ドキュメンタリーからフィクションまで幅を広げたマルセイユ国際映画祭
ぐるっと!世界の映画祭
【第85回】(フランス)
リュック・ベッソン監督が手がけた映画『TAXi』シリーズのロケ地として知られるマルセイユは、フランス第2の都市であり、移民の街として知られています。その地で開催されているマルセイユ国際映画祭(以下、FIDマルセイユ)はドキュメンタリー映画祭に端を発し、紆余曲折を経ながら今年で30年の節目を迎えました。現地時間7月9日~15日に開催された第30回を、インターナショナル・コンペティション部門に映画『たまらん坂』(小谷忠典監督・公開未定)で参加した女優・小沢まゆがリポートします。(取材・文:中山治美、写真:七咲友梨、小沢まゆ)
「D」にかつての名残が
映画祭の起源は1990年に行われたヨーロッパ・ドキュメンタリー・ビエンナーレで、2回目から Vue sur les docs(英語でDocs View)の名称で開催された。度重なる名称の変更に苦労がしのばれるが、1999年にはマルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭(FIDマルセイユ)となり、フランスではパリのポンピドゥー・センターで開催されているシネマ・ドゥ・リールと並んで重要なドキュメンタリー映画祭との評価を受けていた。
しかし、2007年にはフィクションにも幅を広げ、野外上映も行うなど広い客層に向けた映画祭へと方向転換した。それに伴い2011年から現在のマルセイユ国際映画祭へ。略称にドキュメンタリーを意味する「D」が残っているが、今は「Festival International de Cinema Marseille」の「de」を意味するという。期間中は150作品が上映され、約2万5,000人が来場する盛況ぶりだ。
主な過去の日本上映作品は、第27回に伊藤丈紘監督『アウトゼア』(2016)が映画祭史上初となるインターナショナル・コンペティション部門と新人監督コンペティション部門にダブルで選出された。また第29回では、山本英監督『小さな声で囁いて』(2018)が新人監督コンペティション部門に選ばれている。
今年は『たまらん坂』がインターナショナル・コンペティション部門で上映されたほか、同部門の審査員を『典座 -TENZO-』(10月4日公開)の富田克也監督が務めた。また30回を記念して、映画祭ゆかりの監督31人による短編オムニバスが上映され、諏訪敦彦監督が参加した。
「赤じゅうたんがある映画祭のような派手さはない分、会場が市内に点在し、映画祭が街に馴染んでいるという感じがしました。大本がドキュメンタリー映画祭ということもあり、来場者も地元の人よりも欧州中のドキュメンタリー映画好きや映画業界関係者が多いように感じました」(小沢)
ドキュメンタリーとフィクションが融合した作品群
インターナショナル・コンペティション部門16本の中に選ばれた『たまらん坂』は、FIDマルセイユがワールドプレミア上映となった。作家・黒井千次の小説「たまらん坂 武蔵野短篇集」が原作で、その内容を映像化しつつも、就活中で心揺らぐ女子大生が小説と出会ったことで、自分のアイデンティティーに目覚めていく内容だ。『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012)や『フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように』(2015)でドキュメンタリーとフィクションの間をいく新たな映画の文法を探っている小谷監督ならではの意欲作で、同時にFIDマルセイユの上映作品の傾向を象徴する作品でもある。
FIDマルセイユのフェスティバル・ディレクターのジャン=ピエール・レームから招待状と共に「地名の語源探しから始まるこの物語に審査員一同、深く感動しました。坂の名前をテーマに映画を製作するという執念と、とてつもなく自由で稀有な映像表現に感嘆しました。映画と文学を横断し、過去と現在を織り交ぜ、さまざまな映画ジャンルと結び、苦しみととてつもない優しさを抱き合わせた作品を作る。それは簡単にできるものではなく、なんという野心だ。全てが挑戦でしかない」というメッセージが小谷監督に届いたという。
しかし残念ながら、小谷監督は過労で倒れて渡航できず。武蔵野大学の教授でもある土屋忍プロデューサーと、主人公の叔母を演じた小沢、そして劇中歌を歌っているシンガーソングライターの松本佳奈らで現地入りし、舞台あいさつを2回行った。
「わたしからすると馴染みがないであろう日本文学がテーマなので観客が飽きないか不安でしたし、そもそも“たまらん”の言葉自体、伝わるのか心配だったのですが、観客の皆さんが非常に熱心に鑑賞してくださって、メモを取っていた方もいました。なので質問も知的で多岐にわたり、劇中でフランスの詩人アルチュール・ランボー(※マルセイユで死去)の本を探すシーンや、ルネサンス期の作家フランソワ・ラブレーの名前が出てくることから『フランス文学とどのような関係があるのか?』という質問もありました。わたしは『ラブレーといえば、東京の代官山に美味しいフレンチレストランがありますよ』と日本でいかに知られているかジョークでしか答えられなかったので(苦笑)、それに全て答えられる専門家である土屋プロデューサーがいてくださって助かりました」(小沢)
また小沢の役が養蜂を営んでいることへの質問が飛んだという。
「実はわたし自身、与えられた役として疑問を抱いてなかったのですが、小谷監督に伺うと舞台となった東京・国立市谷保には養蜂場があることから、一度町を離れた彼女が故郷に戻ってくる理由として養蜂家という設定にしたそうです。そこを気に留めてくださったのがうれしかったです」(小沢)
審査の結果、『たまらん坂』は受賞ならず。同部門のグランプリは、『100人の子供たちが列車を待っている』(1988)で知られるチリの巨匠イグナシオ・アグエロ監督の『アイ・ネバー・クライムド・ザ・プロベンチア(英題) / I Never Climbed the Provincia』(チリ)へ。エールフランス観客賞を富田監督『典座 -TENZO-』が受賞した。
小沢、久々の海外映画祭へ
日本からマルセイユへは、パリ経由で国内線の飛行機か高速鉄道TGVで移動。今回小沢の渡航費と宿泊費は映画祭側から招待はなかったが、他の仕事を兼ねることで自己負担分をほぼカバーしたという。
「フランスで出演作が上映されると知り、どうしても参加したかった」(小沢)
小沢が海外の映画祭に参加するのは、デビュー映画『少女~an adolescent』(2001・奥田瑛二監督)を引っ提げて参加した第58回ベネチア国際映画祭、第7回フェイス・オブ・ラブ国際映画祭(ロシア)、第16回AFIフェスト(アメリカ)以来、約17年ぶりだ。同作で小沢は第17回パリ映画祭、第7回フェイス・オブ・ラブ国際映画祭、第42回テッサロニキ国際映画祭(ギリシャ)で最優秀女優賞を受賞している。映画『少女』のパリ公開時にはキャンペーンで2回、現地に赴き、自身の姿が大きく写ったポスタービジュアルが街中で看板として飾られたりバスにまでラッピングされているのを見て、「こんなことがあり得るんだ」と感激。すっかりフランスに恋するようになったという。
以来、再訪の機会をうかがっていたが、2007年に結婚し、子どもも生まれて子育てに追われている間は私生活が中心に。2017年にようやく女優活動を再スタートさせた。
「なので『たまらん坂』の撮影中から、小谷監督には『ぜひフランスの映画祭に出品しましょうよ』とけしかけていたのですが、まさか本当に実現するとは」(小沢)
実はベネチア国際映画祭の時は映画祭の熱気と華やかさで浮き足立ってしまったそうだが、今回はしっかりと国際映画祭を楽しむことができたという。
「純粋に、自分が出演している作品を海外の人に観ていただけるのはうれしいですし、やはり文化も言葉も違う方たちから率直に感想を聞けるのは刺激になります。これからも役者として歩んでいく上での原動力になります」(小沢)
FMラジオで映画番組を担当、マルセイユでも収録
小沢は2018年4月から、かつしかFMで映画情報番組「小沢まゆのほっとプラスシネマ」(毎週日曜・午後6時~)でパーソナリティーを務めている。女優を休業している間、人前に出る感覚を失ってはいけないとレッスンを受けた上でMCなどの仕事は続けていた。その実績が認められた結果だ。番組では監督や俳優などゲストを招いてトークを展開しているが、今回のFIDマルセイユでも収録を実施。『たまらん坂』チームとのトークに加え、パラレル・スクリーン部門に『金太と銀次』で参加していた大力拓哉&三浦崇志監督もゲストに招いた。
「女優としてだけ作品に携わっていたこれまでと異なり、作り手の思いを聞く機会が増えたので映画界の現状を知るようになりました。中には構想に何年もかけてオリジナル作品に挑んでいる方もいて、改めて女優はその大事な作品のピースなのだということに気付かされました。またゲストを招くに当たり、普段なら自分が選択しないような作品も鑑賞するようになったので、視野が広がりました。ただ、どうしても邦画の若い監督を取り上げることが多いので、洋画を観る機会は減ってしまいました」(小沢)
実は映画『少女』は小沢に貴重な経験を与えた一方で、体当たり演技の印象が強く思うように仕事ができない時期が続いたという。栄光と試練を与えてくれたフランスへの凱旋は、また新たな女優人生を歩む上での良い契機となったに違いない。