ゼレンスキー大統領主演、皮肉と風刺が絶妙な「国民の僕」の魅力
ロシアによるウクライナ侵攻を発端にした両国の戦争は続いており、収束の兆しはいまだに見られない。そんな中、世界的に知名度を上げたのが、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領だ。
ゼレンスキーの前職がコメディー俳優だったのはよく知られているが、そこで注目したいのがNetflixで配信がスタートしたウクライナの政治風刺コメディー「国民の僕」。2015年にシーズン1、2017年にシーズン2、2019年にシーズン3が制作され、今年5月から日本語字幕付きで観られるようになった。
最大の注目ポイントは、このドラマに大統領役で主演して人気を博したゼレンスキーが本当に大統領になったことだ。ドラマと同じ道筋で大統領になったわけではないが、ドラマを通じてゼレンスキーがいかにウクライナ国民の支持を得ていったかがよくわかる内容になっている。
ゼレンスキーが演じるヴァシリ・ペトロヴィッチ・ゴロボロジコは、生徒からの信頼も厚い真面目な高校教師だった。ところがある日、彼が腐りきったウクライナの政治体制に毒舌を爆発させたところを生徒が盗み撮りしてSNSにアップ。その動画がバズってしまい、あれよあれよという間にヴァシリは大統領になってしまう。
大統領になったヴァシリに用意されたのは豪華すぎる生活だった。大統領のお付きのスタッフは何人いるのかわからないぐらい多かったりするし(なかにはそっくりの替え玉までいる)、普通の庶民だったヴァシリの家族は何でも手に入れ放題で有頂天に(このあたりの描写はコメディーらしくかなり誇張されている)。
急な展開に戸惑っていたヴァシリだが、国内で貧富の格差が広がっているのに誰一人庶民のことなど考えず、不正、賄賂は当たり前の腐敗しきった政治家や官僚たちの姿を目の当たりにして、大統領就任式では用意されたものではなく、自分の言葉でスピーチすることを決意する。それが次の言葉だ。
「人間として恥じない行動を子どもたちに、親たちに、あなた方に、ウクライナの皆さんに約束する」
ヴァシリは大統領の特権をすべて返上。高級車での送迎をやめてバスや自転車で通勤し、豪華すぎる大統領公邸からも退去して簡素なアパートに住みはじめる。さらに不正をしていた閣僚や政府高官を全員クビにして、誠実かつ正直な人材を登用。チームとして政府にはびこる腐敗の一掃に挑む。
ヴァシリにとって最大の抵抗勢力となるのが、ウクライナを陰で牛耳る新興財閥オリガルヒ。ドラマの中には3人のオリガルヒが登場するが、実際にウクライナで絶大な影響力を誇るオリガルヒも3人だという。彼らは政治家や官僚たちをゲームのコマのように操り、不正と戦うヴァシリを妨害しようとする。巨大な力を持つオリガルヒと、知恵と誠実さだけを武器にするヴァシリたちとのスリリングな攻防は見どころの一つ。ヴァシリの仲間たちを買収するために用意された巨額の賄賂を全部受け取ってしまい、全部国家予算に編入してしまうエピソードは痛快だった。
これほど明快に政治家や権力者たちの腐敗を(笑いをまじえつつ)告発するドラマもなかなかない。それだけウクライナの人たちが、ドラマ放送当時のペトロ・ポロシェンコ政権に怒りを抱えていたということだろう(ポロシェンコ大統領はもともと大富豪でオリガルヒとも親しく、汚職の疑惑もあった)。大勢集まった大臣候補に「高額の賄賂は死刑になる」と嘘を告げると一瞬で全員いなくなってしまうギャグを見て、ウクライナの人たちはきっと笑いながら怒っていたはずだ。
ゼレンスキーは「国民の僕」を制作したコメディーチーム「第95街区」の立ち上げ人の一人であり、「国民の僕」のプロデューサーとしてクレジットされている。このドラマで爆発的な支持を得たゼレンスキーに対して、国民の間で大統領選挙への出馬を期待する声が拡大。やがてゼレンスキーは「第95街区」のメンバーとともに政党「国民の僕」を立ち上げ、ドラマのイメージそのままに反汚職や議員特権の廃止などを掲げて選挙戦を展開する。そして、ついに2019年の大統領選で現職のポロシェンコらを破って勝利した。いわば、ドラマの内容がゼレンスキーの公約のようなものだったのだろう。
大統領就任後のゼレンスキーの施策がすべてうまくいっているかといえば、決してそうではないようだ。その後、ロシアによるウクライナ侵攻も起こった。ドラマの舞台であるキーウの街並みはとても美しく、ここが戦場になっている現実を思うと胸が痛む。一刻も早い平和な解決を強く望むとともに、ウクライナをよく知るため、そして日本の政治に思いを馳せるためにも、「国民の僕」をオススメしたい。(文・大山くまお)