間違いなしの神配信映画『アイリッシュマン』Netflix
神配信映画
年内に観ておきたい作品編 連載第1回(全7回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回は年内に観ておきたい作品編として、全7作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
豪華名優が勢ぞろいしたスコセッシの“イズム”の結晶
『アイリッシュマン』Netflix
上映時間:209分
監督:マーティン・スコセッシ
マーティン・スコセッシは粘り強い。何年かかろうと、どんな困難に直面しようと、しのぎ切って撮りたい作品を撮る。20世紀後半に暗躍した殺し屋の告白を描く『アイリッシュマン』は、内容もその成り立ちもスコセッシの“イズム”の結晶だ。監督自身も主要キャストも軒並み、日本で言えば後期高齢者。そんな彼らをCGで若返らせ、動画配信サービスというメディアで上映時間はほぼ3時間半という冒険をやってのける。
2007年に企画開発が始まり、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ、ジョー・ペシの出演も決まりながらさまざまな調整が難航、全米配給権を所有していたパラマウントが製作費の増大を理由に手を引き、Netflixが買い上げてクランクインにこぎつけたのが2017年9月。35ミリフィルム使用で撮影日数は108日、ロケ地は117か所以上、309シーンというスコセッシ史上最大規模の作品だ。
チャールズ・ブラントによる原作のノンフィクションは、全米トラック運転組合の幹部にして、地元フィラデルフィアのマフィア「ブファリーノ・ファミリー」と通じていたフランク・シーランの遺言というべき内容だ。ファミリーと犯罪に手を染めていたシーランは、組合委員長で労働者のカリスマだったジミー・ホッファ失踪事件への関与を告白している。ホッファは1975年に失踪し、82年に死亡宣告されたが、事件は現在も未解決のままだ。
老境のシーランによる回想形式の物語は、ブファリーノと出会う1940年代から現代まで時間を行き来する。20代から80代までのシーランを演じるデ・ニーロも、ホッファ役のパチーノ、ブファリーノ役のペシも全ての年代を自身で演じている。ただ、VFX工房ILM(インダストリアル・ライト&マジック)の最新技術をもってしても、さすがに大画面で観ると「作ってる」感はゼロとはいかない。不自然ではないが、なまじ70年代のデ・ニーロの風貌を作品で観て知っているゆえに多少の違和感はある。いくら本人でもやっぱり違う。技術では勝てない年月という強敵に一瞬なえるが、それをすぐに忘れさせるのが豪華キャストたちの名演だ。
デ・ニーロもパチーノも「名優」と呼ばれるが、実はカメレオン・タイプではなく結構クセが強いのは、よくものまねのネタにされることからもご承知だろう。作品によっては暴走気味にもなるが、スコセッシが手綱をしっかり握る本作の2人は本当にいい。久々にスクリーンに戻ってきたペシも同様。けたたましく無駄吠えする小物ではなく、静かに凄みを利かせる本物の余裕を見せるボス役は新鮮な印象だ。デ・ニーロとペシはスコセッシ監督の盟友だが、3人がそろうのは『カジノ』(1995)以来のこと。1999年からほぼ引退状態だったペシを説得、担ぎ出したのはデ・ニーロだという。ブファリーノとホッファ双方に対する忠誠心の板挟みでシーランは懊悩(おうのう)するのだが、ブファリーノに「You’re with me」と言われた時の表情が見事だ。大仰な表現なしに感情が痛いほど伝わってくる。
ホッファの強引さとチャーミングさを絶妙なバランスで見せるパチーノ、さらにハーヴェイ・カイテル、スティーヴン・グレアム、シーランの娘役のアンナ・パキンなど優れた俳優たちの手堅い演技と、アメリカ近代史にもふれる展開で3時間半はあっという間だ。
ジャンルはスコセッシお得意のギャング映画だが、『グッドフェローズ』(1990)や『カジノ』、あるいは『ディパーテッド』(2006)とも違う静けさがある。古い流行歌とロビー・ロバートソンのスコアに彩られ、あちらへこちらへと回り道をしながら、じわじわと核心に迫っていき、大事件が起きてからのラストへの流れが素晴らしい。一人また一人と、味方も敵も消えていった後に生き残るシーランの孤独と哀感、罪と赦しについての物語になり、『沈黙 -サイレンス-』(2016)とつながってくる。撮影もロドリゴ・プリエトだ。スコセッシはキャスト、スタッフに信頼のおける才能をそろえ、彼らの最高を引き出し、フィルモグラフィーに通底する神と人間というテーマと向き合う。
スコセッシは10月に受けたEmpireのインタビューでマーベル作品について「あれはシネマではない」と発言、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)シリーズのファンはもちろん作品に携わる監督や俳優も反応し、中には配信サービスで新作を撮りながら何を言う、という反発もあった。
確かに『アイリッシュマン』が、映画館で上映しないのが原則という環境でなければ実現しなかったのはなんという皮肉だろう。大半は劇場ではなく配信で観ることになる作品だが、受ける印象はかなり別物になりそうだ。ただ画面が大きければ済むのではなく、いい音響、鑑賞を共有する見ず知らずの他人の存在まで必要とする……要はMCUをはじめスコセッシが「アミューズメントパーク」と評する映画が占める上映環境が最適の大作なのだ。
不利な条件を逆手に取り、劇場で観なければ意味がないシネマを作った確信犯の「MCUよ、これが映画だ」という声が聞こえてきそうな、問題提起の作品だ。(冨永由紀)