間違いなしの神配信映画『ハラ』Apple TV+
神配信映画
押さえておきたい監督編 連載第5回(全7回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回は個性やメッセージ性の強い監督の作風に注目。毎日1作品のレビューをお送りする。
自らのアイデンティティーに葛藤…イスラム教徒の少女がとった選択
『ハラ』Apple TV+
上映時間:93分
監督:ミナル・ベイグ
出演:ジェラルディン・ヴィスワナサン、ジャック・キルマー、ガブリエル・ルナ
わたしは何者なのか? パキスタン出身の両親の元に生まれ、アメリカで暮らす高校生のハラ。2つの文化に挟まれ、自らのアイデンティティーに葛藤する少女を描く作品がApple TV+のオリジナル作品『ハラ』(2019)だ。
2019年にサンダンス映画祭とトロント国際映画祭に正式招待された長編映画で、2016年の短編映画『ハラ』が基となっている。監督・脚本・プロデューサーを担当したのはミナル・ベイグ。米イリノイ州・シカゴで生まれたベイグだが、ハラと同じように、彼女自身もパキスタンからの移民の両親を持つ。ベイグは米ワシントン・ポスト紙のインタビューで、『ハラ』について「自伝映画ではない」と述べているが、彼女が経験してきた出来事が本作のインスピレーションとなっているのは確かだろう。実際に、ベイグが幼少期を過ごしたシカゴのロジャーズ・パーク近郊で撮影されている。
本作が単なる「成長物語」ではないのは、主人公のバックグラウンドからも明らかだ。大学進学を控えた17歳のハラは、アメリカで弁護士として活躍する父親と、家族のために尽くしてきた母親のもとで、厳格なイスラム教徒として育てられてきた。父親と文学やクロスワードパズルについて英語で会話する一方で、母親からは外でヒジャブ(頭髪や肌を覆う布)を着用し、お祈りを欠かさず行うといった、イスラム教徒としてあるべき姿を求められる。恋に興味を抱く年頃だが、恋愛においてもイスラムコミュニティーの目が光る、窮屈な生活を送っている。アメリカに住むパキスタン系移民2世として、ハラが直面する悩みは単純なものではないことは想像に難くない。2つの文化を内面に抱え、親が求めている理想の娘として、そしてイスラム教徒としての責務を果たすことを求められるのだから。
そんな彼女も、一歩外に出ればアメリカのごく普通のティーンエイジャー。スケートボードを乗りこなし、英文学のクラスでは自らの考え・思いを作文にまとめて発表する。密かに思いを寄せていたクラスメイトのジェシー(ジャック・キルマー)とも、詩とスケートボードを通じて距離を縮めていく。本作では、これまでの作品で見過ごされてきたような、一辺倒なイスラム教徒を描くのではなく、誰しもが成長の過程で経験してきたような、自らのアイデンティティーについて思い悩む姿をしっかりと映し出している。本作の製作が始まったとき、Apple TV+での配信はまだ決まっていなかった。しかし、これまでにもイスラム教徒の少女たちを描く作品があったなかで、本作がApple TV+という世界的な配信プラットフォームで日の目を見ることは意義深いことと言えるのではないだろうか。
もっとも本作の美しさは、劇中で映し出されるハラの繊細な感情にある、と個人的に思っている。教師からも「物書きとして才能がある」と認められるほど、彼女にとって唯一自分をさらけ出すことができるのが文学だった。喜び、悲しみ、悩みなど、その瞬間ハラが抱いていた感情が、率直で美しい詩となってストーリーを包み込んでいく。
それを可能にしたのは、ひとえにジェラルディン・ヴィスワナサンの繊細な演技ゆえかもしれない。劇中の英文学のクラスで、ハラはこう答えた。正直に生きることは「自らの内面と外の世界の境界線をなくして、制限をつけることなく自由に生きること」だと。ハラが「正直」だと思えた選択肢を、あなたはどう思うだろうか。(中井佑來)