ディザスタームービーの金字塔『日本沈没』とアニメ「日本沈没2020」を徹底比較【ネタバレあり】
13年ぶりに復活した篠原涼子主演のドラマ「ハケンの品格」。スーパーハケン大前春子の手元には1973年に刊行された小松左京の小説「日本沈没」がありました。現在の不透明な日本社会と重ねたのか、春子はこの本を片手に「このままでは、日本は沈没する」と警告します。
突飛な発言のようですが、小説「日本沈没」の刊行時期は、日本の高度経済成長期が終わり、社会不安が広がっていた時に重なります。「日本沈没」はそんな不安の具現化の物語としての側面があり、春子の引用もあながち、見当違いなものとはいえないのです。
そして、『きみと、波にのれたら』「DEVILMAN crybaby」の湯浅政明監督によるNetflixオリジナルアニメシリーズ「日本沈没2020」が配信中。そこで、2つの実写映画版『日本沈没』と「日本沈没2020」との内容や背景などを比較していきたいと思います。ちなみに結末に関しては「日本沈没2020」のネタバレになるために最小限にとどめます。(村松健太郎)
※以下『日本沈没』および「日本沈没2020」についてネタバレを含むことをご了承ください。
『日本沈没』(1973)
監督:森谷司郎
脚本:橋本忍
出演者:藤岡弘(現・藤岡弘、)、いしだあゆみ、小林桂樹、丹波哲郎ほか
『日本沈没』(2006)
監督:樋口真嗣
脚本:加藤正人
出演者:草なぎ剛、柴咲コウ、豊川悦司、大地真央ほか
「日本沈没2020」(全10話)
監督:湯浅政明
脚本:吉高寿男
声の出演:上田麗奈、村中知、佐々木優子、てらそままさきほか
作品の成り立ち~その背景
成り立ちについては基本的には映像作品についてのみ触れていくことになりますが、作品が作られた背景についてはやはり原作のことを抜きにして語ることはできないため、ここに関しては原作小説の成り立ちについても言及します。原作「日本沈没」が刊行された1973年は1970年の日本万国博覧会を頂点にした高度経済成長が生んだひずみ、影の部分(公害など)があらわになった時期であり、そこに対しての警告を多分に含んだ作品でした。
そんな「日本沈没」は2つの映画と1つのテレビドラマ、そして新たに1つのアニメ作品として映像化されてきました。最初の映画は1973年の年末(翌1974年のお正月映画)に公開されています。元々、小説刊行の際に同時進行で映画化とテレビドラ化が決定していて、小説の勢いをそのままに映画は公開されました。おりしも当時は邦画洋画共にパニック映画・ディザスター映画ブームの真っただ中ということもあって、結果1974年の邦画ナンバーワンの配給収入を記録しました。これにより製作した東宝は非怪獣特撮モノを手掛けるようになります。また1974年には映画から一部キャストが続投する形でテレビドラマも放映されました。
それから約30年が経った2006年に『日本沈没』が再び映画化されます。阪神・淡路大震災という大都市直下型の地震を体験した後に作られた同作は、多くの人が見た崩壊する都市とそれに巻き込まれる庶民の姿を改めて描き直しています。映画の作りの面で見れば1973年版と2006年版の最大の違いはCGの採用でしょう。前者ではミニチュアワークを中心にした合成とスタントを使った昭和特撮だったのに対して2006年版はCGを大きく取り入れました。
2006年版の監督は“平成ガメラ3部作”の特技監督として注目を集めた樋口真嗣。樋口監督はこの『日本沈没』から10年後、東日本大震災の経験を踏まえてあの『シン・ゴジラ』(2016)を監督(総監督は庵野秀明)しています。
「日本沈没」の最新映像化作品となるアニメ「日本沈没2020」は、やはりというべきか東日本大震災の経験・影響が色濃くあります。この「日本沈没2020」では描くべき大規模災害を、東日本大震災を経験した日本人が共通してイメージできるものにアップデートしているといえるでしょう。また、これまでの映画化のように原作小説のストレートな映像化にこだわらず、独自の解釈と新たな視点を持ち込んでいること、そして全10話のシリーズということも、物語を深掘りさせるために大きな武器となっています。これまでミニチュア特撮、CGといった方法で“日本の沈没”が描かれてきましたが、「日本沈没2020」はアニメーションという手法を取ることで、新たな“日本の沈没”を創り上げました。
ちなみに、1999年に『日本沈没1999』というタイトルの映画の企画もありました。大森一樹監督他、スタッフ・キャストも大筋で決まり、脚本やポスターも練られていましたが、導入予定だったCG技術の未熟さなどもあり、中断されました。
発生~沈没の始まり
・無人島が沈む(1973年版)
1つの無人島が沈むという事象が起き、地球科学博士の田所(小林桂樹)が調査に乗り出します。潜水艇のパイロット小野寺(藤岡弘、)と共に調査を進める田所は日本近海の海底に異常事態が起きていることを感じます。
1973年版の映画『日本沈没』は、そのタイトルとは裏腹に実は沈没パートは少なめで、山本総理(丹波哲郎)肝入りの地殻変動に対する専門調査計画「D計画(D1計画)」の調査と推察の様子が多く描かれます。これには映画自体が突貫工事で作られ、特撮パートなどをふんだんに盛り込めなかったという裏事情もあります。
田所はこの中心メンバーに加わると同時に小野寺もスカウトし調査を進め、地球の核が急速に拡大、これに合わせてマントルの活動が活発化し、日本列島の大部分が沈んでしまうという予測を立てます。この予測をした直後、関東で大規模な地震が発生するのですが、ここでは原作の成り立ちに従って関東大震災について言及されるシーンがあります。
・日本各地で大規模な地震が発生(2006年版)
日本各地で大規模な地震が起き、アメリカを中心とした研究チームがこれから50年以内にほぼ確実に日本列島は沈没するという研究結果を発表します。この調査がすでに大きく進み、遠くない未来に日本が沈没するということが明らかになっているところから物語が始まるというのが2006年版の特徴の1つです。1973年版では事態の把握と、そこから予測される日本の沈没という事象にたどり着くまでに多くの時間が割かれていましたが、2006年版はこの部分が少なくなっています。
地球科学博士の田所(豊川悦司)はこのアメリカの研究チームの予想を知った上で深海調査艇“わだつみ”のパイロット小野寺(草なぎ剛)と結城(及川光博)の協力を得て日本海溝を調査。日本の沈没は1年以内に起きるというさらに深刻な予想を立てます。この1年以内という事実にたどり着くのも作品前半です。沈没発覚が全体の早い時期に描かれる一方で、並行して小野寺とハイパーレスキュー隊員に設定変更されたヒロイン玲子との交流のシーンなどが多く描かれます。
・東京で大地震発生(日本沈没2020)
全国で地震が続く中、東京でも大地震が発生、巻き込まれた女子中学生の武藤歩は被災した陸上競技場から自宅に向かい、バラバラだった家族と何とか合流します。そんな中YouTuberのカイトが沖縄が沈んだという動画をアップし、被災者たちの間に衝撃が走ります。
あくまでも被災者の目線で日本の沈没を描くというのが「日本沈没2020」の大きな特徴で、田所博士や小野寺の調査パートはもちろん、山本総理以下日本政府による日本国民脱出計画を練るパートも描かれません。調査や予測などがなく、唐突に大災害が一般市民を襲う。この描かれ方は、実は、われわれ一般市民がもっともふつうに災害に接する形です。
歩たち武藤一家の目線は「日本沈没2020」を観ている(そして、大災害に遭遇する可能性のある)われわれの目線と重なるもので、2つの実写映画版にはなかったものでした。
主人公~物語の目線
・さまざまな立場の人々の群像劇(1973年版)
1973年版は一種の群像劇になっています。地球科学博士の田所博士(小林桂樹)は前半から中盤まで物語を牽引しますが、マスコミでのスタンドプレイが原因で一線から退場します。潜水艇“わだつみ”のパイロットの小野寺(藤岡弘、)も出ずっぱりですが、どちらかというと事態に向かう一員の一人です。玲子とのラブストーリーパートもサイドストーリーです。
中盤以降、総理の山本(丹波哲郎)と、政界のフィクサー渡老人(島田正吾)の存在も大きくなっています。田所博士は途中で去りますがD1の研究チーム(二谷英明ほか)の存在も物語の中では大きな存在になっています。
・パイロットの小野寺と玲子の存在感(2006年版)
2006年版の主人公は深海潜水艇のパイロットの小野寺(草なぎ剛)と原作の令嬢の設定からハイパーレスキュー隊員へと設定変更された阿部玲子(柴咲コウ)。沈没の前兆とされる駿河湾の大地震に遭遇した小野寺を救助した縁で親しくなっていきます。この二人に原作より若く設定された田所博士(豊川悦司)、その元妻の鷹森大臣(大地真央)が絡んでいきます。1973年版と比べると小野寺の役回りも大きくなっています。
また、小野寺と玲子が助けた孤児の少女や、彼女を迎え入れた下町の人々の目線が盛り込まれます。この避難民の描写は『シン・ゴジラ』にも継承されています。
・武藤家と長女・歩を中心に展開(日本沈没2020)
「日本沈没2020」の主人公は田所博士でもなければ小野寺もなく、未曾有の大災害に被災した一家・武藤家とその長女の歩。女子中学生の歩は将来有望な陸上選手で、弟の剛はゲームに夢中な小学生、これに頼りになる母のマリやサバイバル技術に秀でている父の航一郎、独自の目線で真実を追い続けYouTuberのカイトなどが登場します。
また回を進めていくと、意外な人物が意外な形で登場するお楽しみもあります。
被害拡大~沈没時の展開
・情報統制を図るがパニックに(1973年版)
関東で起きた地震は甚大な被害を与えます。この地震のパートは特に人が巻き込まれるという部分では、映画の中でも大きなウェイトを占めています。山本総理(丹波哲郎)はあらゆる手段で対応に回りますが、想定を超える被害規模に打つ手が限られます。調査を主にするD1計画から国民の避難・海外移住を目指すD2計画が新たに動き出します。
ここで田所博士(小林桂樹)は意図的にマスコミの前に出て日本が沈没することを公言します。物語の前半を牽引した田所はこのスタンドプレイで映画本筋から姿を消し、その後、終盤まで姿を見せません。2006年版の豊川悦司演じる田所が終始出続けていることとは対照的です。
政府は日本沈没について情報統制を図りますが、アメリカの測地学会の学者がこのことを発表、パニックが拡がります。この時のマスコミの描写ですが、ネットなどがなかった時代ということもあって、新聞などの紙媒体の存在が大きくなります。「日本沈没2020」でYouTuberが登場したのとは対照的ですね。
総理は予定を早めて事態を発表、その直後に富士山が火を噴きます。ここで、やっと一般市民に“日本が沈没する”という事実が伝えられます。庶民目線の展開が少ないのも1973年版の特徴といえるでしょう。
・日本が沈む中、国民の切り捨て(2006年版)
田所博士(豊川悦司)は国内外で調査を進め、総理の山本(石坂浩二)、元妻の鷹森危機管理担当大臣(大地真央)を前にあと一年もしないうちに、日本が沈んでいくという予想を展開します。鷹森大臣が女性になり、田所と元夫婦だったという設定は2006年版のオリジナルです。ヒロインの玲子がより活動的なハイパーレスキュー隊員へ変更されたのと同様に女性の社会進出が進んだ時代背景を反映させたものといえるでしょう。
全国各地で大規模な地震と噴火、津波(この津波のシーンは東日本大震災を経験した後のわれわれにとって恐怖そのものです)が発生します。北海道、四国、九州が沈み始め、パニックが拡がります。このパニック描写は後の『シン・ゴジラ』に通じる部分があります。
日本政府は緊急対策“D1計画”を進め一人で多くの人を国外に脱出させようとしますが、九州の噴火に巻き込まれて総理大臣が行方不明になるなど苦難が続きます。山本総理のあっけない退場、その後の政府内での“国民の切り捨て派”と鷹森との対立パートも1973年版にはなかった部分です。
・噴火や大津波が襲う中、迫られる決断(日本沈没2020)
地震が日本各地に広がる中、歩の前にYouTuberのカイトが現れ、行動を共にします。さらに立ち寄ったコミュニティーで意外な人物と出会います。この意外な人物の登場には正直驚かされました。と同時に「日本沈没2020」もまた小説「日本沈没」を基にした作品であることに気づかされます。
避難船が港に立ち寄ると、そこでは日本を脱出する者の抽選が行われていました。歩が将来有望な若者として別枠で脱出できると知りますが、家族と離れ離れになることに躊躇してしまいます。そんな時、富士山が噴火、大津波が避難民を襲います。やはりというべきか日本が沈没するほどの出来事を描く場合には必ず富士山が火を噴きます。2つの映画、そして「日本沈没2020」はそれぞれ大きな違いがありますが、やはり日本の象徴である“富士山”の噴火は共通して描かれます。
少ない情報網の中から田所博士とその右腕の小野寺が立てたメガリス(地殻の破片)の崩壊と富士山の噴火による地価の空洞化で日本が一気に沈むという予測を知ります。「日本沈没2020」はシリーズ後半になるまでこのメカニズムが語られずに進みます。実際に未曽有の大災害に巻き込まれたときの情報の伝達はこの位、タイムラグがあるのかもしれませんね。
収束・終息~沈没を経て
・総理、博士、小野寺、玲子それぞれが向かう先(1973年版)
D2計画が進まぬ中、総理の山本は自らが世界各国へ移住受け入れを求めて回ることを決心します。そこに沈没の予測がさらに早まる可能性が示唆されます。2006年版では早々に退場する山本総理ですが、1973年版では常に政府の陣頭指揮を執る存在として物語に出ずっぱりです。これは演じる丹波哲郎が『007は二度死ぬ』(1987)や『砂の器』(1974)などの大作に重要な役で出演するなど映画スターとして黄金期を迎えていたことや、小林桂樹演じる田所博士の退場もあるかと思います。
D1のチームは残りの時間を2週間弱と算出、そしてフォッサマグナの変動が始まり日本はついに沈没してしまいます。山本は渡老人(島田正吾)の家で田所と再会します。政界のフィクサー渡老人と田所が日本と運命を共にすると決める一方で、山本総理は日本を脱出します。科学者である田所が最後は感情や運命を優先する選択をするのは少し意外な展開ですね。小野寺(藤岡弘、)と玲子(いしだあゆみ)もまた、それぞれ負傷しながらも別々の場所へと脱出していきます。
・小野寺、鷹森大臣の決意(2006年版)
日本人を一人でも多く救う方法を鷹森(大地真央)から尋ねられた田所博士(豊川悦司)は、プレートの亀裂に掘削船を使いN2爆弾を設置して、プレートを切断するというアイデアを提起します。N2爆弾というはあくまでも架空の存在ですが、直前に放映されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズ内にも登場しています。2006年版の樋口真嗣監督と「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督といえば盟友関係ともいえる二人で、『シン・ゴジラ』の監督と総監督でもあります。ネーミングなどはおそらく「エヴァンゲリオン」からの引用ではないでしょうか?
一方、小野寺(草なぎ剛)はイギリスへの渡航を決め玲子(柴咲コウ)を誘いますが、玲子はレスキューの仕事に殉じることを決めます。また小野寺のパートナー結城(及川光博)は田所の考えに協力するために日本に残ることに。田所の作戦が開始、しかし予期せぬ海底変動で結城は帰らぬ人となります。結城の死を知った小野寺は玲子に別れを告げて、旧式の潜航艇でN2爆弾のセットに向かいます。旧式ゆえに帰る可能性がゼロという状態で小野寺は深海に進み、爆薬をセット、プレートの切断に成功し、日本の沈没を止めることに成功します。
1973年版では生き残った小野寺はここで退場、日本を救うために犠牲になります。一方でプレートの切断が成功したことで日本の沈没がギリギリのところで防がれます。2006年版『日本沈没』はなんと、日本が沈没しないのです。
最後を締めるのは鷹森。臨時政府が置かれている海上自衛隊の艦上で政府を代表して日本の再建を誓って物語は終わります。日本が沈没したために総理ですら、海外ヘ脱出する1973年版に対して、2006年版は臨時政府の事実上の代表となった鷹森が残った国土を基にした日本再建を誓うという全く正反対の決着を迎えます。
・犠牲の先の希望(日本沈没2020)
多くの犠牲を払いながら歩たちは一度沈んだ日本が再び隆起する場所があることを知ります。ここから先は、ネタバレになってしまうので控えますが、大きな犠牲の先に希望を感じさせる未来の形を見ることができます。
改めて振り返る~3作品それぞれの特徴
・時代を感じさせる描写と丁寧な解説(1973年版)
見直してみると、やはり大規模な地震・火山の噴火・津波などへの意識や危機感がまだイメージしきれていなかった時代だなと感じる部分があります。とはいえ、高速道路の崩壊や地震に伴って起きる火災などの被害は阪神・淡路大震災のそれと非常に似通っている部分があります。またこの1973年版は『Tidal Wave』(大津波)のタイトルでアメリカでも公開されましたが、そのタイトル通り津波シーンも盛り込まれています。日本の地震には津波がつきものという発想は今も昔も同じようです。
科学の発達という点では今と昔では大きく違うので、災害に対する制度や準備、意識の持ち方などがまだ整っていないところもあります。総理(丹波哲郎)が田所博士(小林桂樹)たちと接点を持ったのもある種の第六感のようなところがあります。
一方で、1973年当時では観客側にも知識や情報が今現在のように備わっていないことを念頭に置いて、総理へのレクチャーという形式をとって、とても丁寧に地球の構造や日本沈没のメカニズムについて語る部分があります。非常にタイトなスケジュールで撮影されたこともあって、意外にもディザスターシーンは控えめで、特に人間が絡む部分は映画のタイトルから想像するほど多くありません。
・女性の活躍と厚めの災害対策の描写(2006年版)
2006年版の大きな特徴は2点。1つは女性の活躍を描いているところ。ヒロイン玲子(柴咲コウ)は1973年版の令嬢からハイパーレスキュー隊のメンバーに変更となり、アクションシーンでいえば小野寺(草なぎ剛)より目立っているほどです。そして、中盤で退場する山本総理(石坂浩二)の後を受けて頼りない男性政治家を追いやって危機管理に動き続ける鷹森大臣(大地真央)。最後の演説も鷹森大臣によるものです。
もう1点が、映画冒頭で、日本沈没の可能性を早々に示唆していることもあって、防災と災害対策の描写が厚めになっているのも特徴といえるでしょう。阪神・淡路大震災の教訓から都市型災害への備え方や実際に災害が起きたときの行動が政府レベルから、庶民レベルまでアップデートされています。それでも、津波への備え方などは東日本大震災を経験していなかったこともあってか、安易に海辺に人を集め過ぎな気もしました。
また冒頭で研究班が日本の沈没の可能性を示唆したことで、1973年版では全編を使って描かれた田所博士たちの調査パートが少なくなっています。そして、いちばん大事なことですが“日本の沈没”が防がれるということでしょう。ちなみに映画冒頭タイトルから富士山バックの新幹線が流れるシーンは1973年版へのオマージュですね。オマージュといえば1973年版で山本総理を演じた丹波哲郎が柴咲コウ演じる玲子の祖父として写真で登場しています。
・普通の家族の視点によるドラマ(日本沈没2020)
2作品との最大の違いはやはり、主人公が違うということでしょう。「日本沈没2020」は未曽有の大災害に巻き込まれた一家とその長女の物語となっていて、政府関係者、研究者たちは間接的にしか登場しません。過去の映像化でのメインキャラクターに関しては、詳しくはネタバレになりますので、いえませんが、ちょっと意外な出方をしています。災害の描写はやはり東日本大震災を経験した後だからこそ描ける描写といえるでしょう。また、アニメーションならではのスペクタクルな描写やダイナミックな視点の取り入れ方は今までにない“日本沈没”です。これは誉め言葉ですが、「DEVILMAN crybaby」でも垣間見えた湯浅監督のある意味容赦のない描写は実写で描いた場合はとても観ていられないものもあります。
また2時間前後の映画という枠から全10話のアニメーションシリーズにスタイルが変わったことで、より一層人間ドラマの描写が豊かになりドラマ性が増しています。「日本沈没2020」はアニメーションで“日本沈没”を描くということの意味を最大限に生かした例といえるでしょう。
1973年版、2006年版では日本が沈没することに対して「何もしないほうがいい」という意見が出たという話が出てきますが、それに対して何としてでも生き残ろうとする武藤一家の姿は対照的です。また、スマホやYouTubeなどが重要なアイテムとなっているのもの2020年ならではでしょう。
最後に
日本が沈むという物語は日本が地震大国である限り、ある意味時代を選ばない普遍性と不変性を持っています。もちろん2つの映画『日本沈没』やアニメ「日本沈没2020」のように社会のありようや、生活必需品などで時代時代に合わせた描写は必要ですが、根幹にある普遍性と不変性は揺るぎのないもので、だからこそアップデートやアレンジも可能なのでしょう。
災害とウイルス渦の違いこそありますが、今現在、日本は非常事態の中にあります、そんなかで人はどうすべきなのか? 「日本沈没2020」から得られるものは少なくありません。