ついに完成形ソウル・グッドマン誕生!
今週のベター・コール・ソウル
「ブレイキング・バッド」に登場しないキャラクターとして、ナチョ、ハワード、ラロが、その死によって退場となった。第9話「楽しい駆け引き(Fun and Games)」では、残るキムの去就が描かれた。それは意外なほど静かだが深い悲しみと鋭く胸を刺すような痛みを伴うものだった。(文・今祥枝)
※ご注意 この記事は「ベター・コール・ソウル」シーズン6についてのネタバレが含まれる内容となります。視聴後にお読みいただくことをおすすめします。
今週のベター・コール・ソウル~シーズン6第9話
ハワード(パトリック・ファビアン)の死を自殺に偽装し、自ら仕掛けた嘘をつき続けることになったジミー(ボブ・オデンカーク)とキム(レイ・シーホーン)。葬儀の場で夫婦関係は冷え切っていたようではあるが、夫の薬物依存症を信じない未亡人シェリル(サンドリーヌ・ホルト)に対して、キムが放った嘘(ハワードが事務所で白い粉を鼻から吸引するのを目撃したということ)に、キムは早晩この状況に耐え切れなくなるだろうと思わせるものがあった。ほどなくして罪悪感からか自分への罰か、キムはあれほど情熱を注いでいた弁護士を辞め、ジミーのもとを去ることを決意する。
ハワードの死の痕跡をきれいに消された部屋。帰宅したジミーは、キムが弁護士を辞めることに猛反対し、引っ越してハワードの死に関わる一連のことを忘れて2人で人生を歩んでいこうと説得する。だが、キムの決意は固く、「1人ずつなら大丈夫だが、2人が一緒にいると(周りの人を苦しめる)毒になる」と言う。第9話も残り12分を切ったところからのジミーとキムのやり取りは、「ベター・コール・ソウル」が6シーズンかけて描いてきたことが、まさにここに結実したと言っても過言ではない重要なシーンだ。オデンカークとシーホーンはもちろんのこと、アン・シェルキスの脚本(兼プロデューサー)も素晴らしい。
「ダメなところは直す」「愛してる」と訴えるジミーに、「わたしも愛してる、それが何?」と返すキム。食い下がるジミーに、キムは最後の一撃を与える。それはキムがガス(ジャンカルロ・エスポジート)を狙うラロ(トニー・ダルトン)が生きていることを知っていたこと、ラロが現れても、自分たちを見張っているマイク(ジョナサン・バンクス)の部下が捕まえるはずだと考えたこと。さらに黙っていたのはジミーのためではなく、ジミーが自分を責めてキムの身を案じ、安全だとわかるまで隠れて2人の計画をやめ、別れることになるのが嫌だったからだと明かす。キムは「だって、あまりにも楽しかったから」と、ついに本音を告白する。
シリーズ当初から弱き者のために闘う弁護士キムは、ジミーに引っ張られてワルになって行くのではないか、このカップルが成立するのか? と思わせるものがあった。だが、シーズン6ではハワードを罠にはめるという一連の行動を通して、キムの中のワルも浮き上がっていた。今こうしてキムの変遷を振り返る時、キムというこれほどまで繊細で複雑なキャラクターを作り上げたスタッフとシーホーンへの尊敬の念にたえない。
そしてわたしたちがよく知るソウル・グッドマンの完成形が姿を現した。ジミーは6シーズンをかけて、じわじわとソウルに近づいてきた。だから突然ソウルになったわけではないのだが、なんらかの形でキムを失うことがソウルという人格形成の決定打となったのだろうとの予測が、このような顛末だったとは。最後の5分程度で描かれたソウルの豪邸は、シーズン6第1話のアバンタイトルで描かれた、警察が家具などを押収していたあの悪趣味な豪邸だった。
こうしてソウル・グッドマンのオリジンが明らかになったわけだが、第9話ではガスのオリジンも思い出された。麻薬カルテルの大ボス、ドン・エラディオ(スティーヴン・バウアー)の屋敷に呼ばれたガスは、ラロ殺しや陰謀について無実が証明される。サラマンカ・ファミリーのボス、ヘクター・サラマンカ(マーク・マーゴリス)がベルを打ち鳴らして非難する一方、じっとプールの水面を見つめるガス。「ブレイキング・バッド」のシーズン4第8話の回想シーンで描かれた、ヘクターがガスの大事なパートナー、マックス(ジェームズ・マルティネス)を撃ち殺した場所だ。その復讐として、ガスは同シーズン4第10話でドン・エラディオと部下たちに毒を盛って殺した。
ガスが今のガスになった瞬間とも言える記憶の喚起は、自宅に戻って行きつけのレストランでウェイターのワイン愛好家デヴィッド(リード・ダイアモンド)と、かなり時間をかけてワイン談義をするくだりに生きてくる。ガスにしては珍しく柔らかい表情で楽しんでいることがわかるが、デヴィッドが希少なワインのボトルを取りに行っている間に、何も言わずに帰ってしまう。他者と親密になることを自分に許そうとしないガスの心情は、クローズアップで映し出される表情の変化だけで語られる。監督を手がけたマイケル・モリス(兼製作総指揮)による手腕も見事。
もう一人、マイクもまた以前の自分とは完全に変わってしまった自分を意識させられることになった。ナチョ(マイケル・マンド)の父親のもとを訪れ、息子の死を伝えたマイクは、「悪い奴らの仲間になったが決して染まらなかった、いい奴だった」「サラマンカに正義の制裁が下るだろう」と言う。マイクの本心なのだろうが、父親は「ギャングに正義などない、あんたらはみんな同じだ」と言って去っていく。はたからみれば、マイクもまたギャングの一味でありワルそのもの。ギャングにくみしてはいても良心があるとか、奴らとは違うなどという言い分は幻想である。マイクもまた、戻れない道を突き進むしかないのだ。