『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督インタビュー「人生はワンカットで体験するもの」
第92回アカデミー賞
第1次世界大戦時、1,600名もの命がかかった伝令を携え、危険な戦場を奥へ奥へと進んでいく2人の若きイギリス兵スコフィールド(ジョージ・マッケイ)&ブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)の壮絶な旅を、全編ワンカットに見える映像で描き、かつてない臨場感を生むことに成功した『1917 命をかけた伝令』。監督・脚本・製作のサム・メンデスと共同脚本のクリスティ・ウィルソン=ケアンズがインタビューに応じ、この新たな映画体験をどのようにして生み出したのかを明かした。(編集部・市川遥)
Googleマップを使って“ワンカット”の脚本執筆!
Q:監督のおじいさまの体験談が大まかに基になっているそうですね。どのくらいの間この企画を温め、どのように発展させていったのですか?
サム・メンデス監督(以下、メンデス監督):物語を聞かされたのは10~11歳の頃だったから、今から40数年前だね。もちろんその頃から映画化を考えていたわけではなく、何か書いてみようと思ったのはここ数年のことだ。祖父が話してくれた物語の一つは“伝令を運ぶ一人の男”についてで、自分にも一つの旅から壮大な物語を作ることができるかもしれない、と思うようになった。
ところが実際には、あまり動きのない戦争における旅の物語を、どう展開させるべきかがわからず、それを見いだすのが一仕事だった。リサーチを入念に行い、少し休止したりもしたが、1917年にドイツ軍がヒンデンブルク線まで撤退したという事実を知ったことで状況が変わった。それで、一人の兵士を異なる風景の中へと進ませ、雰囲気が変化していく旅を組み立てることが可能になったんだ。そこで物語のざっとした要約を作り、また一旦休止した。それから一緒に仕事をしたことがあったクリスティに会い、約1週間話し合った。その後、彼女に大変な仕事をしてもらい、そして自分が引き継いだというわけだ。
共同脚本のクリスティ・ウィルソン=ケアンズ(以下、ケアンズ):その1週間でこの物語やキャラクターたちを掘り下げていった。初日の朝に、一緒に地図を見ながらこの旅をどうするか決めていったの。
メンデス監督:地図を描いたのだったかな?
ケアンズ:ええ。ほら、Googleマップを使って、「ここがヒンデンブルク線で、この辺りを通っていく」といったことをやったのを覚えているでしょう? そういうのをやったわ。かなり集中して作業した。わたしたちが共有したあの特別な瞬間を、あなたはどうやって忘れられるの?
メンデス監督:(笑)。
ケアンズ:というわけで、わたしたちにはしっかりとした物語があったから、それを脚本化していくだけのことだった。ただリアルタイムの物語という点で、“継続するワンカット”として読むことができるものにしないといけないのがなかなか難しかった。ある意味、わたしたちは山を掛けたと言えるわ。わたしたちは何度も互いに書いては相手に送るということを繰り返した。
メンデス監督:クリスティが実際に組み立て、通常の脚本の形にするという大変な作業の大半をやってくれた。僕はそれを書き直すという楽しい部分をやったんだ。全てではないよ。素晴らしい箇所もあったからね。ただ、彼女の許可も取らずに、自分が書き直したい箇所を書き直したんだ。これは僕にとって初めてのことで、脚本家の作品を壊しているかのようで申し訳ない気持ちになった。まあ、壊しているのが僕だから、問題はなかったがね。それからは本当に毎日コラボレーションし、脚本が二人の間を行き来した。何か月もの準備期間中、クリスティは常に現場にいたからまさに共同作業だと感じたよ。
『007』の経験が脚本執筆の自信に!
Q:監督が初めて脚本を書くことになるまで、なぜこれほど長い年月かかったのですか?
メンデス監督:どうだろうね。なぜそうだったのだろう? 自分のことをあまり良い脚本家だとは思っていないからかもしれない。それがまず一つ目の理由だ。素晴らしい脚本家の作品が送られてくる立場からすると、脚本を書くのがいかに大変かはよくわかるから。今回書くことにしたのは、ボンド映画(『007 スカイフォール』『007 スペクター』)を手掛けた5年間、脚本家たちと部屋にこもって一緒に何もないところから作っていった経験に関係があるかもしれない。それが「もしかしたら、彼らなしで自分だけでも出来るかもしれない」という自信につながったのかもしれないね。もちろん『007』の脚本を書いたのは自分だと言っているわけではないが、それらが生まれる時に僕がそこにいたのは確かだ。それによって勇気づけられたのだと思う。
それに本作はそれほどセリフが多い作品ではない。要は、自分が作りたい映画の描写をするような感じだ。書きやすい脚本ではないが、一つ以上のプロットや構造がある通常の脚本に比べれば、そこまでではない。うまくいっているかどうかを判断するために、少し距離を置いて脚本を見ることができるという監督としての客観性は、自分でも評価してきたしね。本作では、プロジェクトの性質、そしてこれが家族の歴史から生まれたパーソナルな作品だという理由で、自ら語るべき物語だと感じた。この物語のおかげで、「そうだ。助けがあれば、自分にも出来るかもしれない」という勇気が湧いてきたんだ。
コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチら人気俳優の起用理由
Q:より有名な役者をキャスティングしなければならないというプレッシャーはありましたか?
メンデス監督:いや、それはなかった。ドリームワークスとユニバーサルのおかげでね。自分の脚本だと……つまり自分が所有していて、その報酬をまだ受け取っていない脚本であれば、われわれが本作でやったように効果的にオークションをすることが可能なんだ。こんな風に自分でコントロールできるのは、僕にとっては初めての経験だった。
今回はさまざまなスタジオに「意思決定は週末までにしてほしい。これが脚本で、こんな映画を大体いつ頃に作りたい。予算はこの位を希望していて、クリスマス映画になる。キャスティングには(ああしろこうしろという)プレッシャーを感じたくない。さあ、こんな映画を作りたいですか?」と持ち掛けた。すると6つのうち3つのスタジオに「作りたい」と言われ、それら3社とミーティングをして、どこが一番良い条件を出してくるかを見たんだ。
ドリームワークスとユニバーサルに決めたのは、ドリームワークスとすでに関係があったからだ。スティーヴン・スピルバーグ監督(ドリームワークスの創設者の一人)は長年にわたる知り合いだし、一緒に『アメリカン・ビューティー』『ロード・トゥ・パーディション』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』を作ったスタジオだ。ユニバーサルも『ジャーヘッド』を共に作ったスタジオで安心できた。約束を守らないなんてことはないだろうと思ったわけだが、実際に彼らは素晴らしかったよ。「世間に知られている誰かを登場させてくれると、安心できる要素になるが」なんて言われたがね(笑)。
「ああ、そうですか」と応じたわけだが、実はそれはそもそもやろうとしていたことだった。コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ、アンドリュー・スコットが有名なのは、彼らが優秀だからだ。僕は上官たちを優秀な俳優に演じてほしかった。そこで「著名な俳優も何人か出てくるが、中心となるキャラクターは、観客が新鮮な関係を持てるようなフレッシュな人にしたい」と言ったんだ。
冒頭から感情移入できる脚本の秘密
Q:関係と言えば、主人公たちのことを何一つ知ることなく、冒頭から彼らに感情移入できる点が素晴らしいです。一切の無駄を省きながらも、スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)の関係性が冒頭からとてもよくわかりますよね。
メンデス監督:君は人間だから、彼らに死んでほしくはないわけだ(笑)。「彼らにはぜひ死んでもらいたい」なんてないよね(笑)。いや、実際それは興味深い点で、よく話し合ったことだった。冒頭5分間を執筆するのに、眠れない夜を過ごしたよ。彼ら二人がただ一緒にいて、少し話しては少し歩き、さらに他愛のない話をして……という風にしたかったんだ。その間、二人はプレッシャーにさらされているわけでもないし、緊急を要する何かがあるわけでもない。何週間もずっと待機し続け、その間、戦うことは許されなかった。そうした全てが、彼らの何気ない様子からわかるようになる。
一人はよくしゃべりより陽気で、もう一人は自分のことを話したがらないところがあり、彼が言ったことの中には「え?」と思うようなこともあったりする。「(故郷に)帰らない方がいいんだ」と言った後に中断してしまうが、「それはどういう意味?」と思わせる。彼らの軍曹との関係や、彼らがどれだけの期間そこにいるのかということも、「クリスマスまでに大きく変わると言われていたのに、もう4月だ」というセリフに表れている。
という風に、実は最初のシーンにはかなり情報が詰まっているわけだが、説明的にはなっていない。われわれには「説明的にならないように。説明をできるだけ抑えるようにする」というルールがあったんだ。観客に何とかして主人公たちに寄り添ってもらいたくて、特にスタジオからも「彼らのことを愛してもらうために、最大限努力するように」というプレッシャーがあったしね。映画を通して、彼らと共に時間を過ごさなければならないから。彼らのことをしばらく観察すると、「とても若くて脆くい、大勢の兵士の中の二人である」ということがわかるようになるというだけのことなんだが、観客にそれと意識させることなく、どれだけの情報を与えられるのかということを考えた。それがもしかしたら、その(=冒頭から感情移入できる)理由かもしれないね。
それに将官とのシーンではもちろん、表情だけでそれがわかる。もう一つの理由は正直なところ、演技の素晴らしさによるものなんだ。司令を受け、それをすぐさま受け入れる時のディーン(ブレイク役)の表情に対して、ジョージ(スコフィールド役)の「僕には聞きたいことが山ほどあるのに、おまえは一体何をやっているんだ? 簡単にハイと言えることじゃないだろう?『すぐに頭を撃ち抜かれる』と聞かされていた無人地帯(敵味方両軍が対峙してこう着状態にある塹壕の間)を行けと言われているんだぞ! 一体どういうことだ?」という表情だ。そんな風に聞かされていたことに対する恐怖心もあるわけだが、あれは名演技だと思う。
観客とキャラクターの距離を縮める“ワンカット”という手法
Q:兵士の視点でワンカットにすると決めたのは、観客に彼らとの一体感を持たせるための一つの手法だったからなのでしょうか?
メンデス監督:そうだ。兵士目線で語っているわけではなく、彼らを風景の中の小さな人物として客観的に見ていることもあるがね。観客に地理関係、距離、困難さを理解してもらいたい時もあれば、キャラクターたちの内面を理解してもらいたい時もある。カメラ、キャラクター、風景という常に動き続ける3つの要素のダンスというのが、本作における映画の言語だった。
その中で、カメラがそれだけで目立つようなことがないようにと意識した。キャラクターたちがカメラを見たり、「カメラが今、何をやっているのか見てごらん」というような感じにはしたくなかった。だから特にクレイジーなことはやっていない。鍵穴から(カメラで)のぞいたり、飛んでいく銃弾の軌道に沿って動かしたりとかいうバカげたことはやっていないんだ。
こう言うと偉そうに聞こえるかもしれないが、人生はワンカットで体験するものだ。映画の方が偽物。映画の言語・文法としてカットや編集することが普通になったわけだが、なぜそうなったのか? それは単にカメラの性能による理由だ。当時のカメラは運ぶにはあまりに重く、5分程度しか続けて撮れず、カットしなければならなかった。それが普通になっていき、誰も疑問視しなかった。皆、編集のトリックが大好きなんだ。時空を超えることが可能で、1年、10年と超えることができるしね。
だが、デジタルカメラや小型カメラによって“リール(フィルム)を変える”といった“継続性を途切れさせていたこと”がなくなったこのご時世、ワンカットというのは珍しい表現法ではなくなるだろう。今後は全ての映画がワンカットで撮影されるようになると言っているのではないが、10年前と比べて、ワンカットというのが映画の文法の一つとして徐々に深められてきていると思う。
(頻繁にカットする手法に対する)反対運動をしているわけではないが、本作で物語を語る手法はそういう風に選んだ。観客とキャラクターの間の距離を縮め、そこにあるまた別のフィルターを取り除くというものだ。つまり「ここから見て! その後に今度はここから見て! その後に彼の目を見るように指示するから。今度は太陽に目を向けて」などと観客を巧みに操るフィルターだよ。人はよく「映画か。それはギミックに過ぎないのでは?」と言うが、編集はギミックだし、映画はギミック、そういう風に言いたければ、映画とはそういうものだ。でも僕はまた別の手法を選んだ。戦争映画だが時間が押し迫るスリラーのように機能する本作には、このような手法がより適していると言いたいね。
映画『1917 命をかけた伝令』は2月14日より全国公開
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