男らしさの象徴カウボーイへのアンチテーゼ『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
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今観たい最新作品特集 連載最終回(全7回)
日本未公開作や配信オリジナル映画、これまでに観る機会が少なかった貴重な作品など、オンラインで鑑賞できる映画の幅が広がっている。この記事では数多くのオンライン映画から、質の良いおススメ作品を独自の視点でセレクト。今観たい最新作品特集として全7作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
※ご注意 なおこのコンテンツは『パワー・オブ・ザ・ドッグ』について、ネタバレが含まれる内容となります。ご注意ください。
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』Netflix
上映時間:127分
監督:ジェーン・カンピオン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンストほか
ジョン・フォード、セルジオ・レオーネなど、そうそうたる監督たちが手掛けた西部劇の名作を観て、大自然の中に生きる屈強で自立した男性たちに憧れた人も多いだろう。かつてカウボーイたちは男らしさを定義づけるものだった。しかし、現代においてそのような男らしさはどう評価されるのか。今もカウボーイたちは憧憬(しょうけい)の対象になり得るのか。ゴールデン・グローブ賞をはじめ賞レースを席巻しているNetflixオリジナル映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、そうした現代社会の意識の変化を如実に反映する、西部劇で描かれてきたカウボーイ像へのアンチテーゼである。
1967年に出版されたトーマス・サヴェージの同名小説を原作とする本作は、『ピアノ・レッスン』のジェーン・カンピオンが12年ぶりに手掛けた監督作。舞台は1925年のアメリカ・モンタナ州。一見すると、フォードやレオーネの作品に通じる荒野や西部開拓時代の面影がある一方で、実は全米各地のインフラ整備や都会化も進み、「西部劇」と呼ぶにはあまりにも近代すぎる時代設定である。さらに、本作では西部劇お決まりのアクションや銃撃戦は一切なく、ひたすら濃密な人間ドラマが描かれる。
ベネディクト・カンバーバッチとジェシー・プレモンス演じるフィルとジョージ・バーバンクは、風光明媚(めいび)な牧場を経営する裕福な兄弟で、両親から譲り受けたこの土地で四半世紀に渡ってカウボーイの文化を守り続けている。しかし、フィルの牧場での暮らしぶりを見ていると、近代化が進む1925年からはまるで逆行しているように感じてしまう。
フィルはイェール大学で古典を学び、バンジョーを奏でるいわゆるエリート。しかし風呂にも入らず、素手で雄牛を去勢し、皮をはいで縄を編み、周囲の人に手荒く振舞うなど、いわゆるカウボーイ的な粗野な男らしさと支配的な側面を見せる。それと反対に、ジョージは穏やかで優しく、風呂に入り身なりを整え、自動車で街を訪れるなど、時代に合わせた知的な振る舞いを見せる。どこかズレた2人の関係は、旅の途中で訪れた宿を切り盛りするローズ(キルステン・ダンスト)と息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)との出会いをきっかけに不穏な雰囲気を漂わせ始める。
昔ながらの男らしさを体現するフィルにとって、女性的な振る舞いは軽蔑の対象でしかない。ローズの宿で食事をする際、テーブル上に飾られていた精巧な紙の造花を揶揄する場面がある。フィルがまとう男らしさ像と、ピーターが女性らしさの象徴とも言える花を作ることは正反対の位置にあり、フィルにとってはピーターの男らしさからかけ離れた行為が気に入らないのだ。さらに、牧場の仲間たちと共に行動することを控える弟ジョージに対しても、容赦なく言葉の暴力を浴びせる。フィルからすれば、男性的な仲間意識に欠ける弟の行動は理解しがたいのだろう。
ジョージと結婚したローズとピーターが牧場で暮らすようになると、フィルはローズにもむき出しの敵意を見せる。義父母と州知事夫妻を招いての食事会のために、ローズが決してうまくないピアノを懸命に練習する場面では、フィルは別室からバンジョーで同じ曲をローズよりもうまく演奏してみせ、練習を妨害する。何度練習しても間違えてしまうローズに被せるように奏でるフィルの完璧な音色は、見えない場所から精神的に追い詰めていく様を表現しているようで、ゴシック・ホラー的な雰囲気すら醸しだす。得体の知れない男らしさの中に迷い込んだ女性の、底知れぬ恐怖と息苦しさを感じずにはいられないシーンである。
だが、中盤でフィルが同性愛者であることが明らかになると、一転してフィルの男らしさへの執着に新たな意味合いが加わる。当時の社会的風潮から考えると、自らのアイデンティティーを抑圧しなければいけなかったのだと想像に難くない。そんな彼も新時代を象徴するピーターとの交流を通して本当の自分と向き合っていくのだが、その末に予想を裏切る展開を迎える。
本作が描くのは、あくまで有害な男らしさが生みだす弊害で、かつて崇められていたカウボーイ信仰の終焉でもある。フィルは「こうあるべき」という古い固定観念に苦しめられ、ジョージ、ローズ、ピーターの3人はフィルが体現する男らしさの暴力の犠牲となる。ホモソーシャルな共同体の中で他者とつながることができず苦しんでいたジョージが、ローズと出会い「もう一人じゃない」と見せたうれし涙は、男らしさや性別的役割からの解放を見ているようだった。
言わずもがな、キャストも一様に素晴らしい。大胆で力強い演技を見せるカンバーバッチ、現代的な若者像をミステリアスに演じたコディ・スミット=マクフィー、そして実生活でもパートナーであり、静かな演技でスクリーンを支配しケミストリーの良さを披露したプレモンスとダンスト。四者四様の演技合戦は観るもの全員が満足する仕上がりになっている。
昔ながらの「男らしさ」が、いかに他者とのつながりを阻害し、抑圧と憎しみの連鎖を助長していたのか。圧倒的な美しさを誇る大自然の中で、新旧の価値観がぶつかり合う。カンピオンはその光景=カウボーイ像を通して、男らしさの意味を再定義しているのだ。(文・中井佑來、編集協力・今祥枝)