セクハラの闇を暴くApple TV+「ザ・モーニングショー」シーズン1評
厳選!ハマる海外ドラマ
#Me Tooに端を発してさまざまな問題が噴出し、2018年からは「Time’s Up」運動によってハリウッドは変わろうと努力を続けている。deadlineなどによると、今年1月には「Time’s Up」は俳優のオーディション用の安全ガイド(ヌード、性的行為、キャスティングディレクターがホテルの部屋への訪問を求めるなど)を発行した。過激な性的描写の多いHBOは2018年に、制作するすべての映像作品における性的なシーンの撮影に専門家が立ち会うことを決定した。多くの被害者による壮絶な痛みを伴う勇気ある告発をきっかけに、業界全体が少しずつでも良い方向へ進んでいることは間違いないだろう。(今祥枝)
一方で、第62回グラミー賞授賞式(現地時間1月26日)を目前に控えて、女性として初のザ・レコーディング・アカデミーの社長兼CEOを務めたデボラ・デューガンが不当解雇を訴え、アカデミーを相手に訴訟を起こしたことがdeadlineなどで報じられ、騒然となっている(1月22日本稿執筆時点)。多数の“爆弾”の申し立てと、「歴史的に男性が支配的だったリーダーシップ」についてのメールをアカデミーに送信した後の休暇決定は、いわゆる懲罰人事と言われるものに相当。また自身もセクシャルハラスメントを受けたという訴訟内容は、検証はこれから順次なされていくのだろうが業界が抱える問題の根深さを痛感させられる。
いまだ後を絶たないこうしたケースを背景に、被害者の告発を受けて犯罪者個人を特定し、裁判が行われるという行程はもちろん意味があるものだ。同時に多くの犯罪が組織的に容認・隠蔽されてきたという事実に、再発防止のためには何が必要なのかを改めて多角的な視点から考えさせられるのがApple TV+で配信されているドラマ「ザ・モーニングショー」である。
強烈なキャラクターにがっちりつかまれる幕開け
大手ネットワークの朝の番組「ザ・モーニングショー」の男性司会者、ミッチ(スティーヴ・カレル)がセクハラ問題で失脚するところから始まる。名コンビとして長年の相棒である女性司会者アレックス(ジェニファー・アニストン)は、すぐさま自分の地位の保全のための行動に出る。報道局長コリー・エリソン(ビリー・クラダップ)、番組プロデューサーのチップ(マーク・デュプラス)、そして局の重役フレッド(トム・アーウィン)らの思惑が交錯する中で、番組の存続と自らのキャリアの危機を感じたアレックスは、“暴言の女王”の異名をとる正義感の強い地方キャスターのブラッドリー(リース・ウィザースプーン)を新たな相棒に強引に指名し、女性司会者2人体制をスタートさせる。
アニストン、カレル、ウィザースプーンといったハリウッド屈指の好感度の高い俳優たちが、決して共感を呼ぶとは言えない複雑な人物を演じている点がまず面白い。男社会における“ボーイズクラブ”をサバイブして成功を手に入れたアレックスは、さわやかな朝の顔として視聴者のハートをがっつりつかんできた。しかし裏ではアレックスは視聴者をバカにしていて、軽い話題で十分だと思っている。同時に視聴者が望む「アレックス」を演じ続けることに疲弊している一面も垣間見える。これはそのまま「フレンズ」(1994~2003)のレイチェル役で国民的人気スターとなったアニストンに重なるものがあり、しばしばアレックスのセリフはアニストンの本音なのでは? と思わされるものがある。正反対に声高に正論を主張するブラッドリーは、常に臨戦態勢でトゲトゲしく、やる気も志も高いが人をイラつかせる一面も。誤解を恐れずにいうなら“厄介なフェミニスト”という印象だ。
浮かび上がる男性優位の体質
カレル演じるミッチに至っては、#Me Too運動には第1波と第2波があって、第1波で告発された人々は本物のモンスターだが第2波は違うという主張を展開する。第2波に相当する自分もまた被害者であるというスタンスを貫こうとするミッチは、演技巧者のカレルによって視聴者にうっかり「一理ある」かのように思わせるかもしれない。SNSなどで似たような主張を多々見かけたという人も多いと思うが、本当にそうなのだろうか? この番組で言えば、ミッチ自身の現実認識に既に大きな勘違いとズレがあることがわかる。劇中、男性に決定権があることが当然の権利と考える上層部に対して、アレックスが「もう黙って言いなりにはならない」と啖呵を切るシーンがあるのだが、その時の男性陣のどう考えてもピンと来てない感じの表情からは男性=支配層の固定概念があまりにも強いことがわかる。それはそのままミッチの考え方の根底をなすものでもあるだろう。
誰にどんな責任があるのかを追求する展開が肝
一方で、番組はミッチを糾弾していく描写にとどまらず、番組関係者の誰にどんな責任があるのかを、さまざまなポジションで働く人々にフォーカスしながら追求していく。この点が本作の真の醍醐味だ。最大の焦点は長年ミッチと良い関係を築き、今でも親愛の情を見せるアレックスが「どこまで知っていたのか?」である。複合的な問題が複雑に絡み合っているグレーゾーンをグレーゾーンのままにせず、「その時何が起きていのか」を可能な限り検証することの重要性は、冒頭にも書いた通り、繰り返される組織的な犯罪やその隠蔽を少しでも減らすことの第一歩でもあるだろう。同時に本作でも描かれる権力と密接に結びついたハラスメントの実態は、どこまで突き詰めてもグレーな部分があることもまた事実であることを思い知らされる。
しかしグレーはグレーだから議論しても仕方がないということにはならないのである。劇中で被害者の一人で、野心家の優秀なスタッフのハンナ(ググ・ンバータ=ロー)が体験する「自尊心」を奪われることの精神面への影響は深刻で、決してこの問題を「女性の側にも責任がある」などと短絡的かつ軽々しく考えてはいけないということを痛感させられる。賞レースを沸かせている映画『スキャンダル』(2月21日公開)でも描かれているが、上昇志向が強く大きな成功を望む女性がネガティブに受け取られることはナンセンスとしか言いようがない。「大きな成功を望んだからひどい目にあっても仕方がない」とか「チャンスをくれた男性上司に“お返し”をしなくてはならない」といった発想は、まさしく男性社会における悪しき慣習である。ミッチの「Me Tooはやり過ぎだ」という主張は全くの誤りであり、「過去は過去」として事件の事実関係を曖昧にしたまま葬り去ることの罪深さを、本作は作り手もまた試行錯誤しながら伝えている。日本でも映画『童貞。をプロデュース』をめぐる問題が取り沙汰されているが、今一度事実関係を明らかにすることが再発の防止の第一歩につながるのではないだろうか。
事件の数々からドラマ制作の裏側を考察する
「ザ・モーニングショー」の原案は現在CNNのキャスターを務めるブライアン・ステルターの著書「TOP OF MORNING」。さわやかな印象とは裏腹に、熾烈な視聴率競争を展開するアメリカの朝の情報番組バージョンの「ハウス・オブ・カード 野望の階段」を女性主体で作るというのが最初の目論見だったのだろうかと想像する。だが番組の開発途中で2017年10月にハーヴェイ・ワインスタイン問題が勃発。立て続けにセクハラ疑惑で解雇されたNBCのマット・ラウアー、CBSのチャーリー・ローズらテレビニュース業界の大物キャスターたち、またこれらに先んじで同様に冠番組を降板したFOXニュースのビル・オライリーらのケースを踏まえて、Me Tooをテーマとする作品作りへと仕切り直しを図ったという経緯がある。
この過程で、「ハウス・オブ・カード」に携わっていた本作のクリエイターの1人であるジェイ・カーソンの「クリエイティブな面での見解の相違」による降板劇も業界では注目を集めた。2017年10月には同番組のケヴィン・スペイシーがセクハラで告発され即時降板、Netflixとも契約解除となったことと関連づけずにはいられないだろう。結果として、ケリー・エーリン(『ベイツ・モーテル』)が昇格してクリエイターとしての大役を引き継いだ。まだこれほど大きなプロジェクトの経験は少ないエーリンの健闘は称賛に値するが、3話分の監督を務め、製作総指揮として作品を牽引したミミ・レダー(『ビリーブ 未来への大逆転』『LEFTOVERS/残された世界』)の存在を忘れてはならないだろう。プロデューサーとして関わるアニストン、ウィザースプーンらも含めて、文字通り女性主体の現場によって番組に関わるトップクリエイターたちが、自らがエスタブリッシュメントとして見過ごしてきたであろう問題の数々に正面から切り込んだ意欲作だ。
今祥枝(いま・さちえ)ライター/編集者。「小説すばる」で「ピークTV最前線」、「yom yom」で「海外エンタメ考 意識高いとかじゃなくて」、「日経エンタテインメント!」で「海外ドラマはやめられない!」を連載中。本サイトでは間違いなしの神配信映画を担当。Twitter @SachieIma