大友啓史×黒沢清、中国で出会う
映画監督の大友啓史と黒沢清が、昨年12月1日から8日にかけて、中国・海南省三亜市で開催された第2回海南(ハイナン)島国際映画祭で対面し、インタビューに応じた。本映画祭では大友監督の新作『影裏』(読み:えいり 2月14日公開)がコンペティション部門に出品され、黒沢監督はマスタークラスに招待され、『旅のおわり世界のはじまり』『トウキョウソナタ』など4本が上映。普段クリエイター同士、顔を突き合わせて会話をする機会がないこともあり、映画祭期間中に互いの作品を鑑賞し、「あのシーンはどうやって撮ったのか」と質問をぶつけ合う一幕もあった。(取材・文:編集部 石井百合子)
お互いの印象
大友啓史監督(以下、大友):僕は映画製作を学ぶために1997年から1999年までアメリカにいたんですけど、1998年に黒澤明監督が亡くなり、ニュースで訃報が流れていたんです。その少しあとに、「もう一人のクロサワがすごい映画を撮っている」とアメリカの映画業界で話題になっていて。それで帰国する機会に、貪るように黒沢監督の作品を観た記憶があります。『神田川淫乱戦争』(1983)、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985)、『スウィートホーム』(1989)などなど。Vシネも拝見していましたが、やはり評判になっていた『CURE キュア』(1997)の衝撃が大きかった。職業監督としてではなく、一映画ファンとして黒沢作品に接している期間が長かったですね。
黒沢清監督(以下、黒沢):僕が初めて拝見した大友さんの作品は、大河の「龍馬伝」(2010)ですね。久しぶりに最終回まで食い入るように大河を観たのが「龍馬伝」で、その時に大友監督の名前が記憶に残りました。失礼ながら、親しくさせていただいている香川照之さん(岩崎弥太郎役)をきっかけに見始めたんですけど、主演の福山雅治さんも素晴らしくて。佐藤健さんは、あの作品でメジャーになりましたよね。人斬り以蔵(岡田以蔵)。主人公の坂本龍馬から脇役に至るまで、登場人物が皆ある矛盾を抱えながら夢を追いかけ、でも挫折したりと紆余曲折するドラマが絡み合っているというのが、とても強烈でした。大河ドラマって面白いんだと実感して、それ以降、大河を観るようになりました。そのあと、大友さんの作品だからということではなく単に面白そうだったから『プラチナデータ』(2012)、『るろうに剣心』(2012・2014)、『ミュージアム』(2016)など多々拝見するようになっていたのですが、僕にはできない、多くの人々の心を惹きつける作品を撮る技量をもっていらっしゃる方なんだなと。いつの間にか大友ファンになっていったという感じですね。
黒沢清が観た『影裏』
何気ない日常の中にあるサスペンス
黒沢:今回の映画祭で拝見したのですが、感銘を受けました。綾野剛さん演じる人物の何でもない日常が丁寧に描かれているのですが、次に何が起こるかわからないある種のサスペンスと不安など、日常生活をこんなにスリリングに描けるものなのかと。松田龍平さんの各シーンでの登場の仕方もうまいですよね。彼は「よう」とふらりと現れるだけで、来て何をするというわけでもないんですけど、にもかかわらず「これはヤバい」「何かある」と感じさせる。結果的には大したことは起きていないようにも思えるのですが、綾野剛さんの心がこんがらがっている、乱れているのがひしひしと伝わってくる。物語としてはコンパクトなんですけど、人間の心の振れ幅をささやかな設定でよくぞここまでダイナミックに表現されているなと舌を巻きました。
黒沢作品で常連のカメラマンと初タッグ
大友:芦澤明子さんは今回初めてお願いしました。もちろん黒沢監督の作品で芦澤さんの仕事は観てきていますし、原作を読んで感じたある種の不穏さというのを捉えるのがうまいのではないかと思ったんです。黒沢さんが先ほどおっしゃった、何が起きるかわからない日常のサスペンスというのは、黒沢監督の映画を観て感じたことでもあって。例えば『クリーピー 偽りの隣人』(2016)とか。日常で人がはらんでいる、思っていることと話していることが全然違うみたいな世界。おそらく、黒沢さんの作品でほとんどの人物がそういうものを漂わせている。そういったことを捉える際に、カメラマンの敏感さが必要になってくると思うんです。そう考えた時に、芦澤さんは、目の前で起きていることを観たまま撮るのではなくて、流れている何か違うものをつかまえるのがきっとお上手なのではないかと。
映画で釣りのシーンを撮るのは面白い
黒沢:大友さんにうかがいたいのが、(綾野剛と松田龍平の)釣りのシーンです。僕自身が釣りをやらないこともあって、これまで一度も釣りのシーンを撮ったことがなく、ちゃんと考えたことがなかったのですが、基本的には静的なんだけれど、あるとき突然動く。その瞬間がいつ来るかわからないというサスペンスがありますよね。あとは長い釣り竿を垂れている風情。そういったことがとても映画的なものなんだなと前から何となくは思っていたんですけど、この映画を観て確信しました。自由自在にカメラを置ける環境ではおそらくなかったと思うのですが、うまく釣りを描写するコツというのはあるんでしょうか?
大友:僕も、撮影前に『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)とか釣りが登場する映画をいろいろと観て、大変だろうなと予想はしていたんです。ですから、「釣りセブン」という専門のチームを作ったんです。釣りを知っている人、魚を知っている人、川を知っている人……。撮影時間が限られていて、魚が釣れるまで待つわけにはいかないので、彼らに前日に200匹、300匹と釣ってもらっているんですよ。それから、川の中にいけすを作って、釣った魚を入れておく。そうしないと、季節が夏だったこともあって別の場所で釣った魚は、違う川に来ると弱ってしまうんですね。だから撮影する川に慣らしておく必要があって。あとは、釣ると魚は必死に逆らいますが、何度も繰り返していると動かなくなってくるので、ワンテイクで10匹ぐらい魚を変える必要があって。本番中にはスタッフが2人ほど水中にもぐって、魚をつけてもらっています。
黒沢:そこまで苦労して……まさか人が潜っていたとは……。興味本位でふと撮ってみようなどと思ってはいけないんですね、釣りのシーンは。勉強になりました(笑)。
大友啓史が観た『旅のおわり世界のはじまり』
アンコントロールな現場が生む思わぬ効果
大友:僕もこの映画祭で拝見したのですが、面白かったです。黒沢監督の映画には、いつも緻密さを感じるんですけど、うかがってみたいのが、ウズベキスタンの地元の皆さんが全面的に協力されたそうなんですが、アンコントロールな部分もかなり出てくるのではないかと。現場では実際にどうだったのでしょうか。
黒沢:例えば、後半のシーンでチョルスーバザールという巨大市場で撮っているのですが、簡単に言いますと撮っていい場所と駄目な場所があるんです。つまり正規の店はいいけど、闇で出している店はダメ。そこで、エキストラを用意したりといろいろ準備をしていたわけですが、当日行ったら正規か闇かなんてまったく区別がつかなくて結局、全部撮ってしまいました(笑)。ですから映画には撮ってはいけない場所、こちらで用意したエキストラとか、たまたま歩いていてぎょっとしている通行人、全部が映りこんでいるわけで。海外ではよくあるのですが、建前では「これはやってはいけない」といったルールがあっても、いざ行ってみるとよくわからないけど何でもありになるという(笑)。
大友:『億男』のモロッコの撮影でも、まさにそうでした(笑)。世界最大規模といわれるスーク(市場)の中に、わざわざ撮影用のお店も作ったんですけど、「結局どこ撮ってもいいんじゃん!」っていう。あと昼の飯場に信じられないぐらいの人が集まっていて。100人ぐらいのスタッフなのに400人ぐらい食事していて、「あなた、誰ですか」っていう人がたくさんいて。面白かったですねえ(笑)。確かに、『旅のおわり』の市場のシーンには驚きました。前田敦子さんがクルーとはぐれてしまうところですね。(カメラマンの)芦澤さんが喜んでいる顔が目に浮かびます。スタッフからすると、予定調和から外れぐじゃぐじゃになっていく感じも、海外での撮影の醍醐味の一つかなと。
大友監督、黒沢作品の動物に興味津々
大友:もう一つうかがいたいのが、アンコントロールというと「子供と動物」ですよね。かねてから黒沢監督の映画では、時々動物がびっくりするものを見せてくれると思っていて。『旅のおわり』でもヤギが登場しますが、前田敦子さんがヤギと見つめあっているところとか、ヤギを自由にしてあげるところとか、すごく好きでした。『クリーピー』では香川照之さん(演じる恐ろしい隣人)になついている犬がいましたけど、本気で香川さんに「どうか犬を殺さないでほしい」と心の中で呼びかけてハラハラしながら観ていました(笑)。
黒沢:ああ、香川さんが犬を怖がるシーンですよね。犬を呼んでおいて、いざやってきたら「やめてくれ!」と。香川さんがフレーム外で犬を呼ぶ巧みな動物テクニックのおかげもあります(笑)。動物はおっしゃる通り、扱いが大変なので滅多に出したくないものなんですけど、時に思わぬ役割を果たしてくれると胸を打ちますよね。俳優の演技を超えた何かがあるように思います。ただ、ヤギは犬よりもっと厄介でしたね……。「ウズベキスタン一賢い」といわれるヤギを連れてきたんですけど、調教師から教えてもらったやり方で呼んでもなかなか来なくて。そんな中で、ある時ヤギが何を思ったのか来てほしいと思ったところにスタスタとやってきて、フレームアウトしてくれたんです。そうなるために10テイク以上は必要だったんですけど、やっと望んだ動きをしてくれた時には拍手が起きていましたね。
大友:感情移入させてくれるヤギでしたね(笑)。だから前田敦子さんがああいう表情になるんでしょうね。あのシーンは白眉で好きなシーンです。
中国で映画を撮るなら
大友:中国には何度も来ていますが、中国大陸は広いし、毎回まったく知らない景色に出会ってきたように思います。黒沢監督のウズベキスタン映画も一緒だと思うんですけど、その国、土地から生まれる物語があると思うんです。『影裏』は僕の故郷(盛岡)で撮りましたが、今回新しい発見がたくさんあって、想像を刺激されることがあった。だから僕としては北京、上海といった都市部ではなくて山奥、農村などに足を運んで、僕らの知らない中国の人たちの暮らしを撮りたい、というか、観てみたい気はします。中国は情報統制されていますから、これから伝わってくる中国とそうではない中国があると思います。『旅のおわり~』のように、見知らぬ土地に日本人俳優を連れてきて、そこで起きる化学反応を楽しんでみたいですね。
黒沢:今回、初めてここ(海南省三亜市)に来たんですけど、来る前はリゾート地と思っていたんです。でも、街に出てみると中国の地方都市の、ある喧噪と混沌が至るところにある。その後ろに超高級リゾートマンションが建っているという。ほぼワンカット、一つの構図で、今の中国、あるいは全世界の縮図を表現できる感じがすごいなあと。なかなかここまで両極端なものが存在している場所はないだろうなと思いました。ちょっと大げさかもしれませんが、ここにまさに世界があるという感じでしょうか。限定されたある地方都市だけが舞台で、一瞬にして世界が見える、みたいなことがこの国だとできるのかもしれないですね。
大友監督と黒沢監督が大きく異なるスタイル
カットをかけない大友監督
黒沢:これは俳優からよく聞くんですけど、「大友監督はなかなかカットをかけない」「台本にあるセリフを言い終えてからが勝負」だと。そんなやり方というのはいつどのように獲得されたのでしょうか。その大変さ、面白さはどういったことですか?
大友:もともとテレビの収録って、まぁ映画もそんなに豊かにあるわけではないですが、とにかく時間がないんですよね。大河ですら、皆さんが思うほど時間があるわけではなくて。俳優たちと役について落ち着いて話したりする余裕がなく、収録しながらずっと走り続けている感じです。だから、撮りながら試行錯誤を重ねてたどり着く場所を探っていかなければならないのですが、俳優に対して僕ができることってスタートをかけてから、その役でいる時間を増やしてあげることなのではないかと、ある時思ったんですね。そうすることで、俳優自身が、芝居の中で何かを発見することにつながるのではないか、と。例えば、菊川怜さんが女優デビューしたころ、「夢みる葡萄~本を読む女」(2003・NHK)というドラマを撮ったのですが、彼女は超売れっ子で忙しくて、準備する時間がなかなか用意できず、苦しんでいると思ったんですね。忙しさの中で、疲弊して感情量がすり減ってしまっている気がしました。そんなとき、戦争で衰弱死した自分の子供を抱きながら泣くという重要なシーンがあったのですが、僕も何かできることはないかと思い、撮影の前日に彼女が赤ちゃんと過ごす時間を捻りだしてもらい、スタジオのあるセットで、その赤ちゃんと寝たりおむつを替えたりという状況を作って、実際に衣装を着てもらいカメラも回しました。ドラマの中でそのシーンは一切使ってませんが、あくまで翌日の撮影のために、少しでも手掛かりをつかんでほしいということだったんですね。そうして本番では人形を使って撮影したのですが、「あのぷくぷくの柔かい頬が、一瞬にして硬直してしまったことを想像して」と言って撮影したら、菊川さん、破裂するように泣いたんですね。そこが入口でしょうか。なかなか、そういった準備や贅沢ができない中で、少しでも俳優が何かを捕まえる時間を用意したい。ですから、今もカメラを回すなかで、俳優がまだ役について手探りだったり、もしくは逆に何かが生まれそうなときはカットをかけないことがあります。(松田)龍平君なんかは特に「何を考えているかわからない」雰囲気のある役者ですが、少し長く回すと、キーになるようなセリフが出てくるんですよ。一方で、アドリブを取り入れることと、それを排除していく両方が大事だと思うので、その匙加減を映画でずっと探っているようなところがあります。
カットをかける黒沢監督
黒沢:悲しいかな、低予算映画、Vシネマなどではお金がかかるのでフィルムを余分に回せないんですよね。僕の場合はとにかく多く回さないという環境で育ってきてしまったので、なかなか……。今はデジタルなのでいくらでも回せますけど、それでも「早くカットをかけないともったいない!」というのが染みついています。
大友:でも、黒沢さんの作品を拝見していると、だからこそ生まれるものがあるんだと思いました。それこそ、強靭なカットだと驚いたのが『CURE キュア』での海辺のシーンです。
黒沢:戸田昌宏(被害者の花岡徹役)が待っていて、そこへ萩原聖人(連続殺人犯の容疑者役・間宮邦彦)がふらふらと歩いてくるという。
大友:2人の動きをずっと素直に追っているだけなのに、山、砂浜の景色が徐々に変わってきて、カメラの動きと連動しながら、映像自体がまるで生き物のように、静かに、だけど、ざわざわと心をざわつかせながら変貌していくんです。最後にすごくいい一枚の風景になって。「ああ、こういうのが映画だよな」「大画面で観たいな」と。ああいうカットはフィルムだからこそ、の瞬間性が結実されたものだと思うんですよ。だから今の若い子たちにどういうふうにああいうカットの魅力を感じてもらえるのか。そういうことを、(デジタルからフィルムへの転換を)経験している方々に大きな声で言っていただかないと、映画の表現が小さくなってしまう気がするんですよね。今日、『旅のおわり~』を大きなスクリーンで観て改めて思いました。
黒沢:古い人間なので、やはり「映画は大きなスクリーンで観るもの」と思い込んでいるところがあります。僕だってもちろん家のテレビで映画を見ることも多いのですが、それにしてもフィルムからデジタルへの転換があまりにも急激でしたよね。じっくりとデジタルを学んで緩やかに変わっていけばよかったんですけど、「えっ! もうフィルム使えないの?」とある日突然でしたから。デジタルとはいえ、フィルムと同じやり方を続けるしか方法が見つかりませんでした。僕はそういう古い世代です。大友さんのようにデジタル出身でありつつ、その延長として当然のように映画に進出した方が、いまや堂々たる現代映画の王道なのだろうと思います。
取材後記
撮影スタイルは違えど、話せば話すほど互いの撮影手法に興味津々になった様子の大友監督と黒沢監督。普段、映画監督同士が顔を合わせる機会が滅多にないだけに、話題は映画の具体的なワンシーンから、デジタルからフィルムへの転換まで多岐に及んだ。大友監督から観た黒沢映画、黒沢監督から観た大友映画。これらをふまえて作品を観ると新たな発見、さらなる広がりを体験できるはずだ。