間違いなしの神配信映画「ブラック・ミラー:サン・ジュニペロ」Netflix
神配信映画
エミー賞テレビムービー編 連載第5回(最終回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回はエミー賞テレビムービー編として、近年の受賞作・候補作から全5作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
テクノロジーの進歩が見せる「現実」に希望はあるのか?
「ブラック・ミラー:サン・ジュニペロ」Netflix
上映時間:61分
監督:オーウェン・ハリス
技術の進歩で人類の生活は豊かになった。だが、テクノロジーはわれわれに幸せをもたらすのか? むしろ恐ろしく、負の側面があるのではないか? これこそがチャーリー・ブルッカーにより英テレビ「チャンネル4」で制作され、シーズン3からNetflixオリジナルシリーズとなった「ブラック・ミラー」が一貫して描いてきたテーマだ。中でも第69回エミー賞でテレビムービー部門作品賞、リミテッドシリーズ/テレビムービー部門脚本賞を受賞した、シーズン3第4話の「サン・ジュニペロ」(2016)は、痛烈な風刺や後味の悪さが目立つ本シリーズにおいて異色の作品だった。
舞台は1987年、海辺の街サン・ジュニペロ。流行りの服を着た若者たちが楽しむクラブで、冴えない眼鏡をかけてさまようヨーキー(マッケンジー・デイヴィス)が出会ったのは、フロアで一際輝くケリー(ググ・ンバータ=ロー)。相反する性格ながらも初対面で惹かれ合った彼女たちは、互いの愛を確かめ合い、やがて幸せな時間を過ごす。時代に取り残され抜け殻のようだったヨーキーが、弾けるように明るいケリーと過ごし、笑顔を取り戻していく姿はとても愛らしく心温まる。デイヴィスとンバータ=ローの素晴らしい化学反応も、恋物語に一段と説得力を与えている。
だが、一見テクノロジーと関係ないように思えた2人の運命は思わぬ方向へ進んでいく。彼女たちを含む若者たちが楽しむサン・ジュニペロという街は、死んだ人々または死の淵にいる人々の精神が転送されたクラウド上の仮装空間だったのだ。突然姿を消したケリーを探し求め、1990年代、2000年代と仮装空間上のさまざまな時代を訪れるヨーキー、深夜0時になると必ず終わってしまうサン・ジュニペロでの楽しいひと時、「痛みレベル0」という不可解な発言……2人の関係に悩むケリーが鏡に拳を叩きつけても、割れた鏡はすぐ修復され、拳には傷ひとつなく痛みも感じない。事故で長い間昏睡状態にあるヨーキーと末期がんのケリーは、両者とも死を待つ存在だったのだ。死後もクラウド上で生き続けることを選んだ人々が住み、死を目前にした人々が訪れる場所は果たして「現実」と言えるのだろうか。
ヨーキーにとってサン・ジュニペロは希望の場所だった。しかしケリーは、ヨーキーと出会いサン・ジュニペロの住人になることに深く思い悩む。本作は2人の美しいラブストーリーを主軸に、肉体が消えても生き続けられるのか、人間は生死をどこまで操っていいのか、「存在する」ことの本質とは何なのかといった、進歩した技術によってもたらされる倫理的な問題を投げかける。
冒頭で述べたように「ブラック・ミラー」は、テクノロジーから浮き彫りになる負の部分をひねりの効いた皮肉やバッドエンドで描くエピソードが多い。だがこの「サン・ジュニペロ」は、テクノロジーと生命の尊厳に正面から向き合う意欲作である。劇中で印象的に流れる1980年代のポップスター、ベリンダ・カーライルの「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」しかり、天国は地上にあるのかもしれないと思えるほど、明るい希望と期待を感じさせてくれた。(中井佑來)