映画祭の夜の社交場・香味庵クラブ
山形国際映画祭30年の軌跡
山形国際ドキュメンタリー映画祭30年の軌跡 連載:第6回(全8回)
山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)を語るには、外せない場所がある。映画祭の夜の社交場・香味庵クラブだ。他の映画祭が、“ここに行けば会いたい人に会える”という交流の場所作りに苦心している中、観客もゲストも入り混じり、低料金で深夜遅くまで映画談義にふけることができるという、映画祭の裏メイン会場だ。どのようにしてこの場所が作られたのか。そこには地元・山形市の人たちの文化への多大なる愛情と、見るに見かねた事情があった。(取材・文:中山治美、写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭、香味庵クラブ)
香味庵で奇跡の手打ちも!
香味庵クラブ(以下、香味庵)とは、YIDFF会期中の連日夜10時~深夜2時に営業する期間限定の居酒屋だ。山形を代表する漬物店・丸八やたら漬が経営している食事処「香味庵まるはち」の営業終了後の店舗を借りているため、店名をとってこの名前に。YIDFF参加者のみならず一般の人も入場料500円(1ドリンク&乾きものおつまみ付き)を払えば入店可で、あとはどこからか山形名物の芋煮や玉こんにゃく、うどん、りんご、時には一升瓶の日本酒までもが回ってくる。出会った人たちとの会話に夢中になりながら、お腹も心も満たされるという最も映画祭の醍醐味を味わえる場所だ。
アルコールが入った勢いと場の空気も相まって、数々のドラマも生まれた。第11回(2009)のシンポジウム「著作権とは、オリジナリティーとは何か」で侃侃諤諤(かんかんがくがく)やり合い一触即発状態まで陥った映画『RiP! リミックス宣言』のブレッド・ゲイラー監督と、崔洋一監督率いる日本映画監督協会の面々が、香味庵で奇跡の手打ち。
第12回(2011)のアジア千波万波部門に参加していた『龍山』(2010・韓国)のムン・ジョンヒョン監督、『監獄と楽園』(2010・インドネシア)のダニエル・ルディ・ハリヤント監督、映画『水手』(2010・シンガポール、セルビア、モンテネグロ)のヴラディミル・トドロヴィッチ監督の3人は意気投合し、オムニバス映画『フルーイド・バウンダリーズ(英題) / Fluid Boundaries』(2014)を製作した。
香味庵はさまざまな出会いのきっかけに
また『阿賀に生きる』(1992)の佐藤真監督が2007年に急逝された際には追悼イベントが開催されたり、シンポジウムが行われる時もある。そして香味庵での出会いをきっかけに交際へと発展したカップルもいた。香味庵クラブの歴史を見てきた、丸八やたら漬の新関芳則社長が振り返る。
「最初は何かトラブルがあったらと心配していましたけど、一回酩酊した若者を介抱したくらいでしょうか。香味庵まるはちの店舗は、一応国登録文化財なのですが、破損もなければ盗難もありません。わたしが気がついてないのもあるかもしれませんが(苦笑)」
だが香味庵が特別な場所となったのは、その背景によるところが大きい。誕生の経緯も運営もYIDFFが主体ではなく、山形青年会議所が提言したまちづくり任意団体「山形ビューティフルコミッション」や丸八やたら漬、そしてボランティアスタッフという市民の厚意で成立しているのだ。運営している山形ビューティフルコミッションの里見優さんが説明する。
「YIDFF創設当時から山形青年会議所などさまざまな団体が応援していましたが、第2回(1991)の時にYIDFF参加者の人たちが上映後、飲み物を片手に立ち話をしていた光景が目に留まったんです。参加者のほとんどは知らない街に来ているわけで、夜にどこへ行ったらいいかわからない。それじゃあ休憩できる場所が必要じゃないかと思ったのです」
場所の提供の依頼を受けた新関社長も二つ返事で快諾したという。会社的にも、1992年の山形新幹線開通で観光客が増えることを見込み、同年10月に食事処の香味庵まるはちをオープンさせたばかりだった。
「山形ビューティフルコミッションの土井(忠夫)さんに頼まれたから……ということもありますが、YIDFFで車道にまで人が溢れてしまっているのを見てましたからね。(自社の)経済効果は大事ですけど、コミュニケーションの場としてお使いいただければ、どうぞ! と思いました」(新関さん)
ドキュメンタリー映画関係者は山形に来なければ始まらない!?
かくして、第3回(1993)から始まった。当初の経費は山形ビューティフルコミッションの持ち出しで、参加者は無料だった。2回目からは有料にしたが、それでも物価の異なるアジアからの参加者の懐具合を鑑みて200円に設定した。現在は500円だが、それでも芋煮などを提供している香味庵は材料費にもならない額だという。
加えてスタッフはあくまでボランティアで、皆、本業との掛け持ちだ。深夜2時の閉店だが最後の客を見送るのは深夜の3時を過ぎる。そこから片付けをすれば明け方。そのままほとんど寝ずに本業に向かうスタッフも多いという。今年の営業は10月11日~16日の6日間。スタッフの苦労がしのばれる。
それでも香味庵クラブを続ける理由について里見さんが胸の内を明かす。
「苦しかった時もあるのですが、山形市がある程度YIDFFを応援してくれているから、わたしたちも盛り上げたいという気持ちがあります。一時期、市議会でYIDFFの予算(平成31年度は1億円)が問題となり、無駄じゃないか、他の案件に回せるのじゃないかという声が上がったことがあったのです。でも『文化というのはそういうものじゃない』と歴代の市長が非常に理解を示してくれた。わたしも60代となりヘロヘロなので、若い人にバトンタッチしないとと考えてますが、このまま回を重ねていけば、(フィルムライブラリーも設けていることから)ドキュメンタリーを研究している人は山形に来なければ始まらないぐらいの場所になるのではないでしょうか」
もちろん課題もある。香味庵の通常営業時はせいぜい180人ぐらいの入店が限度だそうだが、第15回(2017)は過去最高の一晩で500人が押し寄せたという。店外まで人が溢れている光景は壮観ではあるが、騒音ならびに喫煙者のタバコの吸い殻と煙が近隣住民の生活を脅かしている。
「路上に落ちているタバコの量はすごいですよ。映画関係者はもっと健康に気をつけてほしいものですね」(里見さん)
自分たちが築き上げてきた場所を守るために何をすべきか。皆まで言うまい。
【懐かしアルバム】アッバス・キアロスタミ監督
『桜桃の味』(1997)で第50回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督は、第3回(1993)のインターナショナル・コンペティション部門の審査員を務めた。
日本を愛し、『5 five~小津安二郎に捧げる~』(2003)や日本で撮影を行った『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)を制作し、東京藝術大学でワークショップを行ったこともある。2016年7月4日に闘病先のフランス・パリで死去。享年76歳。写真右側の女性は、通訳・製作などあらゆる面で日本滞在中のキアロスタミ監督をサポートしたショーレ・ゴルパリアン。