ADVERTISEMENT

独自の視点でアメリカを見つめる、巨匠ポール・トーマス・アンダーソンの軌跡

今週のクローズアップ

リコリス・ピザ
(C) 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

 世界三大映画祭すべてで映画賞を受賞した映画監督、ポール・トーマス・アンダーソン。世界中の映画ファンから新作を待望されてきたアンダーソン監督は、作風を変えながらも常に第一線で高い評価を集めており、ついに最新作である『リコリス・ピザ』が7月1日に日本で劇場公開を迎える。その公開を前に、アメリカの歴史を独自のアプローチで描いてきたアンダーソン監督の作品を紹介する。(編集部・大内啓輔)

ADVERTISEMENT

『ブギーナイツ』(1997)

 アンダーソン監督の長編第2作にして出世作となったのが、1970年代末から1980年代にかけてのポルノ業界を舞台にした『ブギーナイツ』だ。実在したポルノ男優であるジョン・ホームズをモデルにした一人の男優の栄枯盛衰を描き、第70回アカデミー賞では脚本賞へのノミネートを果たした。舞台に設定されているロサンゼルス近郊のサンフェルナンド・バレーは、アンダーソン監督が育った地であり、成人映画といったポルノ産業が数多く生み出されていた場所でもある。

ブギーナイツ
New Line Cinema / Photofest

 主人公は、厳格な両親のもとで育ったエディ・アダムス(マーク・ウォールバーグ)。一見すると平凡な17歳だが、ポルノ業界で巨匠として知られる映画監督ジャック・ホーナー(バート・レイノルズ)に、ある特徴を見出されて、男優ダーク・ディグラーとして業界へと足を踏み入れていく。スター街道を上り詰めていくエディだが、監督との確執や自身のエゴなどが原因でしだいに活躍に陰りが見え始める。映画業界や制作スタジオの内幕を描く名作は数多くあるものの、ポルノ映画界を舞台にした本作は欲望渦巻くギラギラした世界を描き、より露悪的だが人間味あふれる人々の輝きに満ちている。

 メジャーな世界の裏側で生きる人々の群像劇を魅力たっぷりに描く『ブギーナイツ』。そこは決してメインカルチャーとなることはない独特な世界で、奇抜な人々が生息しているのかもしれない。だが、ポルノ映画界もハリウッドなどの映画産業と並走するように時代の変化に対応した、アメリカ文化を語るうえで外せない一側面でもある。そして、そこで生き抜くエディたちの人生模様は普遍的なものであり、勇気を与えてくれるものであるのは間違いない。

ADVERTISEMENT

『マグノリア』(1999)

 アンダーソン監督の名声をさらに高めることになったのが、ロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』(1993)に影響を受けた群像劇『マグノリア』。マグノリアとはサンフェルナンド・バレーにある通りの名前であり、前作に引き続き、監督にとってなじみ深い場所が舞台に設定されている。3時間あまりの長尺だが、余命宣告を受けた人気クイズ番組の司会者(フィリップ・ベイカー・ホール)、その娘で薬物依存の女性(メローラ・ウォルターズ)、高圧的な父親を持つ天才クイズ少年(ジェレミー・ブラックマン)など、それぞれのエピソードがかなり魅力的で飽きさせない。

マグノリア
New Line Cinema / Photofest

 とりわけ強烈なのは、男性向け自己啓発セミナーを主催するフランク・T・J・マッキーにふんしたトム・クルーズの熱演だろう。「誘惑してねじ伏せろ」を合言葉に教えを説くフランクの熱量は、異様な雰囲気を感じさせる。卑猥な仕草と女性差別的な言葉で男たちを熱狂させ、自らの教えを記した著作を教典のように手に取る狂信ぶり。現在は『トップガン マーヴェリック』も絶好調のトムの一味違う魅力を感じることができるはずだ。

 フランクには父親との確執があることが判明し、その再会の場面へと物語は進んでいく。それぞれのエピソードに通底する愛と赦しの物語が成就する……と思いきや、クライマックスですべてを洗い流すかのように、〇〇が降り注ぐさまはまさに圧巻としか表現できない。華々しい人生を送っているわけでもなく、だが、どこかに確実に存在しているだろう人々の生きざまを描き、最後にはそれぞれの人生が少しばかり開けていく。見終わった後には爽快感に満ちた余韻が続いていく。

ADVERTISEMENT

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)

 アダム・サンドラー主演の異色のロマンティック・コメディー『パンチドランク・ラブ』に続いて手掛けたのが5作目の長編『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。本作では、石油と宗教という20世紀アメリカを作り上げた要素を交錯させるとともに、父と子をめぐる家族の物語を描き出した。アンダーソン監督は俳優でテレビ司会者であった父親の姿を『マグノリア』に盛り込んだが、本作では父との愛というモチーフを前面に押し出した。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
Paramount Pictures / Photofest

 石油王のダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)のモチーフとなったのは石油で成り上がったエドワード・ドヒニー。ホームレス同然の極貧から石油王になったドヒニーは、のちに汚職事件に関与していたことが発覚するなどした人物だが、映画のダニエルも強欲な合理主義者で、周囲の人々への理解を欠いた非人間的な人物として描写されている。ちなみに、映画に登場する豪邸での撮影には、このドヒニーが息子のために実際に建設したビバリーヒルズの邸宅が使用された。この施設は、ほかにも『永遠(とわ)に美しく…』(1992)や『ビッグ・リボウスキ』(1998)にも使われている。

 石油とはもちろん、現在の私たちの生活に欠かせないものであり、アメリカで多くの大富豪を生み出したように20世紀のアメリカを形作った産業である。それに伴う近代化の流れから取り残された人々がすがったのが宗教だった。本作では、油田を開発するダニエルに対置されるように、伝道師のイーライ・サンデー(ポール・ダノ)が登場する。神が憑依したかのごとく、熱を帯びた言動で信者の支持を集めるイーライは、どこか『マグノリア』のトムの姿をほうふつとさせる。それらはともに、急速に近代工業化社会としてアメリカが成長を遂げていく20世紀という不可思議な時代の産物でもある。

ADVERTISEMENT

『ザ・マスター』(2012)

 ポルノ産業、石油、宗教といった一風変わった素材を用いてアメリカの歴史に迫ってきたアンダーソン監督。本作で宗教というテーマに正面から挑むことになる。『パンチドランク・ラブ』でカンヌ国際映画祭、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でベルリン国際映画祭と監督賞を受賞してきたアンダーソン監督だが、本作ではベネチア国際映画祭の監督賞にあたる銀獅子賞を受賞し、世界3大映画祭の監督賞を制覇するという快挙を成し遂げた。

ザ・マスター
The Weinstein Company / Photofest

 物語は、第二次世界大戦後のアメリカで起こった新興宗教のリーダーと、彼に傾倒するようになった復員兵の青年の交流を描いたもの。当時、実在の新興宗教団体をモデルにしたのではないかという指摘も多く出たように、さまざまな風刺を読み取ることも可能な作品となっている。

 愛憎入り交じった関係を築く二人の男を演じたのは、最近では『ジョーカー』(2019)で話題をさらったホアキン・フェニックスと、アンダーソン監督作品の常連である故フィリップ・シーモア・ホフマン。ホアキンはこの時期、突然の歌手転向宣言で周囲をにぎわしていたが、本作で復帰し、複雑な退役軍人の心情をさすがの演技で表現している。

ADVERTISEMENT

『インヒアレント・ヴァイス』(2014)

 現代アメリカ文学を代表する存在として第一に名前が挙がるトマス・ピンチョンの小説「LAヴァイス」が原作。多くの作品が難解かつ長大なものだけに、映像化に困難がつきまとうことは想像に難くないが、これが初の映画化となった。『ザ・マスター』に続いてホアキンとタッグを組み、マリファナ中毒の私立探偵が元恋人の依頼を受けたことを皮切りに、さまざまな陰謀に翻弄(ほんろう)されていく様子が描かれる。

インヒアレント・ヴァイス
Warner Bros. / Photofest

 『ブギーナイツ』と同じく1970年代を舞台にしており、当時のさまざまなポップカルチャー描写がふんだんに盛り込まれている。私立探偵が主人公ということもあり、往年のフィルムノワールに影響を受けた探偵劇ではあるが、そのストーリーは入り組んでおり、何が起こっているのかを理解することは不可能であるといってよい。ヒッピー文化などのサイケデリックな色彩に彩られており、主人公である探偵がその雰囲気にのまれていくなかで、事件の真相への道筋も錯綜した濃密で異様な物語世界が展開する。

 タイトルの「インヒアレント・ヴァイス」は、海上保険用語で「内在する欠陥」を意味し、輸送の際に不可避に生じうる事故について、運送会社サイドが保険の支払いを拒否することができる制度のことをいう。これは1970年代から現在にいたるまでのアメリカという国家を描いた、陰謀と組織の腐敗そのものの寓話なのかもしれない。『大統領の陰謀』(1976)といった作品が作られたのも1970年代だが、今ではより「真実」が見えにくい時代となっている。『インヒアレント・ヴァイス』が描くのは、複雑で先行き不透明で、なにより不都合な世界なのだろう。

ADVERTISEMENT

『リコリス・ピザ』(7月1日公開)

 ダニエルとの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来のタッグとなった『ファントム・スレッド』(2017)では、1950年代ロンドンのファッション業界という新たな切り口に挑んだアンダーソン監督。それに続く最新作『リコリス・ピザ』は、アンダーソン監督が幼少期を過ごし、過去作でも舞台としてきたハリウッド近郊サンフェルナンド・バレーでの物語。1970年代を徹底再現し、写真技師アシスタントのアラナと高校生ゲイリーの恋模様が描き出されていく。

リコリス・ピザ
(C) 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

 1973年、子役として活動する高校生のゲイリーは、ある日学校にやって来た写真技師アシスタントのアラナ・ケインに一目ぼれ。年上のアラナは相手にしなかったが、共に過ごすうちに二人は距離を縮めていく。主演を務めたのは、三人姉妹バンド「ハイム」のメンバーであるアラナ・ハイムと、アンダーソン監督の盟友であるフィリップ・シーモア・ホフマンの息子であるクーパー・ホフマン。本作で映画デビューを飾った。

 一見すると「恋する男女のすれ違い」とまとめられてしまいそうなストーリーだが、アンダーソン監督お得意の群像劇らしく、どの人物も不完全で愛すべき存在に描かれているのが大きな魅力だ。撮影では「メイクなし」というルールを作るなど、登場人物たちは等身大の存在として描かれており、甘酸っぱい青春ストーリーにとどまらない、彩り豊かな人間模様が繰り広げられている。

リコリス・ピザ
(C) 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

 ときには仲たがいしたり、歩み寄ったりを繰り返す彼らの年月を描いていくが、ふんだんに取り入れられた1970年代のカルチャーに興味がつきることがない。時代を読んで新たなビジネスに手を染めて山師ぶりを発揮するゲイリーも、アンダーソン監督作品ではお馴染みの人物。彼が売り出していくウォーターベッドやピンボールマシンといった当時の風俗を伝えるアイテムも、物語に華を添えている。

リコリス・ピザ
(C) 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

 そして、劇中にはまったく登場しないタイトルの「リコリス・ピザ」とは、1970年代に人気を博した南カリフォルニアのレコードショップ・チェーンの名前。訪れた客には甘草(リコリス)が提供され、それを噛みながらレコードを試聴したり、音楽談義に花を咲かせたりと、思い思いに楽しんでいたという。店は1980年代の半ばには姿を消すことになるが、アンダーソン監督にとってもカリフォルニアを象徴するスポットであったのだろう。劇中ではロックやソウル、ジャズといったジャンルを問わずに当時の楽曲がたくさん使用されており、1970年代へのオマージュを音楽からも感じることができるはずだ。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • ツイート
  • シェア
ADVERTISEMENT