志村けんさん出演予定だった『キネマの神様』、観たら傑作だった…!
提供:松竹
松竹映画100周年を記念した映画は、原田マハによる同名小説を山田洋次監督が映画化した、その名も『キネマの神様』です。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言の発令、ダブル主演の片翼を担うはずだった志村けんさんの急逝。想像を超えた困難を乗り越えてこのたび公開されますが、そんな困難を微塵も感じさせない軽やかな楽しさと、時代を超えて人の心の柔らかいところを突くような懐かしさ、そしてしみじみと心に響く奥深い人間ドラマがさらりと融合。“傑作”と言っていい域に達した作品である理由をご説明します。
菅田将暉&沢田研二が二人一役!
山田洋次監督の最新作は、菅田将暉&志村けんによるW主演!ーー『キネマの神様』の第一報は、それはそれはインパクトの大きなものでした。『花束みたいな恋をした』『キャラクター』「コントが始まる」と映画でも連ドラでも立て続けにヒット&話題作を連発するだけでなく、いまやアーティストとしての一面もすっかり浸透。映画ファンでもそうでなくても、次なる一手がいつでも気になる、名実共にぶっちぎりのトップスターと呼んでいい数少ない俳優。それが菅田将暉です。
そんな彼と志村さんが、山田監督のもとでW主演!? それは誰も観たことのない類の化学反応を予感させるに充分な、強い衝撃を伴ったニュースでした。ただそこにいるだけで、ニカっとした笑顔を見ただけで、老いも若きも男でも女でもがくっと脱力して笑ってしまい、幸せな気分にさせられる超強力な“ヘンなおじさん”。まさに一流のコメディアンである志村さんと、正真正銘にイマドキなイケメン俳優である菅田が二人一役を演じる。その攻めのキャスティングに、多くの人が心躍らせたはずです。
それだけに、突然もたらされた志村さんの訃報を前に、その悲しみを受け止めようとする頭の片隅で、「あの映画はどうなってしまうのだろう……?」と誰もが途方もない思いでいっぱいになりました。だからこそ、代役を務めるのは沢田研二! と発表されたときの喜びもまた際立ったのです。
沢田研二といえば、ある年代以上の人間にとって特別な響きを持つスーパースターです。「ジュリ~!」と、愛ある絶叫を放ちながら倒れそうになっていたのは、樹木希林さんだけではありません。御年73歳。いまや真っ白なあごひげをたたえた人のよさそうな笑顔が印象的な、ちょっとかわいらしいお方です。実は志村さんとはかつて同じ事務所に所属する先輩後輩で、何度も共演していたといいます。山田監督とも『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で組んでいて、山田組の経験者でもあります。それになんといっても、美しくて妖艶だったジュリーの若き日を思い出し、ハンサムな菅田との二人一役に更なる説得力をもたらすはずーー。そんな予感は、まさにピタリと的中します。
主役級の豪華キャストがズラリ!
この映画が観る側だけでなく、演じる側にとっても魅力的なものだったのは出演者の顔ぶれを見れば即座にわかります。沢田演じるゴウの妻・淑子に宮本信子、娘に寺島しのぶ、孫には幼少期に漫才コンビ“まえだまえだ”で活躍し、俳優としての成長が目覚ましい前田旺志郎、ゴウの親友であるテラシンこと寺林新太郎に小林稔侍と、現代パートはまさに実力派が顔を揃えました。テラシンが館主を務める映画館のバイトくんにまで、志尊淳を配する徹底ぶりです。
彼らがつむぐのは、年を重ねたゴウにまつわる物語。シルバー人材センターで派遣された公園の清掃をやるときも、腰のポケットに競馬新聞を突っ込んでいて、ビールと博打が生きがい。けれど博打でつくった借金はかさみ、家にまでやってくる借金取りに追われて娘にドヤされ、それでも自分を見捨てない妻には顔向けできない。それがゴウです。「つまり、逃げているんだよ」などと、ず~っとトボけている癖に、孫を相手にちらりと本音をのぞかせる彼のいま。ダメダメで余裕がなくて、そんな厳しい現実を描きます。
そして時代をさかのぼって約50年前のゴウを演じる菅田を取り巻くのが、それぞれが異なる種類の光を放つような個性的なメンツです。若き日のゴウは映画監督という夢を追いながら、撮影所で助監督として働いています。同じ撮影所内で映写技師をしている若き日のテラシンに野田洋次郎、ゴウの師匠である出水宏監督にリリー・フランキー、“銀幕女優”と呼ぶにふさわしい華をまとった桂園子に北川景子。そして撮影所の近くにある食堂「ふな喜」の看板娘である若き日の淑子に永野芽郁。よくぞこれだけ! と感心する豪華キャストといっていいでしょう。
ゴウは若者らしい純粋さで、まっすぐに熱く夢を目指しています。テラシンとの友情、淑子を挟んだ3人の微妙な関係。年齢を重ねた誰にとっても、若き日はキラキラとまぶしいもののはずです。この映画の場合、それを演じる俳優が具体的に強い光を放つからこそ、より強固な光となって画面から降り注ぐようです。
映画の黄金期と現在をつなぐストーリー
映画は2019年から始まり、現在を生きるゴウの物語から語られます。酒とギャンブルに溺れ、借金に追われ、家族に迷惑をかけるだけの存在に見えるゴウ。それを沢田が意外なハマリぶりでお茶目に演じるおかげで、決して悲壮感はありません。「それにしてもこのじいさん、救いがないなぁ……」と思いかけたころ、娘の口から「お父さんには、映画があるじゃない!」という一言が。映画? ここで観客に、ゴウがかつて映画監督を志した助監督だったことを知らされるのです。
テラシンの営む映画館の客席に身を埋めるゴウの、懐かしさに目を細める眼差しのその先、モノクロの映像の中にいるのは当時の大女優、桂園子です。演じる北川景子が、本当に美しい。笑うとパッと世界が明るくなるようです。往年の大女優、原節子を思い出す人も多いでしょう。ゴウは言います、「まもなく園子さんのアップになる。その瞳に注意してみろ。俺が映ってるんだよ!」。ゴウの言う通り、ぐーっと寄ったカメラが映す園子の瞳の中に……若き日のゴウの姿が! こうして物語は、約50年前の撮影所を中心に展開していきます。
若き日のゴウの物語は、映画を志す青年の夢や友情や恋について語られます。まるでいつか観たモノクロ映画を、現代の俳優さんがもういちど生き直すかのよう。人びとは心優しく、親切で、夢をまっすぐに信じたり親密な軽口を叩きあったり、愛に破れて傷ついて寝込んだり。笑ったり泣いたり、とっても忙しそうです。大人はまっとうな哲学をそれぞれが持っていて、若者は無鉄砲に夢に挑戦したりします。そのすべてが、令和のいまを舞台にしていたら描けないドラマに思えて複雑な気持ちになるかもしれません。実際に自分があの時代を生きたわけではないのに、どこか懐かしい。それもまた不思議な感覚なのです。
そうした物語にすっかり身を浸していると、ときどき現代のゴウが顔を出し、いまを思い出させるようなエピソードが綴られます。このギャップ!
でもこれは『キネマの神様』です。映画には神様が宿るのです。もちろん、この映画にも。それは夫婦愛なのか親子の愛か、はたまた……? それがどんな“神様”かは、ぜひスクリーンで確かめてください。“傑作”という言葉が、きっと大げさではなく響くはずです。(文・浅見祥子)
映画『キネマの神様』は8月6日より全国公開
公式サイト>>
(C) 2021「キネマの神様」製作委員会