ファイナル・カット版が公開!『地獄の黙示録』は何がすごいのか?
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映画『地獄の黙示録 ファイナル・カット』が2月28日に公開される。巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督による映画史に名を刻む戦争映画の金字塔が、再編集とデジタル修復を施されて新たな姿で蘇った。さまざまな伝説を持つ『地獄の黙示録』の魅力に改めて迫る。(編集部・大内啓輔)
『地獄の黙示録』とは?
1979年に公開された『地獄の黙示録』(日本では1980年に公開)は、コッポラが『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPART II』の成功で手にした私財を投じるなど、映画作家としての人生をかけた渾身の一作として知られる。カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルムドールに輝き、アカデミー賞では撮影賞と音響賞を受賞。今なお戦争映画の傑作として威光を放っている。
新たに公開されるファイナル・カット版は、コッポラが過去バージョンの問題点を分析した新たなバージョンとなる。これはオリジナル劇場公開版より30分ほど長く、未公開シーンも加えた『地獄の黙示録・特別完全版』よりも20分短い182分に再編集されたもの。映像には撮影時のオリジナル・ネガフィルムが初めて使用され、音声に劇場公開版のプリントマスターが用いられている。IMAX仕様でデジタル修復され、コッポラ自身も最も満足できるバージョンと語っている。
『地獄の黙示録』の舞台は1960年代末、ベトナム戦争後期。戦場に戻ってきたアメリカ陸軍のウィラード大尉は、軍上層部から特殊任務──カンボジア奥地のジャングルで、軍規を無視して自らの王国を築いているという元エリート軍人のカーツ大佐を暗殺せよ──を命じられる。ウィラードは4人の部下と哨戒艇でヌン川を上り、狂気に満ちたベトナム戦争の渦中を目の当たりにする。
カーツの王国に近づくにつれて、自らも精神のバランスに変調をきたしていくウィラード。部下を次々と失いながらもカーツの王国に辿り着いた彼は、アメリカ人の報道カメラマンと出会い、カーツの真の姿を聞かされる。戸惑いを隠せないなか、ついに王国の神と対面を果たす……。
「ベトナム戦争映画」の先駆的作品に
全編にわたってベトナム戦争における暴力や狂気が皮肉をこめて描かれ、戦争に加担したアメリカ合衆国が批判されている。サーフィンをするために敵部隊を村ごと焼き払うサーフィン狂の中佐をはじめ、兵士たちの慰問のために用意された、ジャングルに突如出現するプレイメイトのけばけばしいステージ、ドラッグに溺れて正気を失いつつある河川哨戒艇の乗組員、そして指揮官不在で戦い続ける最前線の兵士など、もはや喜劇ともいえるような狂気の光景が眼前で繰り広げられる。
当時から泥沼化していたことが明らかだったベトナム戦争だが、映画としては、朝鮮戦争における移動野戦病院の医師たちを主人公としたロバート・アルトマン監督による『M★A★S★H マッシュ』や、第2次世界大戦を舞台に戦争の狂気を描くマイク・ニコルズ監督の『キャッチ22』のように、別の戦争に仮託したかたちで描かれるしかなかった。
その意味で『地獄の黙示録』は『帰郷』『ディア・ハンター』と並んで、80年代に入って続々と作られることになる、ベトナム戦争映画の先駆的な作品となった。まさにコッポラ自身が語るように「観客にベトナム戦争の恐怖、狂気、感覚、道徳的ディレンマなどの認識を与え得るような映画体験を創造すること」(劇場公開版のパンフレットより)に成功したのだといえる。
そして、キャストにも豪華な面々が揃っている。ウォルター・E・カーツ大佐をマーロン・ブランド、ビル・キルゴア中佐をロバート・デュヴァル、ベンジャミン・L・ウィラード大尉をマーティン・シーン、タイロン・“クリーン”・ミラーをローレンス・フィッシュバーン、ルーカス大佐をハリソン・フォード、そして報道カメラマンをデニス・ホッパーが演じている。
映画よりも映画的?混迷をきわめた撮影現場
撮影は1976年3月20日に始まり、120日間で1,200万ドル(現在で約13.2億円、1ドル110円計算)の予算で終わる予定だった。しかし、結果として540日の撮影日数を要し、最終的な費用は3,100万ドル(約34.1億円、1ドル110円計算)にもふくらんだ。撮影後もコッポラたちは150万メートルのフィルム素材と格闘し、編集には2年半もの月日を必要とした。
そんな『地獄の黙示録』は、作品そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に撮影をめぐる逸話が伝説となっていることで有名だ。当時、コッポラの妻であるエレノア・コッポラが撮影に同行(幼かったソフィア・コッポラたちも)。その混迷をきわめた撮影の記録は手記としてまとめられて出版された。さらに、エレノアが撮った映像や音源に関係者たちのインタビューを盛り込んだドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』ものちに公開されている。
撮影はフィリピンで行われ、ベトナムの難民を含む数千万人にものぼるエキストラや国際色に富んだキャストたちが集められた。1969年のベトナムの状況を忠実に再現すべく、ベトナムの村落やアメリカ軍の駐屯所、アンコールワットのような寺院などのセットが続々と作られることに。そんななか撮影開始から2か月が経過した1976年5月、6日間にわたって猛威をふるった大型台風に襲われてセットの数々が破壊されてしまう。川が氾濫し、結果、撮影は2か月も中断することになった。
コッポラを悩ませたのは、自然災害だけではない。マーロン・ブランドが撮影時にキャラクターのイメージとは大きく異なる100キロオーバーの体重になっており、セリフも覚えようとしない。あげくは撮影前から手付けに大金を受け取っておきながら撮影をキャンセルしようとするなど、コッポラの精神を疲弊させる。また、デニス・ホッパーも薬物依存症がひどく、原作を読んでおらず、コッポラと口論することも。問題児ばかりの撮影に、コッポラは心労で倒れてしまった。
また、アメリカ国務省の協力を得られなかった一方で、フェルディナンド・マルコス大統領は撮影隊を援助し、火器銃砲などを提供した。が、当時フィリピン国内はゲリラとの戦闘で混乱しており、撮影に必要なヘリコプターが南ミンダナオでの戦闘のために動員されてしまうという事態も。撮影では、朝にアメリカのマークを塗り、夜にはフィリピン空軍のしるしに塗り直すなどの苦労もあったという。
ほかにもウィラード大尉役に決まっていたハーヴェイ・カルテルが早々に降りてしまうなど、滑り出しからトラブル続きだった。ちなみにコッポラ自身もカメオ出演しており、その姿を劇中で見せている。ベトナム戦争を報道するテレビ局のディレクターとして「カメラを見るな!」と兵士に声を荒げているのが彼である。ベトナム戦争ではテレビ中継が大きな役割を果たしたことが、この演出からもうかがい知れる。
多様な解釈を生む、神話的な世界観
映画のタイトルにもある「黙示録」Apocalypseとは、黙示文学とも呼ばれるが、紀元前2世紀ごろから紀元350年にかけてユダヤ教徒やキリスト教徒の間で書かれた宗教文書のうち、神の秘められた意志が啓示されたと称する書物のこと。一般的には「ヨハネの黙示録」のことを指すが、その意味でも『地獄の黙示録』はタイトルから暗示的であり、「現代の黙示録」として神話的な物語ともなっている。多様な解釈を可能にするのは、当然のことといえる。
原案はジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」であり、コッポラは小説の素材やキャラクターを自由なかたちで利用している。映画のカーツ大佐にあたる主人公はアフリカ奥地で象牙採集に従事する商社マンで、未開の地で原始的なエネルギーに圧倒されて、ゆくゆくは人間性を失いかける。帰国する途中で、映画にも登場する有名なセリフを口にする。ちなみに、この小説を映画化しようとした人物に『市民ケーン』を撮ったオーソン・ウェルズがいるほか、ブラッド・ピットが出演した『アド・アストラ』のベースにもなっている。
ほかにも『地獄の黙示録』には、T・S・エリオット「うつろな人間たち」「荒地」、J・L・ウェストン「祭祀からロマンスへ」、J・G・フレイザー「金枝篇」などの文学作品が重要なソースとして用いられており、劇中にもさまざまなかたちで登場している。こうした物語と絡めて解釈に挑むのも一興かもしれない。
さらにはドアーズの楽曲や「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」というキルゴア中佐による名セリフ、キルゴア中佐率いる空挺ヘリ部隊がリヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をかけながらベトナムの村落を攻撃していく描写など、脳裏に焼き付いて離れない数々のシーンがある『地獄の黙示録』。その魅力を今回の貴重な機会に、大きなスクリーンで存分に味わってみたいものだ。
参考文献
『地獄の黙示録』劇場用パンフレット
エレノア・コッポラ著、原田眞人・福田みずほ訳「ノーツ──コッポラの黙示録」マガジンハウス刊
カール・フレンチ著、新藤純子訳「『地獄の黙示録』完全ガイド」扶桑社