才女の名をほしいままにするジョディ・フォスター
あの人は今
天才子役として人気を集め、20代でアカデミー賞を2度も受賞したジョディ・フォスターも、現在58歳。彼女が今でもまったく変わらないカッコよさなのは、いったいなぜ? その理由を知るために、彼女の歩んできた道を振り返ってみましょう。(文・平沢薫)
3歳で業界入り!すぐに売れっ子に
ジョディ・フォスターは1962年11月19日、ロサンゼルス生まれ。ジョディの両親は彼女が生まれる前に離婚し、ジョディと姉2人、兄1人は、母親に育てられました。ジョディといえば天才子役のイメージがありますが、彼女が演技の仕事を始めたのはかなり早く、初仕事の日焼け止めのコパトーンのCM出演は、3歳の時。というのも、母と子供4人の一家の生活費を稼ぐため、2歳年上の兄バディ・フォスターはすでに子役として活動中で、兄と一緒に行動していたジョディにも、仕事が入るようになったのでした。
そして、ジョディは1969年に7歳でテレビに初出演してからはすぐに人気俳優に。初出演から、彼女の初期代表作となった1976年の『タクシードライバー』までの約7年間に出演したテレビと映画の数は、なんと35本(IMDb調べ)という売れっ子ぶり。その頃の出演作は『ジョディ・フォスターのライオン物語』などディズニー作品が多数。ジョディがディズニー俳優だったというのは、その後の彼女のイメージからは、ちょっと意外な気もします。
『タクシードライバー』で演技に目覚める
そんな人気子役ジョディに転機がやってきたのは、13歳で出演した『タクシードライバー』。その役柄は12歳の娼婦というショッキングなものでしたが、監督のマーティン・スコセッシは、彼の前作『アリスの恋』(1974)に出演したジョディの確かな演技力を見て、彼女を抜てきしたのでした。
そして、この映画はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。この映画祭の会見で、ジョディが流暢なフランス語を話したのも注目を集めました。本作は劇場でも大ヒットして、アカデミー賞の作品賞、ロバート・デ・ニーロの主演男優賞、ジョディの助演女優賞、そしてバーナード・ハーマンの作曲賞の4部門にノミネートされました。
でもジョディにとってこの映画が転機となったのは、映画のヒットや高い評価のせいではありませんでした。彼女は1991年のニューヨーク・タイムズ紙の取材でこの映画を振り返り「自分とは違う人物を演じるということを求められたのは、この映画が初めてでした。演技というものは、趣味のようなものではなく、一つの技術なのだということを知りました」と語っています。こうして演技に目覚めたジョディは、『ダウンタウン物語』(1976)、『白い家の少女』(1976)、『フォクシー・レディ』(1980)などに出演していきます。
映画業界と一線を引く時期
ジョディは俳優業だけに没頭したわけではありません。すでに人気俳優の地位にありながら、大学への進学を決意しました。ジョディは当時、有名映画評論家ロバート・エバートによるインタビューで「アイビーリーグの大学は何校も見たけど、ハーバードは礼儀正しすぎるし、プリンストンはきれいすぎる」とイエール大学志望を公言。見事その言葉通り、1980年に名門のイエール大学に入学し、しばらくは学業に専念。アメリカの作家トニ・モリスンについての卒業論文を書いて、優秀な成績で卒業します。
ですが、ジョディがしばらく俳優業から距離を置いたのには、もうひとつ、別の理由があったかもしれません。彼女が大学生活を始めたばかりの1981年、ジョディの熱狂的なファンで彼女にストーカー行為をしていた人物、ジョン・ヒンクリーJr.が、『タクシードライバー』の主人公が大統領暗殺を企てたことを真似て、当時の大統領ロナルド・レーガンを銃撃するという事件を起こしたのです。この事件で大統領や側近が負傷し、ヒンクリーJr.は現場で逮捕されましたが、精神状態を理由に無罪になりました。彼女はこの事件後しばらくの間、映画から遠ざかっていました。
俳優業に復帰しオスカー2度受賞の名女優に
しかし、この事件がジョディの演技への情熱を消してしまうことはありませんでした。彼女が大きく飛躍するのは、むしろこの事件の後。この充電期間を経て、ジョディは子役から大人の女優に成長していたのです。本格的に映画に復帰したのは、トニー・リチャードソン監督作『ホテル・ニューハンプシャー』(1984)で、この映画ではナスターシャ・キンスキー、ロブ・ロウらと共演。1985年に大学を卒業し、『シエスタ』(1987)、『君がいた夏』(1988)など次々に出演。そして、『告発の行方』(1988)でレイプ被害者を演じ、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞で主演女優賞を受賞しました。この時、ジョディはまだ26歳でした。
その後も女優ジョディの快進撃は続き、デニス・ホッパー監督&共演の『ハートに火をつけて』(1989)を経て出演したのが、彼女の代表作となった『羊たちの沈黙』(1991)。知性も教養も高いシリアルキラーのレクター博士をアンソニー・ホプキンスが演じた本作で、ジョディはレクター博士に捜査の協力を求めるFBI捜査官クラリスを熱演。本作は大ヒットし、アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚色賞を受賞する快挙を遂げ、ジョディに3年ぶり2度目の主演女優賞をもたらします。これでジョディは押しも押される名女優となりました。
同時期にジョディが挑戦したのは映画監督業。初監督作『リトルマン・テイト』(1991)は、7歳の天才児を描く物語。天才子役と呼ばれた彼女の経験を連想させる、感動的なドラマを描き出しました。今でこそ、女性監督は珍しくなくなりましたが、当時はまだ少なく、大作映画の監督では後にオスカー監督となる『ハートブルー』(1991)のキャスリン・ビグロー、『ディープ・インパクト』(1998)のミミ・レダーがいたくらい。女性監督でしかも女優という立場は画期的な存在でした。
その後のジョディは、俳優業と監督業を両立。1992年には自身の映画製作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクションを設立。出演作『ネル』(1994)や監督第2作&製作も担当した『ホーム・フォー・ザ・ホリディ』(1995)などを手掛けました。
俳優業も順調で、『ウディ・アレンの影と霧』(1992)、リチャード・ギア共演の『ジャック・サマースビー』(1993)、メル・ギブソン共演の『マーヴェリック』(1994)、ロバート・ゼメキス監督の『コンタクト』(1997)、チョウ・ユンファ共演の『アンナと王様』(1999)、デヴィッド・フィンチャー監督の『パニック・ルーム』(2002)と出演作が順調に続きます。
出産、カミングアウト、結婚、プライベートの充実
この頃、ジョディは一つの大きな決断をしました。それは、映画だけでなく、日常を大切にすることでした。ジョディは2001年に自身の製作プロダクションをたたみますが、それは息子たちと一緒に過ごす時間を作るため。ジョディは、1998年に36歳で長男チャールズを出産、2001年に次男キットを産みました。ちなみに、2人の父親が誰かは現在も公表されていません。
そして、パートナーとの生活も大事にします。ジョディは息子たちの出産当時、『ジャック・サマースビー』の撮影現場で出会った、女性プロダクション・マネージャーのシドニー・バーナードと交際していました。この頃はまだカミングアウトはしていませんでしたが、2007年の第16回ウーマン・イン・エンタテインメント・パワー100でシェリー・ランシング・リーダーシップ賞を受賞したときのスピーチで「いつもそばにいてくれる私の美しいシドニーに感謝します」という発言が、カミングアウトだと報じられました。そして、より具体的にカミングアウトしたのが2013年、第70回ゴールデン・グローブ賞でのセシル・B・デミル賞受賞のスピーチで「実は1,000年も前の石器時代からカミングアウトしています。私が傷つきやすい少女だった頃から、友人や家族、仕事仲間には明かしていました」と公表したのです。
シドニーとは約14年間の交際を経て2008年に破局。その後、ジョディは2013年に写真家アレクサンドラ・ヘディソンと出会い、2014年4月に彼女と同性婚をしました。これはジョディにとって初めての結婚で、ジョディは51歳、アレクサンドラは44歳でした。
カミングアウトする以前、ロブ・ロウやジュリアン・サンズなど、共演者とのデートが噂になりましたが長くは続きませんでした。そして、恋ではなく強い友情で結ばれているのがメル・ギブソン。2人は『マーヴェリック』(1994)で共演して以来の親友。メルは2006年にはスピード違反と飲酒運転で逮捕されますが、ジョディは彼を彼女の監督作『それでも、愛してる』(2009)の主役に抜てきしました。その後、再びメルがDV報道などでマスコミからバッシングされた際には、2013年のゴールデン・グローブ賞に仲良く同席して彼を擁護する姿勢をアピールしました。さらに、2021年2月のMercury Newsインタビューでも「もちろん、彼には問題があります。でも、彼は暖かくて感情豊かで愛すべき、よき友人なんです」と語っていて、今もその友情は続いています。
ゴールデン・グローブ賞受賞の新作でシルバーヘアーに
私生活を大切にするジョディですが、映画から遠ざかったわけではありません。出演作は『ロング・エンゲージメント』(2004)、『インサイド・マン』(2006)、『ブレイブ ワン』(2007)、『おとなのけんか』(2011)、『エリジウム』(2013)と、名監督や注目監督との作品があり、監督作も第3作『それでも、愛してる』(2009)、第4作『マネーモンスター』(2016)と本数は少ないですが、着実にキャリアを維持しています。
でもこれは、ジョディの信念に基づくもの。彼女は2018年の映画サイトIndiewireの取材で「作品数が多くないのは、私の性格のせいなんです。私は仕事だけじゃなく、もっと別のこともやりたいんです。そうじゃないと、頭が爆発してしまうから(笑)。私は、本当の人生を体験するために戦ってきたんです。旅行するため、休暇を取るため、子供たちの靴を買うため、子供たちを行院に連れて行くため、大学見学に連れて行くために。それが私の人生で大切なことだから。それらをしていると、とても忙しいんです」と語っています。
今もジョディが輝き続けているのは、自分にとって大切なものは何なのかを見失わないからではないでしょうか。そんな生活を送りながら、久々に出演した法廷サスペンス映画『ザ・モーリタニアン(原題) / The Mauritanian』(2021)で、あっさり本年のゴールデン・グローブ賞助演女優賞を受賞するとは、カッコよすぎです。
この新作は、ケヴィン・マクドナルド監督が手掛け、ベネディクト・カンバーバッチが共演した注目作。彼女が演じるのは、米政府や軍部に立ち向かい、9.11多発テロ事件の容疑者を弁護する女性弁護士の役。実在の弁護士ナンシー・ホランダーを演じるジョディは、役づくりのためシルバーヘアーに! この新作映画でも、ジョディらしい大人のカッコよさを見せてくれるに違いありません。