オスカー監督クロエ・ジャオの原点となる長編デビュー作『兄が教えてくれた歌』
厳選オンライン映画
女性監督特集 連載第4回(全7回)
日本未公開作や配信オリジナル映画、これまでに観る機会が少なかった貴重な作品など、オンラインで鑑賞できる映画の幅が広がっている。この記事では数多くのオンライン映画から、質の良いおススメ作品を独自の視点でセレクト。今回は女性監督特集として日本初上陸となる新作を全7作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
上映時間:94分
監督:クロエ・ジャオ
出演:ジョン・レディ、ジャショーン・セント・ジョン、アイリーン・ベダードほか
第93回アカデミー賞3冠の『ノマドランド』で女性として史上2人目の監督賞受賞を果たし、最新作はMCUの『エターナルズ』という大躍進を遂げたクロエ・ジャオ。すべての始まりである長編第1作『兄が教えてくれた歌』は、1作ごとに大きく進化し続ける彼女の原点となる珠玉作だ。
美しい空と広い地平線をとらえるジョシュア・ジェームズ・リチャーズの撮影、実話ベースの物語にプロの俳優ではないキャスト。『ノマドランド』までの彼女の作品を構成してきたものは、既にそろっている。主人公はサウスダコタ州の先住民居留地パインリッジに暮らす、ラコタ族をルーツに持つ10代の兄妹だ。
ジョニーは荒んだ日々を送る母親と妹ジャショーンと3人暮らし。家計を助けるために居留地で禁止されているアルコールの密売に手を染めている。高校卒業を控え、大学に進む恋人とロサンゼルスに移住するつもりだが、家族にはまだ伝えられずにいる。もうすぐ12歳になるジャショーンは兄を慕う純真な少女で、賢く、内にはすでに独立心が芽生えている。ジョニーを演じるジョン・リディ、ジャショーン役のジャショーン・セント・ジョンも演技はこれが初めてだった。
故郷を離れることを夢見る少年と、兄や大人たちを見つめる妹を中心に、関わる人々のエピソードがパッチワークのように描写される。兄妹の母親、異母兄弟たち、友達、ジョニーの恋人オレリアとその家族、そしてジャショーンが交流するタトゥーだらけの前科者トラヴィスが強烈なインパクトを放つ。原題にある「兄」も「歌」も単数ではなく、複数の「Brothers」「Songs」であることにも留意したい。
2008年から短編映画を撮り始めたジャオは、先住民族居留地での若者の自殺者増加を報じた新聞記事に目を留め、実際パインリッジに暮らす人々に取材を始めた。現地に足しげく通い、キャストやその友達ともFacebookでつながり、彼らの投稿を読んでは執筆に反映させ、時間をかけて脚本を仕上げたという。
居留地の今をそのまますくい取ることを重視し、民族の歴史や伝統を子細に描こうとはしていない。だが、ヒップホップも民俗音楽も同じように楽しみ、移動手段として自動車と馬が共存するコミュニティーをそのまま映すだけで見えてくるものがある。そこには貧困やアルコール依存といった問題もある。
劇中で、離れて暮らす兄妹の父親が火事で亡くなる。ロデオカウボーイで9人の女性との間に25人の子をもうけた彼の葬儀に親族がそろい、子どもたちは父の思い出やおのおのについて語り合う。実はジョニー役のジョン・レディの父親は実際に25人の子を持ち、葬儀で弔辞を述べる人物として出演している。ジャショーンは父宅の焼け跡を訪ねて涙するが、その場所は予期せぬ火災に見舞われたセント・ジョンの家だったという。
本作では、ジャオが一から作り上げたフィクションと、実話を基にしたフィクションの差異が歴然としていて、圧倒的に後者の部分が魅力的だ。その経験を踏まえてか、劇的な実話を本人たちに演じさせる手法を取った次作が『ザ・ライダー』だ。続く『ノマドランド』では、実話を基にプロの俳優、それも名優中の名優フランシス・マクドーマンドに主演を任せ、さらにフィクションへと寄せていき、ついに完全なる架空の世界を描く『エターナルズ』へと至った。
『兄が教えてくれた歌』はクラウドファンディングなどで製作費を調達して撮影したものの、フォレスト・ウィテカーがプロデューサーに名乗りを上げるまでポストプロダクション(撮影後の仕上げ作業)の費用もなく、完成が危ぶまれたこともあったという。それからわずか6年で飛躍的に成長したジャオの、素朴さもある原石の輝きを確かめられる長編デビュー作だ。(文・冨永由紀、編集協力・今祥枝)