ドレスから紐解く南北戦争と女性の戦い ー『ハリエット』と『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』ー
コラム
1861年から1865年まで続き、当時のアメリカの人口の2%(※1)が戦死したという南北戦争はアメリカにトラウマを残した。だが同時に、それまで州よってバラバラだったアメリカという国が奴隷制を廃止し、「誰もが平等の機会を与えられる」という理想を掲げたひとつの国へと生まれ変わったターニングポイントでもあった。
だからこそ、ハリウッドは『風と共に去りぬ』(1939)や『リンカーン』(2012)など、南北戦争を舞台にした映画を制作し続けるのだ。そして、今年のアカデミー賞でも、南北戦争を背景にした『ハリエット』が2部門、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が6部門にノミネートされ、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』は衣裳デザイン賞を受賞。これら2作品の美しい衣裳に潜むアメリカの歴史や女性の社会的地位を探ってみよう。(文:此花わか)
衣裳から見える南北戦争
南北戦争の原因は、奴隷制を廃止したい北部と維持したい南部の対立だ。この対立には様々な社会的・経済的要素が絡んでいるが、そのひとつは『ハリエット』と『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』の登場人物がまとうレース、ショール、色鮮やかな衣裳からも見えてくる。
イギリスから独立したアメリカの経済は北部と南部では異なる方向へ発展していた。独立後、北部はさまざまな産業が興隆していたが、19世紀始めの米英戦争によるイギリスからの輸入停止、交通網や流通の発展で工業がますます栄え、土地が開発され金融も発達し、19世紀半ばには都市部に人口が集中していた。こうして、次々と北部に建てられる工場で大量の労働力を必要としていたことから、南部の黒人奴隷を解放して労働者として雇い、また、彼らに製品を販売してマーケットの拡大を狙っていたのだ。
一方、南部はイギリスへの綿花の輸出が主な収入源。奴隷を手放してしまえば、イギリスに安価な綿花を供給することができず、南部の経済は破綻してしまう。(※2)奴隷制を巡る北部と南部の戦いは北部の工業発展が密接に関係しており、北部の織物工業の進化もファッションを通して映し出されている。
『ハリエット』や『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』に登場する女性たちは、レースやショール、カラフルなドレスを身に着けているが、機械での大量生産によりこれらの生地が流通したからであり、以前はごく一部の限られた裕福な女性だけに許されるファッションだったのだ。(※3)
「抑圧」から「自由」へ、ターバンに隠された意味
ハリエット・タブマンは1822年にメリーランド州で奴隷として生まれた実在の女性だ。ハリエットの母親は「期限付き奴隷」で父親は「自由黒人」。この時期、多くの奴隷主たちは、奴隷から逃亡する意思を奪い意欲的に働かせるために、一定年齢が達したら奴隷を解放していた。実はこれは、年老いた奴隷が働けなくなったときに保護しなくてもよいように、と奴隷主にとって都合のよい方法でもあったのだ。(※4)このような背景から「自由黒人」が急増し日常的に奴隷と交流するようになると、自由黒人と奴隷の婚姻が増えていった。だが、母親が奴隷の場合は子どもも奴隷としてみなされることから、父親が自由黒人だったとはいえ、ハリエット自身は奴隷という身分から逃れることができなかったのである。
奴隷時代のハリエットはブルーのストライプが入ったリネンのドレスに赤のターバンをまとっている。当時、奴隷がどのプランテーションに属するか識別するために、プランテーション毎に衣裳の色が決められていたらしい。衣裳デザイナーのポール・タゼウェルはシワもなりやすく消えにくいリネンをあえてハリエットの衣裳に選んだという。なぜならそのほうが、ハリエットの苦痛に満ちた日常を物語るからだ。(※5)
ターバンはアフリカ、インド、中東など世界各地に存在している服飾だったが、アメリカには奴隷にされた女性達によってもたらされた。18世紀末頃には、ルイジアナ州で女性としての魅力を隠すためにターバンの着用が奴隷女性に義務付けられ、ターバンは奴隷女性にとって「抑圧」のシンボルになった。一方、奴隷女性たちはそれに負けずにターバンに装飾を施したり、逃亡費用となる植物の種や金を隠したりして、ターバンは「抑圧」から「自由」を象徴するファッションへと変化したという。(※6)
伝統的な女性のジェンダーロールに抗う「トップハットと軍服」
1849年、ハリエットは脱走し、奴隷制が廃止されていた自由州のフィラデルフィアに辿りつく。せっかく脱走したのにも関わらず、彼女は残りの家族を助け出すためにメリーランドに戻り、家族や仲間の奴隷たちの脱走を手助けするように。そうして、脱走の手腕を買われたハリエットは、逃亡活動組織である“地下鉄道”の車掌として、1860年までに70人以上の奴隷を助けるという偉業を成し遂げたのだ。
シンシア・エリヴォ演じるハリエットが妹を助けに行くシーンで着用しているのは男物の軍服のジャケットとトップハット。映画では、彼女が提案する脱走計画に対して、自由黒人男性が「君には無理だ」と言うシーンが何度か出てくる。加えて、逃亡中には彼女に反抗する黒人男性も現れる。しかし、その度にハリエットは自らの能力を証明し、「女性には不可能」だと思い込んでいる男性たちを驚かす。当時の伝統的なジェンダーロールに正面から挑戦した彼女が、軍服とトップハットという男性の服を装い、男性よりもはるかに活躍する姿は、奴隷制度が廃止された後に、彼女が女性の参政権運動に関わったことも示唆しているようでおもしろい。
ボヘミアンな衣裳から見るマーチ家の謎
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』でマーチ家の女性たちが身につけるカラフルな衣裳も染色工業の発展を物語っている。また、1860年までには多くの家庭にミシンが普及しており、人工のアニリン染料が発明されて色とりどりの生地が流通していた(※7)。
作中、エマ・ワトソン演じる長女メグが、街の生地・縫製店へ訪れ、高価な生地を衝動買いしてしまうシーンがあるが、中産階級の女性たちは生地を店で買い、家でミシンを使って自分たちの服を縫っていた歴史を物語っている。
また、クリスマスの日にマーチ家の四姉妹が教会へ行かずに、貧しい移民の家庭へ自分たちのご馳走を差し入れに向かう場面に見る色鮮やかなファッションはとても自由でどこかヒッピー風だ。ここには、マーチ家がこの時代におけるボヘミアンだったことがほのめかされているのだ。
事実、「若草物語」は原作者のルイザ・メイ・オルコットの家族をモデルにしており、ルイザの父親エイモス・ブロンソン・オルコットは超絶主義者であった。19世紀半ばの哲学的運動だった超絶主義とは、作家や思想家の集まりで、奴隷制の廃止、環境問題、男女同権の活動を行っており、反体制派として自然世界へ敬意を払い、人間的な生き方を身をもって体現していた(※8)。
だからこそ、マーチ家の女性たちは一風変わった自由な格好をしているし、クリスマスの日には教会の礼拝に行かずにボランティアを行う。映画内では、マーチ家の父親が学校経営をしていたときに黒人を生徒に迎えたというエピソードが披露されるが、実際にエイモスは教育者でもあり、平等主義に基づく学校を一時期経営していたらしい(※9)。マーチ叔母さんと違い、マーチ家が貧しかった理由は家族が権威に抵抗する理想主義者だったからである。そんなマーチ家のリベラルな精神が衣裳で表現されているのも、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』が画期的な理由のひとつだろう。
ドレスに見る四姉妹のキャラクターと関係性
本作では四姉妹の生き生きとした個性や姉妹の関係性が衣裳にも表れている。愛する男性と結ばれ幸せな家庭を築くことを夢見ているメグの衣裳は、グリーンとラベンダーを基調とし、お金がないのでジュエリーの代わりに花やブローチ、小さなレースでドレスを飾ったガーリーなスタイル。(※8)
シアーシャ・ローナン演じる次女のジョーは経済的自立のために結婚よりも作家を目指している女性で、ワードローブにはレッドやブルーが多く、レッドはジョーの炎のような性格を映し出している。ジョーが執筆活動をするときに軍服を着る点にも、「女も男のようにお金を稼ぐ」という、世間に対する戦いが象徴されているのではないだろうか。
そして、衣裳デザイナーによると、ティモシー・シャラメ演じるローリーとジョーは劇中、コートを取り替えっこしているのだとか。「ローリーは女の子の名前をもった男の子。ジョーは男の子の名前をもった女の子。カップルではないけれど、彼らは双子のような存在。だから彼らはしょっちゅう同じような格好をしているんです」。(※8)実際にジョーはコルセットを身に着けず、走るシーンではスカートの下にズボンを履いている。このファッションには1850年代に女性解放運動の一環として短期間だけ流行した、スカートの下にズボンを履くトレンドが盛り込まれているように見える(※7)。
さらに、これまでの『若草物語』の映画では、病弱な女の子とだけしか描かれてこなかったベスが、本作では姉妹のなかで一番純粋な芸術家として描かれている。例えば、メグは恋愛やオシャレが好きだったし、ジョーは作家としてお金を稼ぎたかったし、妹のエイミーにも世界一の画家になりたいという野望があった。しかし、ベスだけはピアノを弾くことを純粋に愛した。芸術への愛は優しいモーヴやピンクカラーの衣裳に反映されているし、よく目を凝らしてみれば、衣裳はボタンが欠けていたり、首のカラーをきっちりと締めていなかったりと、芸術に夢中で衣裳には無頓着だったベスの性格が表現されているのだ。(※8)
フローレンス・ピュー演じる末っ子のエイミーも、単なる甘ったれの気取り屋ではなく、世界的な画家になるという野心に燃えた女性として描かれている点も新鮮だ。メリル・ストリープ演じるマーチ伯母さんは、現実的な選択のできるエイミーを気に入り、ヨーロッパへ絵の勉強に連れていくが、エイミーはそこで自分が天才ではないことを悟ってしまう。それでも彼女は冷静に次の目標を見つける。そういったエイミーの賢さや成熟性は、ヨーロッパで彼女がまとうペールブルーやブラックという落ち着いた大人な色のドレスに表れているように思う。
『ハリエット』も『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』も、19世紀のジェンダーロールに抗う女性の成長を描いた、女性をエンパワリングする作品である。これらを観ると、2世紀近く経った今でも人種差別や男女格差が未だに解消されていないことに驚きを禁じえない。衣裳から浮かび上がる、当時から連綿と続くこういった問題にもぜひ想いを馳せてみてほしい。
映画『ハリエット』2020年公開予定
映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』2020年初夏公開予定
【参考】
※1…Out of War, a New Nation - National Archives
※2…集英社新書 「知っておきたいアメリカ意外史」 杉田米行著
※3…1850s-1860sのコレクション - KCI デジタル・アーカイブス
※4…新曜社 「ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性」 上杉忍著
※5…How ‘Harriet’Costume Designer Created Wardrobe for Harriet Tubman - VARIETY
※6…That's A Headwrap: Unravelling The Turban Trendp - AMERICAN EXPRESS essentials
※7…1850-1859 - Fashion History Timeline
※8…Gina McIntyre, Greta Gerwig “Little Women: The Official Movie Companion”
※9…東洋書林 「ルイザ 若草物語を生きたひと」ノーマ・ジョンストン著 谷口由美子訳