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「ウルトラマン80」長谷川初範&石田えり&萩原佐代子が目指した“後世に残る”芝居 45周年で蘇る戦いの記憶

左から順に石田えり、長谷川初範、萩原佐代子

 輝かしい1980年代の幕開けを飾るかのようにスタートした、円谷プロダクション制作の特撮ドラマ「ウルトラマン80」(1980~1981)。2025年に45周年を迎える本作のメインキャストである長谷川初範(矢的猛/ウルトラマン80役)、石田えり(城野エミ隊員役)、萩原佐代子(星涼子/ユリアン役)の3名が、「ウルトラヒーローズEXPO2024 サマーフェスティバル IN 池袋・サンシャインシティ」のスペシャルイベント「ザ☆ウルトラマン&ウルトラマン80 45thスペシャルナイト」で45年ぶりの再会を果たした。イベント会場で3人がインタビューに応じ、「ウルトラマン80」が放送された当時の様々な出来事を振り返った。(取材・文・構成:トヨタトモヒサ)

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「ウルトラマン80」は若かりし頃の自分の記録

ウルサマナイトで再会した長谷川初範&ウルトラマン80

Q:「ウルトラマン80」が来年で45周年を迎えます。それぞれの現在のお気持ちをお聞かせください。

長谷川初範(以降、長谷川):あの当時の若かりし頃の自分の記録ですよね。

石田えり(以降、石田):45年を経て、こういう機会をいただいて、改めてウルトラマンはすごい作品だったんだなと思います。

萩原佐代子(以降、萩原):私は「ウルトラマン80」に出演する前から、えりさんの大ファンで、主演された教育映画も観ていたんです。

長谷川:『翼は心につけて』(1978)だっけ?

石田:ええ。でも、あれは大きな映画館で上映するような作品じゃなくて、学校で観たんじゃない?

萩原:はい。病気で死んでしまう役で。それと高校のクラスメイトが見せてくれた「GORO」のグラビアにもすごく憧れて、自分でも買いました(笑)。

石田:それは嬉しいわ。

萩原:長谷川さんは高校では見たことがないような二枚目で、それこそ目の前に王子様がいるかと思いました。

長谷川:いやいや(笑)。ところで萩原さんとは「ウルトラマン80」30周年の際に一度共演しているけど、石田さんも含めてこの3人が揃うのは初めてだね。

石田:しぶとく続けている3人が集まって(笑)。私は人前に出るのが実は苦手で。でも、今回は45年という節目だし、せっかくだからお二人と会いたいと思って参加させていただくことにしました。長谷川くんは出るしかないよね、主役なんだから(笑)。

長谷川:石田さんも映画やテレビで活躍されている姿をずっと観ていたから「元気でやってるなぁ」なんて思っていたんですよ。

萩原:私は23歳で一度、この業界を辞めていたんですけど、ブランクを経て再チャレンジしている最中に、まさかこんな機会をいただけるとは思ってもみませんでした。多分、3人の中で私が一番に嬉しいと思います!

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刺激的だった撮影の日々

45thスペシャルナイトで活躍したウルトラマン80&ユリアン

Q:撮影当時を振り返ってみて、思い出すことはありますか?

長谷川:それで言うと、大変だったのは撮影よりもアフレコですね。

石田:同録じゃなかった?

長谷川:アフレコです!(笑)。当時2本撮りだったでしょう。覚えてる?

石田:ああ、そうだ(笑)。2話ずつ同じ監督さんが撮っていたんですよね。

長谷川:アフレコは、まる1日かけて2本を収録していて毎回すごく消耗したものですよ。しかもアフレコで映像を観ると、自分の芝居での動作が想像していたよりも早くて、「カメラを早く回していたのかな?」と思うくらい。だから、アフレコとなると、自分の声がなかなか上手く合わせられなくてね(苦笑)。

石田:撮影所もかなり年季が入っていました。基地のセットの壁もペラペラで、電車が通ると振動がすごくて「待ち」になった記憶があります(笑)。

長谷川:それは電車じゃなくて車でしょう!

Q:当時の撮影場所は、世田谷区大蔵にあった東宝ビルトですね。近くを東名高速道路が走っていました。

長谷川:そうそう、東宝ビルト。いや、懐かしいですね。スタジオと言っても、イメージとは程遠いものがありましたよ。

石田:とてもSFものを撮っているとは思えない場所で(笑)。

長谷川:でも今思うと、そういう環境だったから、同録ができなかったことで助かったところもあったかな。

萩原:私はそもそもアフレコ自体を知らなかったんです。撮影が終わった後で、「何日にアフレコだよ」と言われて、そこで初めて「アフレコ」という言葉を聞きました。

長谷川:当時まだ高校生だったでしょう。それは驚くよね。

萩原:はい。キャップ役の中山仁さんが「あまり早く話すとセリフが合わなくなるから、ゆっくり喋りなさい」とアドバイスしてくださいました。

石田:よく覚えてるねぇ。すごい記憶力! 

長谷川:それがまさに僕も当時苦労したところ。それと、撮影自体はセットでもロケでも、夏は暑いし、冬は寒かったな。

石田:特に隊員服(笑)。

長谷川:いやぁ、我慢大会だったね。

ウルトラマン80の変身ポーズを生披露した長谷川(左)

Q:当時のスタッフとの印象的な思い出はありますか?

長谷川:監督は大映のガメラシリーズで知られる湯浅憲明さんがメインで、他にも深沢清澄さんをはじめ、何人かが撮られていましたね。監督によって撮り方やロケ現場も変わるんですけど、それがまた刺激的でした。

石田:新鮮な感覚がありましたね。

長谷川:助監督の宮坂清彦さんが終盤で2本撮られているのですが、(※第48話「死神山のスピードランナー」&第49話「80最大のピンチ! 変身! 女ウルトラマン」)。宮坂さんには遅刻した際にフォローしてもらったり(笑)、いろいろとご迷惑をおかけしたので、あれは嬉しかったなぁ。レンガの壁を背にして萩原さんと話すシーン(※第49話)は、「お、カッコいいシーン撮るな」と思った記憶がありますよ。

萩原:私は東条昭平監督が忘れられません。現場で「バカ!」「お前なんか死んでしまえ」と怒鳴られて……(苦笑)。

長谷川:別にいじめているわけじゃなくて、当時はそれが当たり前だった。

石田:鍛えられるよね。

萩原:はい。東条監督はその後、東映の「科学戦隊ダイナマン」(1983)でもお世話になったんですけど、当時の自分は何もわからなくて。しかも長谷川さんや、えりさんにも同じような口調で話をされていたのも驚きでした。

石田:当時はどのスタッフさんもみんな怖かったから(笑)。

長谷川:時代も違うと思うけど、それだけ真剣だったんだろうね。

萩原:星涼子の初登場回(第43話「ウルトラの星から飛んで来た女戦士」)は、湯浅監督だったんですけど、東条監督があまりにも強烈過ぎて(笑)、逆に湯浅監督については、それほど印象に残ってないんです。

長谷川:湯浅監督は芝居が完全に決め打ちで、こっちはアメリカ映画を通じて、ニューヨークのアクターズスタジオを出たロバート・デ・ニーロアル・パチーノの芝居を見て勉強してきたのに、自然な芝居をさせてくれない(笑)。

石田:へぇ、そんなことやろうとしていたんだ。

長谷川:それこそ、眉毛を吊り上げて「〇〇なんですっ!」みたいな太い芝居を求められたけど、「後々、笑われるから絶対にいやです」なんて抵抗してね。「ウルトラマン80」の頃は、日本映画の連綿と続いてきた演出方法がある中、ちょうど時代の端境期だったんじゃないかな。僕らは『スター・ウォーズ』(1977)に感化されたりして、その場限りじゃない、もっと自然で後世に残る芝居を目指していたんですよ。

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エミ隊員殉職は直談判だった

ウルトラマン80&ユリアンと並ぶ長谷川&石田&萩原

Q:萩原さんは途中参加でしたが、記憶に残っているエピソードはありますか?

萩原:クランクインは長谷川さんと一緒だった富士の樹海の場面でした。それから劇中、この3人で、体育館で特訓する場面があって、衣装がタンクトップだったんですけど、当時はいい下着もなかったし、ブラのヒモが見えてしまいそうだったんですよ(笑)。そうしたら、えりさんが「こうするのよ」ってガムテープで止めてくださって。

石田:いやぁ、覚えてないなぁ(笑)。私、優しかったね!

萩原:憧れのえりさんとの距離があまりに近くて、息が詰まるかと思いました……。

長谷川:萩原さんは、いつも真剣な顔をしているなと思っていたけど、緊張していたんだね。

Q:長谷川さんは、第43話ではガラガラ星人を相手に立ち回りも披露されています。

長谷川:立ち回りはあまりやった覚えがなかったんだけど、観返してみたら「ああ、けっこうやっていたんだな」と思い出しましたよ。高い柵を飛び越えたりもしたね。でも、リハーサルをやった記憶はないんです。その場で言われて「ああ、できます」と、対応できていたと思います。だいたい立ち回り前日は、夜遅くまでみんなで呑んでいたはずだけど(笑)。

石田:みんな集まってね。

長谷川:だから寝てないんだけど、たぶん、若かったんだろうなぁ。

Q:城野エミは第43話で殉職という形で退場されますね。

石田:そうですね。自分から降板を申し上げたんです。

長谷川:直談判したの? 

石田:そう。普通なら「何を言ってるんだ!」と怒られるところだけど、あっさり受け入れてくださって。それで殉職編のエピソードを撮ることが決まったんです。

長谷川:へぇ、若い頃から根性あるなぁ。

石田:でも、今思うと、それでユリアンが登場する機会につながったのよね。

萩原:ありがとうございます。エミ隊員は最終回でロボットになって登場しますよね。

石田:自分から降板を申し出たのにも関わらず、わざわざお声がけいただいたんです。あれは嬉しかったですよ。

萩原:控室には、えりさんのポスターがずっと貼ってあったし、最終回は何より男性陣の喜び方が忘れられないです。

石田:えぇ、ホントですか?

萩原:男性陣は全員目がハートになってましたよ(笑)。そんな中、(イトウチーフ役の)大門正明さんが開口一番「リンダ・ロンシュタット」だと仰っていたのが今も印象に残っています。

石田:そんな時代があったんですねぇ(笑)。

萩原:撮影後にはみんなで胴上げしていました。

長谷川:みんな仲良かったのよ。

萩原:スタッフの皆さん、本当に喜んでいました。それはすごく覚えています。

石田:現場では厳しかったけど、みんな愛情があったね。

長谷川:UGMの隊員たちで、連日のようにご飯を食べながら、いろいろ話し合ったのが昨日のことのように思い出されます。「今度はこういう提案をしよう」と監督に言っては却下され、言っては却下されの毎日だったけど、青春の1ページだった。

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目指していたのは人間味溢れる役柄

50周年、60周年へ…語り継がれる「ウルトラマン80」の物語

Q:最後に、改めて「ウルトラマン80」への思いをお聞かせください。

長谷川:僕らが目指していた自然な芝居は、1980年代当時は受け入れられないものだったかもしれないけど、それは狙っていたことなんですよ。えりちゃんもその後、『遠雷』(1981)で日本アカデミー賞の新人俳優賞を取ったりしたわけでしょう。歴代のシリーズではカチッとする芝居が多かったと思うけど、僕らは割とカジュアルに見えていたんじゃないかな。

石田:確かに、自分たちと近い役柄だった気がする。もしかしたら、ウルトラマンシリーズでそういう芝居を始めたのは、私たちが最初かもしれないですね。

長谷川:僕はお芝居でセリフは言っていたけど、矢的猛はある意味、自分の素で演じていたんですよ。「ウルトラマン80」以降は、役柄を練り込んで演じるようになったけど、若かったから、良くも悪くも素で演じるしかなかった。

石田:45年経って、作品や役柄が消えずにこうして残っているといるのは、自分としてはすごく不思議な感じもあるし、改めて城野エミ隊員も愛すべきキャラクターだったんだなと思います。

萩原:本当に右も左もわからない頃に演じさせていただいた役柄ですが、私も萩原佐代子がそのまま星涼子だったと思います。高校時代の青春の思い出のつもりだったのが、今では海外にまでファンの方がいらして、本当に人生の最大の贈り物になりました。これからもウルトラマンシリーズを一緒に愛していければと思います。

長谷川:僕が演じた矢的猛は、先生や UGMの隊員以前にカッコ良くない……と言ってはあれだけど、もっと人間味溢れる役柄にしたいと思ったんですよ。ウルトラマンは宇宙人で、常に冷静沈着にものごとを判断して、事件が解決しても素知らぬ顔をしてる、みたいなのはちょっと古い気がして。そういう凝り固まった概念から解き放たれて、宇宙人だって失敗もすれば、思い悩んだりする。そういう芝居を日々、現場で戦いながら、密かにまんべんなく入れていったんです。だから、今再び、「ウルトラマン80」が注目を集めて「ブルーレイBOX」も発売できることになったのは、ファンの皆さんが僕らの試みを紐解いてわかってくれたということだと思うし、僕らキャスト全員としては「やったぜ!」と誇らしい気持ちになります。本当にステキなことです。

「ザ☆ウルトラマン&ウルトラマン80 45thスペシャルナイト」は9月15日(日)23時59分までU-NEXT見逃し配信中(税込3,300円)

「ウルトラマン80」ブルーレイBOXは2025年3月19日発売(価格:税込4万1,800円)

(C)円谷プロ

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