貧困や混乱とは程遠い優雅な作風『晩春』(1949)
小津安二郎名画館
前作『風の中の牝鷄』(1948)と前々作『長屋紳士録』(1947)で戦後の荒廃した日本を描いたのとは対照的にある種ファンタジックな、貧困や混乱とは程遠い優雅な作風を持つ『晩春』(1949)は小津安二郎監督の代表作の一つでもある。原節子や杉村春子といった女優の起用で『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)の原点ともいえる作品だ。
広津和郎の「父と娘」を原作とした本作。後年の小津作品を象徴する作品でもあるが、世相とのあまりのギャップに賛否両論を巻き起こした。興行的な不振(特に前作『風の中の牝鷄』は興行的にも批評的にも成功作とはいい難かった)を打開すべく、脚本家・野田高梧との『箱入娘』(1935)以来のコンビ復活となった。遺作まで共同で脚本を執筆することになる野田とのコンビ復活は、それ以後の小津の作風にとって決定的な出来事であった。
戦前から病を抱えていた紀子(原)はようやく快方に向かい、普通の生活が営めるほどになった。しかし、同時に婚期を逸しており父の曽宮周吉(笠智衆)も半ば心配になっていた。一向に結婚の意思を表に出さない紀子に縁談を持ち掛ける周吉だが、首を縦に振る気配のない彼女。そんな中、紀子は父の再婚話を耳にする……。
小津作品の中でも最も議論が多く、いわく付きの『晩春』。ラストシーン、紀子を送り出した周吉が独りでうなだれるシーンを居眠りと誤解した評論もあるほど。特に有名な場面は周吉と紀子の京都旅行である。「父と一緒に居たい」と胸の内を明かす紀子に周吉が結婚についての考えを諭す。父と娘のあまりにも深い愛情を描いたシーンは、とある映画監督に「近親相姦(そうかん)」だと読み取られさえした。再婚するとうそをついてまで娘を嫁がせ、自身は孤独に残りの人生を歩むという自己犠牲的なニュアンスをひときわ強く印象づける展開で、娘の結婚という普遍的なハッピーエンドの舞台裏に潜む孤独に少しずつ焦点が絞られていく。
小津作品でいつもコミカルな演技を発揮してきた杉村だが、原と共に本作で小津作品に初登場となった。紀子の縁談の世話役を務める周吉の妹・まさとして、奔走するお見合いおばさんを見事に演じきっている。伝統的な結婚観を持つ彼女は、結婚に関してデリケートな価値観を抱いている紀子や周吉に対して、強引とも思えるアプローチをかけてくる。物語を加速させ成立させるこの重要なキャラクターは控えめなトーンの原や笠の演技に対して、圧倒的な存在感で作品に起伏を与えている。
戦前の物語構成を借用しつつも、演出面で戦後の小津のスタイルの原型となった『晩春』。脚本での体制もさることながら、俳優の起用が盤石となったことによって、小津は以後の作品で洗練された家族劇を描いていく。悲劇と喜劇の入り交じった等身大の日常と慣習から生じる事件を盗み見るという極めて後ろめたい、しかし抑え難い興味を満たしてくれる小津の美学は、この『晩春』でさらにあらわになったといっても過言ではない。(編集部・那須本康)