海外ドラマが映画化される理由 ブレイキング・バッド、ダウントン・アビー…人気作が続々
厳選!ハマる海外ドラマ
『ダウントン・アビー』(2020年1月10日公開)、『エルカミーノ:ブレイキング・バッド THE MOVIE』(Netflixで配信中)、『デッドウッド ~決戦のワイルドタウン~』(BS10スターチャンネルで11月11日深夜2:45~ほか放送)など、長く続いたテレビシリーズの映画版の企画が続いている。もっとも、人気テレビシリーズの映画化(テレビ映画化)は珍しいことではなく、これまでにもいろいろあった。本稿では過去作を少しだけ振り返りつつ、新作についてみていきたいと思う。(今祥枝)
「glee/グリー」をはじめライヴで楽しむイベント型
まず人気絶頂期にテレビだけでは飽き足らず、有り余るファンのエネルギーが後押ししてイベント的に劇場版が公開されるパターンがある。「glee/グリー」(2009~2015)は、2011年に『glee/グリー ザ・コンサート 3Dムービー』が公開された。2010年5月から同番組のキャストによる北米コンサートツアーをはじめ、ヨーロッパでもツアーが行われたのだが、いずれのチケットも即完売。翌年にも開催されるほどの人気を博したため、クリエイターのライアン・マーフィーが北米コンサートに密着した映画の製作を決定した。これはもうファンにはただただ楽しいもので、幸運なことに私は仕事で北米コンサートを実際に観る機会があったのだが、その会場の熱気たるや! 番組のファンなら、この一体感を劇場で体験したくなるのは当然と言えるだろう。機を見るに敏なマーフィーらしいスピード感の勝利である。ほかにもあるが、音楽ドラマやミュージカル作品は音響がよく大きなスクリーンで観たくなるし、題材として多くのファンと一緒に鑑賞する劇場体験と相性が良いように思う。
尻上がりに人気がワールドワイドな広がりを見せていくタイプのロングランシリーズは、初期ファンより後から参加したファンの熱気が冷めやらず、続編や映画版の待望論が生まれやすい。製作者たちもこの流れに乗じるべしと考えるのは当然だろう。ファンあってのエンターテインメントではあるが紛れもなくビジネスなのだから。「セックス・アンド・ザ・シティ」(1998~2004)の映画版はその典型だろう。
映画ならではのスケールが時にデメリットに
私はテレビシリーズの大ファンだが、人気が出るに従いキラキラした側面のみがフィーチャーされるようになったことには困惑したものだ(特に日本では)。その映画版は完全に蛇足感があり、オリジナルの精神をあまり感じられなかったことは残念だった。特にアブダビを舞台にした2作目。テレビシリーズの映画化でがっかりすることの一つといえば、映画だからスケール感大きく! と舞台を海外などに移したりして、「そういうのを求めていたわけでは……」となるケース。テレビ版のファンでなくとも楽しめる作りを目指した結果でもあるのだろうが、あまり欲を出されてもなあとは思ってしまう。もちろん映画版を楽しんだファンが真のファンではないとか、そういうことを言うつもりはないので念のため。
おそらくテレビシリーズの映画版において、多くのファンが心配するのは「SATC」のパターン=蛇足感ではないだろうか。その意味では、冒頭に挙げた3作品は非常にうまくこうした問題に対処できている。
米で大ヒット!格調高くも親しみやすい『ダウントン・アビー』
映画版『ダウントン・アビー』(2019)が、ここまでの大ヒットとなるとは誰もが予想できなかったにせよ、成功確率の高い企画だったと思う。テレビシリーズ自体も、英国ドラマの近代時代劇がなぜこれほどアメリカでヒットするのか? と疑問を覚えるほどに、異例の人気を誇っていた。当時の社会情勢、時代の変化を巧く取り入れ、じっくりと人間模様を描きながらも絶妙にゴシッピィな内容は、高尚なソープオペラといった風もあり、意外と間口が広く親しみやすい。例えば人気ドラマ「SUITS/スーツ」などでも、私は何度もこのドラマをネタにした登場人物たちの会話を楽しんだものだ。多くの映像作品で言及される「ゲーム・オブ・スローンズ」のように、一定数の視聴者が知っている作品という位置づけだと考えることができるだろう。
テレビシリーズ自体は大団円に終わったが、あのお屋敷や豪華で洗練された衣装、美術、セットなどを大きなスクリーンで堪能したいと思う気持ちはよくわかる。シリーズ終了時から2年後の設定の1927年を舞台にした映画版は、この点を心得ていて、ロイヤルファミリーを屋敷に迎えるという晴れの舞台を、かつてないほどにゴージャスに描きながら、たっぷりとありし日のロマンを楽しませてくれる。
一方で、キャラクターに愛着のあるファンの気持ちもしっかりとくんでいる。冒頭からおなじみのクローリー一家の面々と使用人たちが次々と顔を見せる。ありえないほどの大人数のキャラクターを、2時間程度の映画で実にうまく捌いている手腕は感動的だ。1974年の『オリエント急行殺人事件』の監督シドニー・ルメットが、「テレビでの仕事が大人数のスターを上手く捌く練習になった」と語っていたことなどを思い出す。映画は華やかなりしダウントン・アビーの様子を描きながら、時代はいよいよ貴族にとって厳しいものとなっていくことも盛り込んでおり、その影の要素が一層ノスタルジーを掻き立てる。この点が作品としての深みを増している点であり、テレビシリーズの生みの親であるジュリアン・フェロウズの脚本の巧みさが光る。今は続編映画は作って欲しくないなあという気持ち。でも、これだけヒットすればそういった話も現実味を帯びてくるだろう。
ビジネスとしても大成功!『ブレイキング・バッド』の相乗効果
『エルカミーノ:ブレイキング・バッド THE MOVIE』はNetflixの配信作品だが、派手さはなく控えめで、ファンに人気の高かったジェシーにフォーカスした作りは地味だが往年のファンには嬉しいものがあったに違いない。この内容と世界中にいる「ブレイキング・バッド」(2008~2013)のファンのことを考えれば、誰もが加入さえしていれば楽しめる配信向きの、あるいは配信映画だからこそ可能な作りだったとも思う(アメリカでは一部劇場公開)。たとえ日本で劇場公開しても、極々一部の映画館での上映となるだろうから、全国にいるあまたのファンには届かなかっただろう。もっとも、最近の新たな劇場公開スタイルとして、日本でもファンの熱烈な後押しがあればイベント的な上映となる可能性はあるかもしれない。
個人的には「ブレイキング・バッド」の結末は完璧だったので、あえて必要なかった気もするが、作り手たちのジェシー=アーロン・ポールへの愛が強く感じられて、これはこれで良かったと思う。ちなみにヴィンス・ギリガンの初期案がネット上に出回っているが、個人的にはそちらの案の映画版を観てみたかった気もする。未読の方はググって読んでみて欲しい。
『エルカミーノ』という企画が優秀だなと心底思ったのは、ビジネス的な側面にある。非常に優れた批評家好み、通好みの作品であるがゆえに、思ったよりも視聴者数が稼げなかった「ブレイキング・バッド」と、そのスピンオフ「ベター・コール・ソウル」(2015~)の救世主はNetflixである。放送局のAMCよりも先に『エルカミーノ』がNetflixで配信されたことを鑑みても、作り手たちにとってNetflixがいかに重要なパートナーであるかがわかる。その『エルカミーノ』は最初の3日間だけでも非常に高い視聴者数を記録したわけだが、Netflixで視聴できる「ブレイキング・バッド」全5シーズンを『エルカミーノ』のためにビンジウォッチングマラソンした新規視聴者、さらに私もそうだがかなり前に視聴している場合は復習して何シーズンか観た人も多いに違いない。観れば面白いから、結局全話見直した人もいるだろう。
Hollywood Reporter 誌などによれば、映画が配信となる週のNetflixでの「ブレイキング・バッド」の平均視聴者は15万3千人で、それ以前の3週間のシリーズの平均視聴者数は6万2千人程度だった。映画版によって元のシリーズの視聴喚起、視聴者の大幅な増加に貢献したと言えるだろう。これまでなんとなく見そびれていた人にとっては、「ブレイキング・バッド」を攻略した後なら「ベター・コール・ソウル」をキャッチアップする気力もわいてくるというもの。これから佳境に入る「ベター・コール・ソウル」を今一度盛り上げにかかるという意味でも、『エルカミーノ』は十分すぎる役割を果たしていると言える。実にうまいやり方だなあと思う。
X-ファイル、ツイン・ピークス…突然の打ち切りから映画版で復活
さて、もう一つ別の映画化のパターンとして、納得できない終わり方をしてしまった人気シリーズの映画化というのがある。『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)、劇場版『X-ファイル ザ・ムービー』(1998)と『X-ファイル:真実を求めて』(2008)などがそれにあたる。これらの映画版がいろいろな意味で成功したとは言い難いが、熱狂的な信者も多い作品なので、ファンにとっては少しでも作品を理解するための情報が得られるだけでも嬉しいものがあったのは確かだ。そもそもはカルト作なので、映画版で大ヒットを望むのもまた間違っているのかもしれない。後年、「ツイン・ピークス」も「X-ファイル」も続編としてリバイバルシリーズが放送されている。
突然のキャンセルにより、諦めきれないファンが長年にわたって地道に応援し続け、ついに復活を果たした作品といえば「ヴェロニカ・マーズ」(2004~2007)だ。番組は、主人公が高校生探偵から大学生探偵になったシーズン3で終了したが、題材からすると異例の通好みの作風で、主演のクリステン・ベルの好演も人気の要因だった。ようやく実現した2014年の映画版『ヴェロニカ・マーズ[ザ・ムービー]』では、エンドクレジットの最後に「(この映画は)91585人の資金援助で実現した。あきらめず支えてくれた全ての人に感謝します」という一文が表示される。ファンの熱意には本当に胸を打たれるものがある。映画版は社会人になったヴェロニカが、いい思い出ばかりではない地元ネプチューンに戻ってくるところから始まる。旧友たちと再会し、高校の同級生の殺人事件を解決していくノワールタッチの渋めのミステリーは、完成度は高いが劇場公開作としては地味で、アメリカでは限定公開だった。しかしファンにとっては同窓会的におなじみのキャラのその後が描かれるし、大いに楽しめる1本。こちらも2019年には米Huluで続編となるシーズン4が配信された。
ファンに「本当のお別れ」を告げる成功例『デッドウッド』
「ヴェロニカ・マーズ」のように次への展望を匂わせる映画版ではなく、打ち切りに抗議し続けるファン(批評家含む)への感謝の気持ちとお別れをさせてあげるという意味での最終章として、非常に優れているのが『デッドウッド ~決戦のワイルドタウン~』(2019)だ。HBOで放送された傑作西部劇「デッドウッド ~銃とSEXとワイルドタウン」(2004~2006)は、ティモシー・オリファント、イアン・マクシェーンらの神がかった役作りも相まって批評家に絶賛された。ワイルド・ビル・ヒコックやワイアット・アープなどおなじみの実在した荒くれどもの名前も登場するが、多くの架空キャラを含めてアクが強く、個性的な人々が繰り広げる残酷で暴力に満ちた、それでいて美しく静かな映像世界が圧巻だった。
10年越しで実現した映画版は完全なる後日譚。おなじみのキャラクターたちのその後は、ある種の余韻を残しながらもこれが本当にこのシリーズとのお別れであることを宣言する内容でもある。1本の映画としても優れているが、これもまたシリーズを見てきたファンにとって最高の1本であることが尊い。また西部劇ではあるが、映画『ジョーカー』などにも通じる各社社会に生きる民衆の鬱屈した怒りが爆発するシーンなど、きっちり現代にコミットした脚本(本作の生みの親であるデヴィッド・ミルチ)は洗練されており、最後までミルチは魂のこもった良い仕事をしている。ほかに映画をもってして最終章とする最良の形としては、「ホミサイド/殺人捜査課」(1993~1999)のテレビ映画『ホミサイド/ザ・ムービー』(2000)も挙げておきたい。シリーズを見届けてきたファンにとっては感涙ものの映画版であった。
この2作品は動画配信サービスなどで気軽に視聴することができないのが残念だ。「デッドウッド」は、テレビシリーズのパイロット版をデヴィッド・フィンチャーが撮る予定だったことも近年、本人がエスクァイア誌のインタビューで明らかにしていた。同記事内でフィンチャーは「NYPDブルー」(1993~1996)、「ヒル・ストリート・ブルース」(1981~1987)などのクリエイターであるミルチと、「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」(1999~2007)のクリエイター、デヴィッド・チェイスへのリスペクトを語っていた。結果として「デッドウッド」のパイロット版はウォルター・ヒルが監督しているが、もちろんそれもまた素晴らしい。今観ても多くの発見があるであろう作品群なので、どこかで配信してくれるといいなあと思う。
今祥枝(いま・さちえ)ライター/編集者。「小説すばる」で「ピークTV最前線」、「yom yom」で「海外エンタメ考 意識高いとかじゃなくて」、「日経エンタテインメント!」で「海外ドラマはやめられない!」を連載中。本サイトでは間違いなしの神配信映画を担当。Twitter @SachieIma