、滝沢直己(1999年~2007年クリエイティブディレクター)、藤原大(2007年~2014年クリエイティブディレクター)、宮前義之(2012年~ウィメンズデザイナー)、高橋悠介(2014年~メンズデザイナー)など、既に4人ものデザイナーへと世代交代をしてきました。シャネル、クリスチャン・ディオール、ヴェルサーチ……世界のハイブランドは創業デザイナーの死後に後継者を指名してきたのに、現役で活躍できる三宅が若いデザイナーにブランドを継承したのはなぜなのかーー。
「イッセイ ミヤケ」3人目のクリエイティブディレクターだった藤原大は「ブランドとして創業した三宅のスピリッツを伝えていくこと、それをまた、後継者に引き継いでいくことが自分の役割だ」と語りました。(※4)革新的な技術やデザインだけが三宅一生の功績ではなく、若い才能を大切に育成することによって、「デザインが現代社会にいかに貢献できるか」(※7)をファッション産業に問い続けるブランドの責任……これもまた、三宅一生が残した功績なのではないでしょうか。
【参考】
※1…初めて語る被爆体験 デザイナー三宅一生の生き方(上) - YOMIURI ONLINE
※2…三宅一生の仕事と考え方 | MIYAKE DESIGN STUDIO
※3…Issey Miyake & Reality Lab. 「Creative is Born 三宅一生 再生・再創造」
※4…日本経済新聞出版社「イッセイミヤケのルール」川島蓉子著
※5…ジョブズが黒タートルを着た理由が今明らかに。きっかけは日本 - GIZMODO
※6…日本経済新聞出版社「1億人の服のデザイン」滝沢直己著
※7…企業理念 | MIYAKE DESIGN STUDIO
此花さくやプロフィール
映画ライター。ファッション工科大学(FIT)を卒業後、「シャネル」「資生堂アメリカ」のマーケティング部勤務を経てライターに。アメリカ在住経験や映画に登場するファッションから作品を読み解くのが好き。
Twitter:@sakuyakono
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