まさに会場はダイバーシティ!東京国際ろう映画祭
ぐるっと!世界の映画祭
【第83回】(日本)
映画を通してろう者を取り巻く手話社会やろう文化の魅力を伝え、聴者とろう者の相互理解の場を創出しようと2017年にスタートした東京国際ろう映画祭(以下、Tokyo International Deaf Film Festival を略してTDF)。隔年開催の今年、第2回が5月31日~6月3日、東京・渋谷のユーロライブなどで開催されました。東京2020パラリンピックを控えて人々のバリアフリーへの関心が高まる中、果たして映画業界は!? を探るべく映画ジャーナリストの中山治美が聴者の視点からリポートします。(取材・文・写真:中山治美、写真提供:東京国際ろう映画祭)
第1回よりバージョンアップ
きっかけはTDF実行委員会の牧原依里代表が、2012年に旅先のイタリア・ローマで行われていたCINEDEAF(ローマ国際ろう映画祭)に参加したことだった。ろう者である牧原代表は誰にでも映画が撮れる時代の到来を実感し、2016年にはドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』で共同監督を務め、2017年に同じくろう者のアーティスト・諸星春那と共にTDFを立ち上げた。
こだわりは、ろう者スタッフによる作品セレクト。第1回は「視覚の知性」をテーマに、ろう者の男女が主人公の北野武監督『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)の16mmフィルム上映など3日間で12作品を上映し、約1,500人を動員した。
第2回のテーマは「可能性」。開催期間も4日間と前回より1日延びただけでなく、上映本数も31 本とボリュームアップ。さらに新たな試みとして国内外から作品公募を行った。
応募条件は「ろう視点で作られた作品」または「ろうにアプローチした映像作品」であること。集まったのは世界15の国と地域から38本で、うち11本を厳選し、観客賞も設けた。観客動員数は約2,000人で、聴者の来場者も多かった。
なお記念すべき第1回の観客賞は、生き別れたろう者の双子が30年ぶりに再会して暮らし始めたものの、はちゃめちゃな妹ハイジの行動に振り回されるへディ一家の苦労を描いたコメディー『ヘディとハイジ ‐生き別れた姉妹‐』(2017・アメリカ)に贈られた。
ろう者の世界を知る
プログラムは、中国・台湾・日本に注目した「FOCUS ON ASIA TDF」、アイデンティティや世界の広さ、奥深さを問いかける作品をピックアップした「PANORAMA」、「ろう監督短編特集」「聴者監督短編特集」、パートナーシップを結んでいるCINEDEAF選出の映画を上映する「CINEDEAFセレクト」、大杉漣さん主演『教誨師(きょうかいし)』のバリアフリー字幕上映を行った「特別上映企画」の6つ。『教誨師(きょうかいし)』以外、劇中で使用されている主言語はほぼ手話だ。ここには、かつて手話が“手真似”とさげすまれたり、1880年にイタリア・ミラノで行われた第2回国際ろう教育会議で「手話法は口話法より劣っている」と結論づけられ、各国のろう学校で手話が禁止されていた苦い歴史への思いと、手話は自分たちの母国語であるという誇りがある(各都道府県で手話言語条例があり、一般財団法人全日本ろうあ連盟では国会での手話言語法早期制定を推進している)。
その手話の歴史と魅力を言語学の面から描いたのがヌリート・アヴィヴ監督のドキュメンタリー映画『シニェ ‐手話を話す‐』(2017年・フランス)。イスラエル手話をメインに、各国・地域での手話の違いや歴史をひも解いていくドキュメンタリーだ。プログラムにはろう者の深川勝三監督が1961年に製作した『楽しき日曜日』の上映もあり、その際、牧原代表が「古い手話が使用されていた」と語っていたので、ろう者や手話を研究されている人たちはTDFのプログラム全体を通して日本手話の変化も楽しまれたのではないだろうか。
また『シニェ ‐手話を話す‐』の中で興味深かったのが、ろう者夫婦の間に生まれた子どもがろう児だったのだが、夫婦が「子どももろうでうれしかった」と語ったことだ。なぜなら家庭の中で手話で話ができるからだという。
しかし、ろう者の家庭で育った子どもが成長するにつれて音のある世界を知りたいと望み、人工内耳手術を望んだら? そんな視点で撮られたドキュメンタリー映画『音のない世界で ‐Sound and Fury‐』(1999)、『音のない世界で ‐6年後‐』(2006)もあった。1人の少女の夢は、家族はもちろん親戚やろうコミュニティーを巻き込んでの論争へと発展していく。孫の可能性を開かせてあげたいと望む聴者の祖母と、ろうで繋がっている家族の結束が壊れてしまうのではないかと恐れるろうの両親。ろう文化の誇りと継承を願うコミュニティー。彼らの発言の数々は、聴者がなかなか知ることのないろう者の胸の内に触れたかのようで驚きと発見の連続かつ、スリリングな展開にスクリーンから目が離せなくなった。1つの家庭を見つめることで見えてきた、ろう者と聴者が共生していくには? 家族とは? というなかなか答えを見出せない深いテーマは、鑑賞後もずっと頭から離れずにいる。
ろう者監督と聴者監督の違いは?
プログラムでは聴者監督とろう者監督それぞれの短編特集が組まれていた。全体的な印象として、コンゴのろう者を取り巻く厳しい現実を知らしめる『インナー・ミー』(2016)や、聴者の家庭で孤立しているろうの少女を主人公にすることで両親の手話教育への不理解や偏見の存在を描いた『サイレントチャイルド』(2017)など、聴者監督の作品はろう者が社会の中で置かれている現実を描いた作品が多かった。対してろう者監督作品は、『事件の前触れ』(2017)のようなシュールなブラックコメディーに、今井ミカ監督『あだ名ゲーム』(2014)のようなホラーテイストといったジャンル映画もあって実にユニーク。
最も顕著な違いは、音の使い方だろう。当然、聴者監督の作品には物語をドラマティックに伝える音楽が付いているのだが、今井ミカ監督の弟であり俳優としても活躍している今井彰人監督『父』(2016)は無音。聴者の観客向けに日本語・英語字幕も入っていたが、ろう者ならそれすらも本来は不要だ。
アフタートークに参加した今井ミカ監督曰く、聴者に『あだ名ゲーム』の感想を聞いたところ、「通常のホラーやサスペンスだとこれから何かが起こることを予告する不穏な音楽が流れるが、それがなく突然、映像で見せられると、むしろ怖かった」と言われたという。
今井彰人監督も「ろう文化が身についていればろうの映画を観て理解できると思うけど、知らない人が観ると音がないことに違和感を抱くようです。音がなくとも物語を伝えられるようになりたい」と語っていた。
もともと映画はサイレントから出発している。チャーリー・チャップリンにオマージュを捧げた『一日の嘘』(フランス・2018)の、ろう者であるジョエル・チャルド監督は「かつて、ろう者は差別にさらされているのが当たり前。手話通訳もいませんし、今のようなインターネットもないので、情報を得る方法が全くありませんでした。当時はテレビに、字幕もありませんしね。唯一楽しみだったのがチャップリンの映画。彼の表情を見れば全てのことがわかるのです。チャップリンの映画には本当に感謝しています」とサイレント映画の喜劇王への感謝の言葉を語った。
聴者であるわたしたちは、もはや映画は音があって当たり前の世界に慣れてしまった。映画の原点と向き合い、自分たちだからできる表現方法に取り組んでいるろう者監督の映画は、聴者監督にとって大いに刺激になるのではないだろうか。
ちなみに今井ミカ&彰人監督は父親の影響で子どもの頃から映画が大好きで、自分たちで『マトリックス』(1999)のモノマネをして映画を作っては遊んでいたという。そこで映画の道に進もうと思い、一度プロの現場をのぞいてみようとエキストラに応募したが「ろう者の採用は難しい」と断られたという。
「海外のろう映画祭に参加した時に、どうすれば映画界に入れるか相談したところ、手話と日本語は言語が異なるので入っても馴染めず、かつ映画の現場は時間が勝負なので難しいのでは? と言われて、悔しかった」という。そこで現在今井ミカ監督はJSLTime(ジェイエスエルタイム)という、日本手話で映像・映画制作を行う団体を立ち上げたという。
映画監督でもある牧原代表も、映画教育機関も、経験を積むための撮影現場もろう者を受け入れてくれるところはなく、「牧原組を作った方がいい」とアドバイスを受けたという。
そうした映画界の現状と、ろう者監督の育成を兼ねてTDFでは昨年12月と今年1月、2月に、深田晃司監督を講師に迎えての映画教養連続講座を実施。さらに今回の会期中には、アメリカでろう者のための動画を配信しているDPAN.TVでLGBT作品『リバース・ポラリティ』(2018)を制作したろう監督のジュール・ダメロンと、出演者のろう俳優ジョシュ・カスティーユを招いてのワークショップを開催した。今後も、同様の企画を展開していくという。
聴者とろう者のコミュニケーションを探る
ろう者とのコミュニケーションをテーマにした作品もあった。映像作家・八幡亜樹監督『TOTA』(2012・日本&インド)は、ろう者と聴者はどのようにコミュニケーションをとるのか? をドキュメンタリータッチに撮った作品だ。出演者は日本のろうの舞踏家の雫境(DAKEI)。「一度、日本のろう者と撮影したのですがお互い日本語という共通言語があるのでなんとなくコミュニケーションが取れてしまい、監督がそれでは面白くないと思ったのか、インドへ行くことになりました」という。替わって共演することになったのは、インドの盲目のろうそく職人。2人がどのように心を通わせていくのか。異国で同様の経験をしている聴者にとっても、他人事とは思えぬ作品なのではないだろうか。
もう1つは、京都造形芸術大学の瀬浪歌央監督『パンにジャムをぬること』(2018)で、人工内耳手術を受けたろう者のすみれと、彼女が弾くピアノの音色に惹かれて友人となった琳の日常を描いたもの。取り立てて、すみれがろう者であることを強調した作品ではない。瀬浪監督は「映画の中で障害者は頑張り過ぎていると聞いて、この映画を撮りました」と言う。
出演者は瀬浪監督と大学の同期でもある瀬戸さくらと大塚菜々穂。瀬戸は役柄同様にろう者であるが、本作には美術スタッフとしても参加している。
大塚は「普段も映画の中と同じように会話をしています。お互い違いは感じない」と語る。
とはいえ劇中、瀬戸が演じるすみれが「わたしにとって映画は魔法。会話が突っかかることなくスムーズに進んでいくから」と語るシーンがあり、ろう者が友人たちとの普段の会話でどうしても聞き返したりしてしまうことが心に引っかかっていることを想像させる。それでも、ろう者と聴者の垣根を軽く越えて、映画作りに励んでいる彼女たちに映画界の明るい希望を感じた。
また各映画の中には、ろう者同士の連絡にスマートフォンの動画機能を活用していたり、病院の予約など聴者に連絡を取る方法として電話代行サービスを利用しているシーンなどが出てくる。コミュニケーションツールの進歩と重要性を改めて考える機会となった。
驚異の多言語情報対応
TDFに参加して驚くのは、トークイベントでの多言語への対応だ。例えば、シンポジウム「日本・アメリカ・イタリアのろう映画祭からみる現在と未来」の場合。登壇者は日本から総合司会の今井ミカ監督、TDFの牧原代表、シアトルろう映画祭のフェスティバルディレクターのマイケル・アンソニー、CINEDEAFの創設メンバーのルカ・デス・ドリデス。ステージ前方には登壇者の手話を日本語に音声通訳する人がおり、その音声が翻訳ソフトUDトークを使ってスクリーン上に日本語と英語での文字情報が表記される。
さらに壇上には日本、アメリカ、国際手話通訳者も配置。彼らは登壇者と同じく客席に向けて手話をしているため彼らの手話は確認できないことから、ステージ前方に登壇者の手話を壇上の手話通訳者にリレー中継する人も控えている。
他にUDトークの音声の読み取り違いをチェックし、修正していくスタッフや、この日はルカさんが国際手話ができずにイタリア語音声で参加したため、イタリア語から日本語に音声通訳する人もいた。
筆者も数々の国際映画祭と名の付くところに参加しているが、現地語のみで進行し、英語通訳者すらいないというのはしょっちゅう。
中には作品の字幕に英語さえ入ってないところもある。周りがそんな状況なのにこれだけの多言語通訳を用意していることに感嘆しきり。特にろう者にとってはコミュニケーションツールに欠かせないUDトーク(翻訳機能の整合性はまだまだ改善の必要はあると思われるが)など最新技術の活用法は、他の映画祭でも大いに参考になるのではないだろうか。ちなみにTDFの宣伝PR動画も全て日本語字幕が付いている。
他プログラムでは、視覚障害者のための音声ガイド付きの上映や中国映画『手話時代』の手話弁士付き上映も行われた。ろう者だけでなく、実に多様な方に向けた上映プログラムで、会場には補助犬を連れた方や、車椅子の方、白杖を持った方もおり、これほどバリアフリーな映画を体験したのは、東京・田端にあるユニバーサルシアター「シネマ・チュプキ・タバタ」で鑑賞した時以来だ。
同劇場はイヤホン音声ガイドや字幕付き上映を常時行っているだけでなく、親子鑑賞室も設けられているので、筆者が訪問した時は盲導犬を連れた方や赤ちゃんを抱っこした女性もおり、なんともほほ笑ましい気持ちになったことを覚えている。
TDFは隔年開催で、第3回は2021年の予定。ろう者はデフリンピックの対象なので、東京2020パラリンピックは対象外だが、今後、聴者の方のバリアフリーへの関心が高まると思われる。社会の状況が変化していく中、TDFがどのようなプログラムを組むのか、期待が高まる。
牧原代表は「今後も観客によりたくさんの映画をご覧いただけるプログラムの組み方や、同時にろう者、難聴者にも足を運んでいただけるような、それぞれの世界の住人の行動を考慮したプログラムを考えていきたいと思っています。それには質の高い通訳・翻訳の提供が重要となってくるのですが、現状、この映画祭がボランティアで成り立っている中、スタッフはよくやってくださったと思っています」と語った。