間違いなしの神配信映画『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』Netflix
神配信映画
エミー賞テレビムービー編 連載第2回(全5回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回はエミー賞テレビムービー編として、近年の受賞作・候補作から全5作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
視聴する側も浸食される!?双方向型映画
『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』Netflix
上映時間:90分
監督:デヴィッド・スレイド
出演:フィオン・ホワイトヘッド、ウィル・ポールター、アリス・ロウ
視聴者がリモコン、もしくはマウスを操作して、主人公の行動を選んでいくことができる、双方向型の映画作品……それが本作『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』。1話完結のSFドラマとして、ダークなテイストで知られるイギリスのアンソロジー・シリーズ「ブラック・ミラー」の特別編として制作された一編。9月23日(現地時間)に授賞式が開催される第71回プライムタイム・エミー賞ではテレビムービー部門の作品賞にノミネートされている。
本作はストーリーが進んでいくと、要所要所で選択肢が表示され、それを選ぶことによって先の展開が決定されていく。例えば、朝に食べるシリアルの種類から、人生における重要な決断まで、二択のどちらを選ぶかで物語が分岐し、用意された複数の結末のどれかにたどり着くことになる。その中には“真のラスト”と呼べるようなものが存在し、視聴者がそこにたどり着くまで、物語を大きく左右する選択箇所に戻り、何度でもやり直すことができるのだ。
その実験的な試みにわくわくさせられる一方で、描かれるドラマ自体にはそれほど深みがなさそうだと予想する人も少なくないかもしれない。だが本作は、多くの劇場公開作品と比べても遜色ない、質の高いエピソードの多い『ブラック・ミラー』の中でも、作品の性質とテーマが絶妙に絡み合う、興味深いものになっていた。
もともと、本作のような仕組みの“インタラクティブ・シネマ”と呼ばれるゲームジャンルは、すでに存在していた。近年ヒットしたゲーム「デトロイト ビカム ヒューマン」なども、その範疇(はんちゅう)に入る作品であるが、本作はそれを“配信映画”として発表したのが新しかったというわけだ。
そもそも配信映画は、それが本質的に映画なのか、それともテレビ作品なのか、はたまたどちらとも違うものとしてとらえればよいのか、議論の的となってきた。本作はさらにゲームジャンルとも融合することで事態を複雑化させ、配信映画とは何かということをあらためて問いかけてくる作品でもある。
1984年、家庭用ビデオゲームが一般に普及し、現在と比べればまだまだグラフィック表現はシンプルなものの、多様なジャンルのゲームが次々に生み出されていた画期的な時代が本作の舞台となる。『ダンケルク』に抜擢されたフィオン・ホワイトヘッドが演じる、父親と実家暮らしをしている主人公ステファンは、若手のゲームプログラマーとして、作者が謎の死を遂げたゲームブック(選択肢によって結末が変わる物語本)「バンダースナッチ」のビデオゲーム化を個人で進めていた。
ステファンは大手メーカーのタッカーソフトから、その斬新な企画が認められ、納期までにビデオゲーム版「バンダースナッチ」を完成させるべく奮闘することになる。だが、危険なにおいのする有名開発者のコリン(ウィル・ポールター)との出会いや、ゲームブックを書いた原作者の狂気に触れることで、彼自身も次第に常軌を逸していく。
コリンはステファンを自宅へ誘い、ドラッグでハイになりながら、「自分たちは隔離されたゲームの中にいる」と語る。日本発の名作ゲーム「パックマン」 のように、プレイヤーが操作するゲームのキャラクター同様、俺たちは何度も死んでは復活してやり直し続ける、脱出できない悪夢を生きていると。
その言葉の意味は、実際に本作の視聴者であるわれわれが真のラストにたどり着けず、何度も重要な選択地点まで巻き戻り、プレイし直すことで、次第に明らかになっていく。つまりコリンは、自分たちが『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』という作品のなかにいる登場キャラクターに過ぎず、そこで死んだとしても、視聴者がプレイし続ける限り、何度も生き返ることができるという真実に気がつき始めているのだ。
“バンダースナッチ”とは、イギリスの作家ルイス・キャロルの児童文学「鏡の国のアリス」に登場する詩のなかに出てくる正体不明の怪物のことである。それは、本作における「バンダースナッチ」というゲームが作品内作品であることを暗示している。そしてそんな多層構造が、同時に、ステファンもまた作品に閉じこめられた存在だということを示してもいる。果たしてステファンは、本作『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』を終わらせ、その外へと抜け出すことができるのだろうか。
本作は同時に、登場人物が視聴者によって動かされるように、「自由意志は幻想なのかもしれない」という、哲学的な恐怖をも暗示している。そしてその恐怖は、いつしか視聴者自身にも浸食し始めるのだ。
われわれは本作のキャラクターを、神であるかのように操作しながらも、プレイを繰り返していくうちに、実際には作品の製作者によって、単に選ばせられているに過ぎないことに気づいていくだろう。劇中でシリアルの種類を選んだりレコードを選ぶように、現実世界においても、われわれには無限の可能性があるわけではなく、いくつかの限定された選択肢を提示されているに過ぎないのではないか。
人間の行動は、本当にその人自身の意志によって選ばれたものなのだろうか。日々の不満を愚痴りながらも、人々がそれぞれに同じ仕事を毎日繰り返して役目を果たしながら、社会が全体的には滞りなく回り続けている現実の様子を見ると、そのように思ってしまう瞬間がある。本作は、そんな不安を形にした作品なのだ。(小野寺系)