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「極悪女王」知っておきたい基礎知識

 9月19日に配信がスタートして以来、爆発的な反響を巻き起こしているNetflixオリジナルドラマ「極悪女王」。1980年代に熱狂的なブームを巻き起こした女子プロレスラー・ダンプ松本と仲間たちの姿を描く。「全日女子プロレス」という架空のプロレス団体が舞台になっているが、登場人物の多くは実名で登場する。当時のことを知らなくても楽しめるが、知っているとなお楽しめるであろう「基礎知識」を振り返ってみた。(文:大山くまお)

ダンプ松本

「極悪女王」よりゆりやんレトリィバァ演じる松本香

 本名、松本香。全日本女子プロレスに入団し、1980年にプロデビュー。1984年1月にリングネームをダンプ松本に変え、金髪とどぎついメイクでヒール(悪役)に転向。本庄ゆかりから改名したクレーン・ユウとともに「極悪同盟」を結成した。

 絶大な人気を誇っていたクラッシュ・ギャルズ長与千種ライオネス飛鳥)と抗争を開始し、鎖、竹刀、フォーク、一斗缶などの凶器を自在に操り、反則攻撃とパワーによる攻撃を織り交ぜる極悪ファイトを繰り広げた。抗争がピークに達したのは、1985年8月に大阪で行われた長与千種との「敗者髪切りデスマッチ」。凶器攻撃で長与をKOしたダンプは、長与を丸刈りにし、場内のファンは泣き叫んだ。

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ダンプ松本に変身

 人気絶頂時は「毎度おさわがせします」(1985~1986)などのドラマやバラエティーに出演するなど多忙を極めたが、1988年に電撃引退。引退直前には大森ゆかりとタッグを組んでクラッシュ・ギャルズと対戦し、最後はパートナーを交換してエキシビジョンマッチを行った。その後、2003年に本格復帰しており、現在も不定期ではあるが現役選手としてリングに上がり続けている。

 実際は穏和な性格であり、改名前は先輩から長与とともに苛烈ないじめを受けていた。プロレスラーになる前は、マッハ文朱の熱烈なファンだった。

クラッシュ・ギャルズ

ライオネス飛鳥(剛力彩芽)と長与千種(唐田えりか)

 長与千種とライオネス飛鳥(本名:北村智子)のタッグチーム。1980年に全日本女子プロレスに入団した同期生同士。運動能力が高い飛鳥は将来を嘱望されていたが、いじめの対象にされていた長与は落ちこぼれだった。引退するつもりだった長与が飛鳥とシングルマッチを行ったところ、高い評価を受けて1983年に「クラッシュ・ギャルズ」を結成する。

 女子プロレスに男子プロレスの激しい技を取り入れたファイトスタイルで絶大な人気を集め、ビューティ・ペア以来の女子プロレスブームを巻き起こす。1984年にはシングルレコード「炎の聖書」をリリース。やがて極悪同盟との抗争が始まると、人気はさらにヒートアップしていく。より高い人気を集めたのは、少し小柄で線の細かった長与の方だった。

 1985年5月に飛鳥が芸能活動に疑問を感じてクラッシュ・ギャルズは一時活動を停止する。1989年に長与、1990年に飛鳥がプロレスを引退して解散した。その後、2000年に「クラッシュ2000」として再結成し、2005年に飛鳥が引退したことでクラッシュ2000は封印された。

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極悪同盟

 ダンプ松本率いるヒールユニット。ダンプ松本、クレーン・ユウをはじめ、ブル中野コンドル斉藤影かほるなどが構成員として名を連ねた。

 凶器や乱入などの反則ファイトがメインの上、「極悪レフェリー」の異名をとる阿部四郎による露骨なほど不公正なジャッジ(ダンプらの反則を見逃し、フォールされてもゆっくりとカウントするだけだが、クラッシュらがフォールされると高速でカウントを取る)がファンの激しい怒りをかった。

全日本女子プロレス

劇中では「全日女子プロレス」に

 1968年に旗揚げした女子プロレス団体。1970年代後半にタッグチーム「ビューティ・ペア」が爆発的な人気を博して女子プロレスブームを巻き起こす。1980年代にはクラッシュ・ギャルズが大人気となる。フジテレビでは女子プロレス中継も行っていた。また、興行にはミゼットプロレスも帯同して試合を行った。

 クラッシュ・ギャルズが解散後も、ブル中野、アジャ・コング北斗晶ら実力派のスター選手を輩出し、女子プロレス界を牽引した。1994年には女子プロレス初の東京ドーム大会を実現したが、2005年に経営難によって解散している。

 創業者の松永高司が社長(後に会長)を務め、松永兄弟がすべてを取り仕切る同族経営の会社だった。男、酒、たばこを禁ずる「三禁」、25歳になったら引退する「25歳定年」などのルールで選手を管理していたと言われる。

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松永兄弟

松永国松(黒田大輔)、高司(村上淳)、俊国(斎藤工)

 全日本女子プロレスを経営していたのが、松永高司(三男)、松永健司(次男)、松永国松(四男)、松永俊国(五男)の松永四兄弟である。「極悪女王」では、高司(村上淳)、国松(黒田大輔)、俊国(斎藤工)の三兄弟に改変されている。

 高司が創業し、社長、会長を務めた。国松、俊国も社長を務めている。国松はジミー加山という名でレフェリーも務めた。長与千種を可愛がり、クラッシュ・ギャルズの売り出しをしたのも国松である。興行先で高司が焼いて売る焼きそばも名物だった。

 ビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズのブームで数十億という莫大な金を稼ぎ、埼玉県秩父市に山を買ったという説も。莫大な額の投資の失敗で経営が傾いたとも言われている。

ビューティ・ペア

鴨志田媛夢演じるジャッキー佐藤

 マキ上田ジャッキー佐藤のタッグチーム。1970年代末に爆発的なブームを巻き起こした。リリースした「かけめぐる青春」は80万枚を売り上げたと言われる。宝塚的な要素があり、それまでは男性ファン中心だった女子プロレスを若い女性ファン中心のものに変えた。

芋生悠演じるマキ上田

 マキとジャッキーのすれ違いにより、1979年に日本武道館で引退を賭けて直接対決が行われ、敗れたマキが引退。ビューティ・ペアはわずか3年の活動に終止符を打った。ジャッキーは1999年に41歳の若さで逝去している。

Netflixシリーズ「極悪女王」は世界独占配信中

参考文献:柳澤健著「1985年のクラッシュ・ギャルズ」

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