女性の敵は女性なのか?
厳選!ハマる海外ドラマ
「女性の敵は女性」とは昔からよく言われてきたが、そんなことはもう過去の話。近年は女性の連帯、シスターフッドといった概念も浸透している。一方で、いまだにまことしやかに語られる「女性の敵は女性」という言説について、改めて考えてみたくなる海外ドラマ3作品をピックアップ。ケイト・ブランシェット主演の話題作「ミセス・アメリカ ~時代に挑んだ女たち~」を中心に、注目ポイントを解説する。(文・今 祥枝)
ケイト・ブランシェットが反フェミニズム活動家に「ミセス・アメリカ ~時代に挑んだ女たち~」
昨今SNSでは、フェミニストとアンチをめぐる熾烈な攻防戦が日々繰り広げられている。この構図は男性対女性といった図式に単純化できるものではなく、当たり前のことだが性別でひとくくりにして「女性だから」と言って一枚岩になれるわけでもない。この問題のルーツ、長い歴史の一端を知ることができるのが、ぜいたく極まりない演技派俳優の共演も見応えがある、実話に基づく秀作ドラマ「ミセス・アメリカ ~時代に挑んだ女たち~」だ。
1970年代、ERA(男女平等憲法修正条項)の議会通過を目指すフェミニストによるフェミニズム運動が盛り上がりを見せるアメリカ。ERA賛成派のグロリア・スタイネム(ローズ・バーン)、シャーリー・チザム(ウゾ・アドゥーバ)らに対して、徹底抗戦を挑んだのが保守派の政治活動家フィリス・シュラフリー(ケイト・ブランシェット)だ。2016年に他界したが、晩年はドナルド・トランプ支持者として存在感を発揮し、大統領当選に貢献したとされている。
シュラフリー対ERA&フェミニストたち。まさに女性の敵は女性の構図だが、結論から言えば、伝統的なジェンダーロール(性別による役割分担)を訴えるシュラフリーの執念が勝利した。
ドラマは、極端な対立構図で世界を捉えていた偏狭的なシュラフリーの内面を掘り下げる一方で、スタイネムらフェミニストたちの考えもまた個々に異なり、軋轢(あつれき)を生んでいく様子が描かれる。本作を観ながらつくづく思うのは、保守派であれフェミニストであれ、人間とは本質的に矛盾する生き物だということだ。
シュラフリーは家庭を持ち、良き母・良き妻である自分を前面に押し出し、端的に言えば男女平等によって主婦としての権利、女性としての幸せを追求する権利を奪われることの危機を訴える。その実、上昇志向の強い彼女は、仕事で忙しく不在がちで、子供たちの世話は家政婦や義理の姉に任せっきり。彼女が語る女性像とはほど遠い人物だった。
そんなシュラフリーは自身の政治家への夢を砕かれる経験を経て、反フェミニストとして男性社会である政治の世界で特殊なポジションを築き上げていく。ある種の有能さを発揮するシュラフリーの活動は共和党内部でも煙たがられるほどであったが、保守派の男性政治家や権力者に都合よく利用される側面も強かった。ドラマにおけるこうした描写からは、そもそもが男性が作り上げた社会の構造的な問題も浮き彫りに。
一方、フェミニストたちの内輪の対立も凄まじい。大きな目標は一緒でも、当然幸せの意味や生き方はそれぞれに異なる。また、男性社会においてERAを推進していくためには、どうしても何かしらの妥協が必要になってくる。しかし、その線引きは困難を極め、人種によっても大きく異なってくる。そうした内輪の不和や矛盾を鋭くついていきながら分断させていくのが、シュラフリーの常とう手段であった。
このシュラフリーとフェミニストの対立は、双方の支持者の女性たちの姿を映すことによって、主婦や働く女性、既婚者や独身者などの一般の人々の立ち場からも、それぞれの主張の矛盾をあぶり出す。女性同士の不協和音はエンドレスにも思えるが、ドラマを通して個々人の異なる意見に耳を傾けていると、不思議と誰に対してもどこかで共感を覚えるものがあるのだ。どちらが正しいかではなく、互いの主張をよく聞き、相互理解に努めること。シンプルではあるが、それこそがいつの時代にも求められていることではないだろうか。
「ミセス・アメリカ ~時代に挑んだ女たち~」はディズニープラスで配信中
女性政治家の権力との向き合い方を描いた「コペンハーゲン:権力と栄光」
デンマークの国民的政治ドラマ「コペンハーゲン/首相の決断」(原題はBorgen)は、女性として初のデンマーク首相に就任したビアギッテ・ニュボー(シセ・バベット・クヌッセン)が、既存の政治に変化を起こすべく、理想に燃える政治家から策士となっていく秀作シリーズだ。
前回より約9年が経ち、久々の続編となった新シーズン「コペンハーゲン:権力と栄光」では、外務大臣になったビアギッテが、グリーンランドで発見された石油の対応をめぐり、女性首相シーヌ・クラー(ヨハンネ・ルイーズ・スミット)らと対立する。スリリングな政治ドラマとしても抜群に面白いのだが、注目したいのは、まだまだ男性主体で描かれることの多い政治ドラマではあるが、権力の側に立つ人間は等しく負の側面を招く可能性があることを、しっかりと描いている点だ。
どんなに進歩的な人間も同じ仕事、同じ業界でキャリアを重ねて古株になり、それなりの地位に長く居続ければ、無意識だったとしてもそこには権力の乱用がついてくる。53歳になったビアギッテは、これまでと同じように全力で目の前にある問題に取り組んでいるのに、不協和音が生じてしまう現実に抵抗する。知らぬ間に自らが行使しうる力に無自覚になっていたビアギッテ。気づけば息子世代の10代や20代からは、世界を破壊した世代として疎まれ、その昔はビアギッテをリスペクトしていた現首相クラーとの反目は、他の政治家やマスコミの格好の標的になってしまう。
キャリアを積んだ政治家としてビアギッテがどのような決断をするのか、また対立する女性政治家同士が、どのようにして難局に対処するのか? きれいごとで語ることのできない政治家としての生き様は、特にある年代以上の人々にとっては身につまされるものがあるのでは。
Netflixシリーズ「コペンハーゲン:権力と栄光」は独占配信中
一般家庭にフランス料理を広めた女性料理家は、女性の時間を奪ったのか?「ジュリア -アメリカの食卓を変えたシェフ-」
有名な料理本の著者ジュリア・チャイルド(サラ・ランカシャー)。1960年代に人気を博した料理番組を通して、アメリカのお茶の間に身近な料理としてフランス料理を紹介した料理研究家だ。ドラマでは、50代のジュリアが最愛の夫ポール(デヴィッド・ハイド・ピアース)や友人らと共に、新たな料理番組に挑戦する姿を描いている。
更年期に突入したことを夫に率直に話したり、「こんなおばさんをテレビで観たいわけがない」と弱気になったり、いざ本番収録となると、驚くほどざっくりと大胆かつパワフルなフランス料理の腕前を披露する。そのあっけらかんとした気取らない性格で、当時は圧倒的な男性社会だったフランス料理やシェフの世界、さらにはテレビ業界においても、次々と常識を打ち破っていく。女性をエンパワーメントしてくれる頼もしい存在として、その強さも弱さもしっかりと描いた良作だ。
だが、劇中でジュリアはあるパーティーの席で、フェミニストの女性に敵意を剥き出しにされる。そのフェミニストは、ジュリアがテレビで家庭料理としてのフランス料理を広めて人気を博したおかげで、女性たちが一手間かけた料理を作らなければいけなくなった、時間を奪った女性の敵だといった言葉を投げつける。驚いて目を見開き、悲しげな表情になるジュリア。現実問題として、そういう批判があったことは理解できるが、少なくともドラマで描かれているジュリアが、女性を苦しめようと思って料理番組をやったとは誰も思わないだろう。
ジュリアという存在が、実際にどのように女性たちの生活を変えたのかはこのドラマだけではわからない。だが、こうした「女性に対する女性の反発」は、現実問題として至るところで目にするものでもあるだろう。短絡的な議論を避けるためには何が必要なのかについて、改めて考えてみたくなる。
「ジュリア -アメリカの食卓を変えたシェフ-」はU-NEXTにて見放題で独占配信中
今祥枝(いま・さちえ)
映画・海外TV 著述業/批評家/ライター・編集者。『日経エンタテインメント!』『小説すばる』『BAILA』『クーリエ・ジャポン』ほかで連載中。当サイトでは「間違いなしの神配信映画」「厳選オンライン映画」の企画・編集・執筆担当。Twitter @SachieIma