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今年の邦画ナンバーワン確実!『ミッシング』が衝撃的にすごかった

ミッシング

 女優デビューから約20年を経た石原さとみが、監督に直談判して役をつかみ取った映画『ミッシング』(5月17日公開)が衝撃的にすごい。『ヒメアノ~ル』(2016)、『空白』(2021)など人間の弱さや暗部に深く切り込んだ作品で注目を浴びてきた吉田恵輔監督のもと挑んだのは、失踪した幼い娘を捜し求める名もなき母親。「誹謗中傷」「真実を見失う報道」……被害者であるはずの主人公が見舞われる理不尽な試練の数々から浮かび上がるのは、現在の危うい日本の社会構造でもある。主演の石原、吉田監督の両者にとって間違いなくネクストステージとなる作品であり、今年の邦画ナンバーワン間違いなしと言える本作を徹底分析してみた。(文:鷺沼よしお+シネマトゥデイ編集部)

指一本で人を破滅させる「情報社会の闇」

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 物語は、主人公・沙織里の幼い娘が忽然と姿を消すところから始まる。沙織里は半狂乱となって娘の情報を求めてビラを配り、積極的にテレビ局の取材を受け、ネットでも発信を続ける。しかし焦燥する彼女に追い打ちをかけるように世間の好奇の目が牙をむく。少女が姿を消した日に、沙織里がたまたまアイドルのコンサートに行っていたと知ったネット民はその行動だけを切り取り“母親失格!”とSNSで誹謗中傷を繰り返す。さらに視聴率を稼ぎたいテレビやマスメディアは事件をスキャンダラスに煽る。

 沙織里の人生を破壊しようとするのは娘の失踪だけじゃない。指一本の操作でSNS上に放たれる罵詈雑言の嵐。視聴率や閲覧数を求めて面白おかしく盛って見せるマスコミの業。彼女に降りかかる試練の数々は、われわれがウンザリしながらも目にせずにはいられない日常の姿と変わらない。

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 根拠があろうとなかろうと、一度世に出回った情報が果てしなく拡散するネット時代において、沙織里を苦しめる社会の「闇」は、われわれだっていつ貶められるかわからない。薄氷を踏むような現実の落とし穴を、わが事のように体感させるリアリティーに圧倒され、打ちのめされる。

俳優の名を忘れさせるキャストの「激変」ぶり

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 自身のキャリアに行き詰まりを感じていた石原は、『さんかく』(2010)をはじめとする吉田監督の映画を観て“自分を変えてくれるのはこの人しかいない!”と確信。自力で知り合いのツテをたどって監督に出演を直談判したという。それから6年、出産を経験して母親となった石原は夢に見た吉田作品に参加し、誰もが予想だにしなかったまったく新しい姿で観客のド肝を抜く。

 演じたのは、ひたすら愛する娘を捜し求め、罪悪感に苛まれながら七転八倒する母親役。そこには、美しくフォトジェニックなイメージの石原さとみはどこにもいない。身なりや周囲からの見え方にも気遣う余裕が一切ないギリギリの状態を、胸を引き裂くような切実さで体現してみせる。石原さとみがこの映画に出演しているということ自体を消し去るがごとく役を完璧に憑依させている。まさに名優としての演技だ。

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 また事件を追うテレビマンを演じた中村倫也は、ジャーナリストの矜持と組織の板挟みとなり、善良であっても現状突破する力のない弱々しさを身悶えするようなもどかしさで演じ切る。夫役の青木崇高もすごい。娘の身を案じながらも、精神的に不安定になる妻や生活という現実との折り合いが付けられないジレンマを繊細に表現。感情を押し殺したような静かな演技が涙を誘う。スクリーンにスターが映っていることを一切感じさせない、リアルに振り切った熱演と変貌ぶりが本作を名作と言えるクオリティーにまで押し上げているのは間違いない。

幼女の失踪を巡る緊迫の「サスペンス」

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 どこにでもいる一地方の平凡な家庭に突然降りかかった失踪事件。手がかりはわずかで、警察の捜査も行き詰まり、世間の関心も急速にしぼんでいく。時間が過ぎるほど事態は絶望的になるばかり。しかし、乏しい情報からも新たな事実が浮かび上がり、怪しい人物の影がチラつき始める……。

 失踪や誘拐、殺人といった事件でまず疑われるのが身内の犯行。沙織里の弟、圭吾(森優作)にも嫌疑がかかり、事件はさらに混迷していく。解決の糸口が見えないからこそ、ささいな小石が大きな波紋を生み、サスペンスの熱が増していく語り口の見事さには舌を巻かざるをえない。

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 また事件の推移に一喜一憂し、振り回される沙織里のジェットコースターのような心理描写も繊細かつ圧巻。とりわけ娘と過ごした日々のイメージが冒頭にさらりと描かれることで、かけがえない幸せの儚さが際立つ。沙織里が流す涙は、気がつけば自分自身と一体になっている……というほど驚くほどの没入感をもたらす。

誰にでもありうる「無意識の悪意」

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 本作の秀逸さは、主人公の沙織里を、ただ悲劇に見舞われた母親として描いていないこと。娘への思いに突き動かされた彼女は暴走しがちで、時に金切り声をあげ、人を大声で罵り手を上げることもある。決して好感を与えるばかりではないキャラクターだからこそ、劇中で世間のバッシングを呼ぶことにもつい納得させられてしまうのだ。そこに吉田監督の巧みなマジックが働いている。

 しかし、被害者である母親やその家族がバッシングされるのは理不尽でしかない。そしてバッシングを生んでいるのは、世間の無責任な噂話や、インターネットのまとめ記事や、直接関係のない一般人がなにげなく書き込んでしまうSNS投稿だったりする。

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 誰もが知らず知らずのうちに悪意を撒き散らし、負の連鎖反応を巻き起こし、誰かの加害者になってしまう可能性がある。世間のバッシングに違和感を感じながらも納得してしまう自分がそこにいることに、この悪意は自分たちの化身でもあるかもしれないと感じた瞬間、呆然としてしまうのだ。本作は、娘を奪われた母親に共感させるだけでなく、観客であるわれわれも、いかにたやすく加害者になってしまうかの仕組みを解き明かし、個人と社会の脆さを突きつけてくるのである。

 人間の心の奥深くへと入り込み、善と悪のグレーゾーンへと連れ出してくれる『ミッシング』は、まさに喜怒哀楽のすべてが詰まった渾身のヒューマンドラマだ。時期尚早かもしれないが、今年の邦画ナンバーワン作品と言って差し支えないだろう。胸ぐらをつかまれるような衝撃と感動が、心に太い杭を打ち込むことは間違いない。

映画『ミッシング』は5月17日より全国公開
公式サイトはコチラ

映画『ミッシング』予告編

配給:ワーナー・ブラザース映画

(C) 2024「missing」Film Partners

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