間違いなしの神配信映画『ジョン・レグイザモのサルでもわかる中南米の歴史』Netflix
神配信映画
コメディー編 連載第4回(全7回)
ここ最近ネット配信映画に名作が増えてきた。NetflixやAmazonなどのオリジナルを含め、劇場未公開映画でネット視聴できるハズレなしの鉄板映画を紹介する。今回はコメディー編として、全7作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
ヒスパニックのアイデンティティーをユーモラスに語るジョン・レグイザモ先生の独壇場
『ジョン・レグイザモのサルでもわかる中南米の歴史』Netflix
上映時間:90分
監督:アラム・ラパポート
キャスト:ジョン・レグイザモ
現在55歳のジョン・レグイザモは、アメリカで最も忙しい俳優の一人だ。1984年に『ミックスド・ブラッド(原題) / Mixed Blood』で映画デビューして以来、出演作は100本を超え、ドラマシリーズや舞台でも活躍している。
ただし、日本での知名度が微妙かも知れない。というのは、主演級のスターというよりも名脇役のポジションだから。ヒスパニックかラテン系のサブキャラが出てきたらレグイザモが演じている確率はかなり高い。アクは強いのだが、似たポジションの役柄が多いために、うかうかしていると記憶から滑り落ちてしまう。フィルモグラフィーを眺めてみて初めて「ええ? この映画にも出てたの?」と気づくことも少なくない。
見方を変えれば、いかにヒスパニック・ラテン系の役どころがハリウッドで類型化され、タイプキャストされているかという証明でもある。極論を言えば、レグイザモ、マイケル・ペーニャ、ルイス・ガスマンの三人さえいれば、ハリウッド映画のヒスパニック・ラテン系脇役のニーズは、ほぼまかなえてしまうのではないだろうか。
しかしながらヒスパニックは、アメリカの人種別人口分布では白人に次いで数が多いのである。アメリカ国勢調査局の2020年の統計では18.3%。つまり約5人に1人はヒスパニック系で、総数ですでに黒人を抜いている。多少矛盾した言い方になるが、マイノリティーの中ではマジョリティーなのだ。にも関わらず、アメリカのマイノリティーの代表が黒人であることは、アカデミー賞の度に黒人系のノミネート数の少なさが批判されることにも現れている。
では、なぜヒスパニックには数の論理が適用されず、十把一絡げにされて軽視されているのか? だいたいヒスパニック自身でさえも、ヒスパニックであることを軽視してはいないか? そんな疑念を抱いたジョン・レグイザモが、「こうなったらオレが歴史をひも解いて、ヒスパニックのアイデンティティーを教えてやる!」と立ち上がり、自作自演の一人芝居「Latin History for Morons」を上演したのが2017年。オフ・ブロードウェイの劇場で初演され、同じ年にブロードウェイにも進出してトニー賞にもノミネート。全米の都市をめぐるツアー公演も行われた。その内のブロードウェイ公演の模様を収録したのが本作だ。
一人芝居なので、舞台に立つのはレグイザモひとり。雑多な研究室のような舞台の上には黒板が置かれ、いかにも学校の先生風なジャケットとネクタイ姿で現れる。そして満場の客席に向かって、中学生の息子のエピソードを語り始める。「息子が学校でビーナー(ヒスパニック系の蔑称)と言われてイジメられた」と。そこで息子のために、ヒスパニック系がいかに誇るべき民族であるかを語ろうとするのである。
と、ここまでの説明だと、完全に社会派の印象で、笑いの要素など一切感じられていないかも知れない。しかし、そもそもレグイザモは、名門ニューヨーク大学で演技を学んでいたのに、スタンダップコメディーのキャリアのために中退した真性のコメディアン。舞台の上こそレグイザモの独壇場。ひとりで何役も演じ分けながら、アステカ文明やインカ帝国滅亡の黒歴史を「サルでもわかる」パロディーコントに変換し、毒気たっぷりに新大陸発見の立役者コロンブスをののしり倒し、しばしば下ネタに走っては脱線し、やおらパンイチ姿になり、矢継ぎ早にラテンダンスを披露する……。一度始まったら90分間ノンストップ、まさにやりたい放題のワンマンショーなのだ。
注ぎ込まれた膨大な熱量。盛りだくさんな情報量とサービス精神。政治的なアジテーション(扇動)を共感度の高い家族のドラマに昇華させるエンタメ力。脇役ではなくセンターに立った時のレグイザモの豪腕に、圧倒されずにはいられない。歴史上の著名人からポップカルチャーへの言及まで、ショーの中に出てくるすべての固有名詞や背景を理解するのは至難の業だが、ユーモアを忘れずにアイデンティティー探しの先を見極めようとするレグイザモの視点と覚悟は、人種問題を超越した普遍性を獲得していると感じた。(村山章)