アカデミー賞候補J・チャスティンがまるで別人『タミー・フェイの瞳』
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実在の人物を演じるスター特集 連載第1回(全5回)
日本未公開作や配信オリジナル映画、これまでに観る機会が少なかった貴重な作品など、オンラインで鑑賞できる映画の幅が広がっている。この記事では数多くのオンライン映画から、質の良いおススメ作品を独自の視点でセレクト。実在の人物を演じるスターの作品特集として全5作品、毎日1作品のレビューをお送りする。
『タミー・フェイの瞳』Disney+
上映時間:126分
監督:マイケル・ショウォルター
出演:ジェシカ・チャステイン、アンドリュー・ガーフィールド ほか
日本でテレビ伝道師とはどれくらい浸透しているだろうか。主にアメリカで、歌やゲストとのトークに伝道師の説教という構成の番組によって、自宅にいながら教会に集う感覚を提供するのが彼らの役割だ。
本作は、1970年代から1980年代にかけて大人気を博した伝道師のベイカー夫妻の栄枯盛衰を、妻のタミー・フェイを中心に描く。
2000年製作の同名ドキュメンタリーを劇映画化した本作は、特殊メイクでタミーそっくりに作り込み、渾身の演技で第94回アカデミー主演女優賞候補になったジェシカ・チャステインと、タミーの夫ジム・ベイカーにふんするアンドリュー・ガーフィールドの名演に圧倒される伝記映画だ。
おしどり夫婦の成功から失墜までの歴史は、ニュース映像を交えた冒頭で説明され、画面はやがて鏡に映るタミーのクローズアップへと変わる。全てを失った後の1990年代の姿で、日焼け肌にアートメイクで縁取られた目や唇、つけまつ毛にマスカラが重ね塗りしてある。特殊メイクで顔の輪郭も変えてあり、演じるジェシカの面影はかけらも感じられない。
タミー・フェイといえば、厚化粧のマスカラが涙で落ちているイメージが定着している。アメリカのコメディー番組で散々ネタにされたからだ。劇中、「もう少し控えたら?」と忠告されても、彼女は「これがわたしのトレードマーク」とにっこり笑う。その笑顔にごく微かな哀愁が漂い、その瞬間から観客はタミーの物語に引き込まれている。
タミーとジムはミネソタの大学で出会ってすぐに結婚し、伝道活動を始める。歌が得意な彼女が手作りの人形を使う人形劇が子ども相手に人気を集め、テレビ伝道の世界に招かれると、1970年代には夫婦で始めた番組「PTLクラブ」で大ブレイクする。派手に着飾った2人がハッピーに信仰を語り、放送中に集まる寄付金で巨万の富を築いた。
ジムの巧みな話術と、タミーのパワフルな歌声と突き抜けた明るさに信者は魅了されたのだ。1978年には、集めた金で夫妻はサウスカロライナ州にキリスト教のテーマパークを建設する。広大な敷地内には夫妻が家族と暮らす豪邸もあった。絵に描いたようなアメリカンドリームがそこにある。
ジェシカとアンドリューの相性は抜群だ。熱演とは否定的にもなる表現だが、彼らの場合は熱と力をこめて役になりきってこそ本領を発揮する。実物のベイカー夫妻もそうだったのではないだろうか。テレビというメディアを介して、なりたい自分になりきり、公の姿と本来の自己との溝が深まっていく中で夫婦の関係にも暗い影が忍び寄る。
製作も兼ねるジェシカは10年ほど前に偶然テレビで観たドキュメンタリーに感銘を受け、劇映画化を思いついた。世間に流布されたイメージの陰に埋もれたタミーの真の姿を捉えて、彼女の分け隔てない愛と行動力に光を当てている。
神の前では誰もが平等と信じる彼女は、キリスト教の大物指導者でありながら女性や同性愛に差別意識むき出しの男たちのテーブルに堂々と割って入り、自分の意見を言う。のちにLGBTQの支援者となるタミーと彼らの最大の違いは、彼女にとって信仰と権力は全く無縁のものだったことだろう。
信仰と結びつくものは愛だけ。そんな彼女の信念を明確に表すのは、1985年に行ったスティーヴ・ピーターズ牧師との対話シーンだ。ピーターズ牧師はゲイでエイズ患者だった。エイズという病とその患者に対する当時の社会の残酷な反応については、アンドリューも主演を務めた舞台劇「エンジェルス・イン・アメリカ」などでも描かれている。
そんな時代にタミーは一切の偏見なく、テレビ画面越しに対面した相手の話に聞き入り、「なんて悲しいの。すべての人を愛せるはずのわたしたちキリスト教徒が、エイズ患者をひどく恐れて、彼らに近づいて抱き寄せもしない。愛を伝えるべきなのに」と涙した。ジェシカは「この対話こそが、この映画を作りたかった理由」と語り、本作では実際のフッテージの内容をそのまま再現している。
首を傾げたくなる行動もするが、どれだけ批判や嘲笑を受けても屈しなかったタミーの強さには素直に感動する。その強さが他者への思いやりに直結することがさらに胸を打つ。
劇中では1960年代から1990年代のタミーの仕草や口調、歌声も見事にコピーし、知られざる長所にも短所にも徹底的に寄り添い、そこから勇敢な女性像を描き出したジェシカは本作について「やりがいという意味では、役者人生で最高の役だった」と振り返っている。
一方アンドリューは、自らが抱える問題に無自覚なまま、多くの人を魅了する親しみやすいカリスマとしてのジムを演じている。『ハクソー・リッジ』(2016)、『沈黙 -サイレンス-』(2016)でも信仰心のあつい主人公を演じたが、今回は信心深さにうさんくささも匂わせ、善にも悪にもなる人間の弱さを象徴するようだ。
1987年にジムの性暴力が告発されたのを皮切りに脱税や横領などが発覚し、それまでの爽やかなイメージは地に落ち、夫妻はPTLクラブを追われる。ジムは有罪判決を受け、タミーとジムは離婚する。そして映画はどん底の先の物語も見せる。クライマックスでのタミーの熱唱シーンは、ただならぬ高揚感の中に波乱万丈だった彼女の半生はもちろん、アメリカという国の精神まで映し出されるようなパワーがある。
実在のタミー・フェイは2007年に闘病の末、亡くなった。死の数か月前に米CNNの人気トーク番組「ラリー・キング・ライブ」に出演した彼女は新約聖書のローマの信徒への手紙8章28節を引用した。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
どれだけ世間が笑おうとも、最後までぶれることのなかったタミー・フェイの精神を、ジェシカは忠実に後世へと伝える役割を果たした。(文・冨永由紀、編集協力・今祥枝)