間違いなしの神配信映画『ディック・ジョンソンの死』Netflix
神配信映画
今観たいドキュメンタリー6選
配信映画は、いまやオスカーほか賞レースの常連にもなっており世界中から注目されている。この記事では数多くの配信映画から、質の良いおススメ作品を独自の視点でセレクト。今回は“社会の今”を映したドキュメンタリー6選として、全6作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
認知症の父親に“本人役”を演じさせて、映画を撮る父娘の絆
『ディック・ジョンソンの死』Netflix
上映時間:90分
監督:キルステン・ジョンソン
出演:ディック・ジョンソン、キルステン・ジョンソンほか
娘が実の父親に不慮の事故で死ぬ本人役を演じさせるとは、なんと不謹慎な。だが、高齢の父親は娘に演出されて喜々として自らの死を演じ続ける。予期せぬ事態を敢えて作って笑い飛ばす、親子ともども厄除けする感覚なのか。胸をかきむしられるように切なくて、同時に思わず吹き出してしまうほどユーモラス。生きることそのものを、虚構も交えて映像化した異色のドキュメンタリーだ。
ディック(リチャード)・ジョンソンは、本作のキルステン・ジョンソン監督の父親だ。キルステンは第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014)などを手がけた撮影監督で、『カメラパーソン(原題)/ Cameraperson』(2016)など長編ドキュメンタリーを監督、ニューヨーク大学で教鞭も取っている。
シアトルの精神科医だった父親は80代半ばで認知症の症状が現れ、クリニックを畳んでニューヨークの娘のもとに身を寄せる。作中に説明はないが、キルステンはあるゲイのカップルと3人で双子を育てている。映画監督のアイラ・サックスとパートナー、サックスと卵子提供者の体外受精で双子を出産したキルステンはアパートの隣同士に暮らし、子どもたちは両家を行き来している。
ジョンソン家は、ダンスや映画も好ましくないとするほど厳格な宗派のキリスト教信者だったが、リチャードに娘家族への反発は微塵もないようだ。幼い孫たちや娘と過ごす日常の記録と、大がかりな演出で死や天国の場面を描くフィクションが交錯する。
父娘は本当に仲がいい。会話の端々から、父にとっては妻、娘にとっては母だった大切な女性がアルツハイマー型認知症で苦しむのを見守り続けた戦友だったことがわかる。キルステンの母は2007年に亡くなっている。
この先に待ち受ける未来が想像できるからこそ、2人は今できる限りのことを相手のためにしようとする。それがフィクション・パートに表れている。娘は父親のために素敵なものであふれた天国のセットを作り上げ、そこに身を置いた父親は楽しげに“ディック・ジョンソン”を演じる。文字通りに仮面を脱ぎ捨てて素に戻る一瞬もあり、虚実が一体になる光景は不思議な美しさに満ちている。
原題『Dick Johnson Is Dead』に、デヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』(1997)冒頭のせりふ「ディック・ロラントは死んだ」を思い出した。キルステンは就寝中に見た夢から本作の着想を得たという。棺の中から男が起き上がり「わたしはディック・ジョンソンだ。まだ死んでいない」としゃべるというのは、かなりリンチ風味。フィクションの演出にもところどころ、リンチ的な悪夢めいたユーモアが感じられる。
一方で、日常をとらえるドキュメンタリー部分はエモーショナルだ。対話していて父親が涙ぐむと、娘はカメラを床に置いてハグしながら一緒に泣く。そのまま笑い合い、また泣く。弱くて、甘い。同時にとてつもなくパワフルな場面だ。むき出しの感情の発露に、見ていてなぜか救われる。
精神科医だったリチャードは聞き上手で、笑顔を絶やさない。相手を緊張させずに会話を進める術に長けているだけに、症状の進行が気づかれにくかったのかと思えて切ない。
彼は本当によく笑う。その笑顔一つ一つに異なる感情が乗っている。好物を食べるとき、思い出を懐かしむとき、衰えていく不安に自嘲(じちょう)が混ざるとき。言葉にならなくても豊かな感情がそこにある。彼らが恐れているのは、認知症によって肉体よりも先に心が消えてしまうことだ。まだ生きている今、その恐怖と対決するために、懸命に明るいことを探して笑う。
認知症は人の記憶がいかに脆く不確かであるかを示すものでもある。個人的に今までは「いちいち写真や動画に撮らなくても」と思っていたが、記憶というものを過信していたのかもしれない。記憶や認知がおぼつかなくなった人が「もう覚えていないし、よくわからないけど、なんだか楽しいね」と感じるなら、彼らを愛する者にとってそれに勝るものはない。
そして、もうこの世にいない人が生きてそこにいるのが映像だ。無意識のうちに書き換えてしまう記憶とは別の、変わらない記録。全てではなくても、その人のかけらが確実にある。
娘のために、父親は裸足の爪先から無防備な居眠り姿までカメラの前にさらす。娘はそれを全て撮ってみせる。互いに相手を信頼し、全部愛しているからだ。そして、映し出されなかった部分を想像し、この親子の愛情深さを改めて感じる。何もかもただ撮って出すのではなく、ディック(リチャード)・ジョンソンの本質を見せて、何度も生き返らせ続ける。
今年のアカデミー賞作品賞候補作『ファーザー』も、認知症の老父と娘の物語だ。アンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマンという名優2人の真に迫る演技は素晴らしい。そして彼らが演じる“真”の現実の姿が、ジョンソン親子だ。社会の高齢化が進み、似た境遇の家族は増えている。相手はどんな気持ちなのか、どう接するか? この状況にどう向き合うか? 多くのヒントが得られるはずだ。(文・冨永由紀、編集協力・今祥枝)